act 12.



「止して下さい、いけません!」
遠くない叫びに次子はがばりと身を起こす。
「いけません、いけません!」
これで三夜連続である。

翌朝、ベッドの布団をなおすと窓を開き、落ち着かない気分で桐箪笥を開ける。どの引き出しにも身に付けた事の無い新しい着物が収められていて、目眩がする。もっとずっと質素でいいのだ。私はここで働くというのに。
仕方がないので中でも地味で色が鈍い物を選んで着込む。帯は自分の物を締めて、たすきとエプロンを持って部屋を出た。
「あっ、お早うございます」
「お早うございます。すみません私、寝坊だったみたい」
「とんでもない。ぼくは寝てないので早いだけです」
屋敷にはこの少年と、“やじう”が一体。そして次子。地下牢で死にかけた次子は何故か鬼道と春奈の先輩である夏未によって“救助”された。肺炎になりかけていたため回復に時間がかかり、伏した間に鬼道から様々な説明を受けた。
『あの、よくわからん生き物だがね、次子』
熱でぼんやりしていたが、その時の鬼道の言った事、次子は確と憶えている。何せ奇妙な物語だったし、それに己が巻き込まれたとあれば耳も確かだ。
『なんだと思う』
『…熊か…でなければ、特別に頭の良い、何か珍しい獣ですか』
『実を言うと人間だ』
『…はあ…左様で』
次子の様子がさして驚いても見えないので、反対に鬼道が驚かされた。“珍しい獣”と言いはしたが、人の予想もついていたろうか。
『わかっていたのか』
『いいえ。でも、食いはしないし家屋に住んでいて、二足で歩くし牢の用途を解っていたので』
『もしやと』
『いつも真っ暗で何も見えなかったけれど、服を着ているような気もしていました』
『度胸のある奴だ』
鬼道は感心と驚きの混じったようにちょっと笑い、一言も物言わぬ夏未に振り向く。夏未はむくれて立っていた。
『…あたくしは、反対です』
『反対と言われても仕方がないだろう。今連れていけば俺たちあやつに殺されてしまうぞ』
『だって…危ないわ』
浮かない顔の夏未は、なんだか次子を見なかった。地下に降りてきた時は駆け寄って来て声を掛けたりしてくれたのだが、あれから3日経ち夏未の心境は複雑そのものになっていた。
『次子、急だが』
『言いますの』
『急だがね』
『ちょっと、お待ちになって』
『カフェーのみんなに手紙を書いてくれないか』
『え…』
『………』
とうとう文句を言い出すかと口を開いた夏未だったが堪えるように口を閉じた。そして憤慨のまま腕を組み直す。それが鬼道へ向けられた不快の態度だと知らない次子は夏未の様子が気になっていたが鬼道はまったく意に介す事もなく話を続ける。
『無事でいるって知らせないと。それからね、悪いがこの屋敷で勤めてくれ』
『勤める…?ここ、財閥様のお屋敷ですか』
次子は獣が人間だと聞いた時よりもずっと驚いたようだった。
『いや、君が閉じ込められていた地下牢のあった屋敷だよ』
『ど、どうして…私、お店に…』
寝台から身体を起こそうとするのを鬼道は制する。次子は少し混乱していた。
『何故。わかりません』
『獣が君を気に入っている。今彼は事情があって人の心をなくしているが、是非人に戻したいんだ』
『…気に入ってる…?』
『あれでも人に慣れたのだが、相変わらず人を拒む。怯えたり嫌ったりで、すすんで匂いをかいだりあまつさえ拐って来るのは初めての事だ』
何を言われるかどぎまぎしているのが病人という、夏未にはそれが許せなかった。こんな時にわざわざ話す事は、何か狙いがある気がする。例えば熱でぼんやりしている頭ではろくに考えがまとまらないだろう。そこにはいと言わせる気であるならば、姑息だ。
それでも夏未は黙る他なかった。
『何しろ言葉を話さないから確かめようが無いのだが、あの男はもしかしたら昔の友人かも知れないんだ』
『でも、急だ…本当に…』
『助けてやって欲しい。頼む』

それが真相の全てでは無かった。

次子はやむ無く引き受けたが、鬼道が全てを話していないとわかっていた。そして次子が知りたいと思う事を、訊いてはいけないのだとも理解していた。言わないとは、そういう事だ。
そして引き受けたが、どうであれ断れないと知っていた。

屋敷は造りだけは立派なものだが、古く汚れて大変な有り様だった。一応の主人である“獣”に使えているのは自分を含めて2人の子供。それだけで十分おかしな事態と言えるのに、勤めよと言われたくせ仕事は与えられなかった。
『獣が君に近寄る時に、声を掛けてやってくれ』
『それが仕事ですか』
『そう、それだけでいい。無理に会ったり、余計に近付いたりはしなくていい』
『他には、食事や洗濯のお世話は要らないのですか』
『君はしなくていい。そういう世話係は他に居る』
それではただ暮らせ、と言われただけだ。帰れぬ理由も記せない手紙は書いていて詐欺の気分であった。
“そういう世話係”である少年は以前より屋敷に勤めているらしいが屋敷や“獣”の事を詳しくは知らず、“獣”が鬼道の友人である可能性などは次子が先に知ったのだった。
屋敷は多くの場所が埃や煤で汚れていて、玄関のホールには落ち葉や砂までもが散らかっていた。地下牢から次に目を覚ました客間で看病を受けたが、そこがそのまま次子の個室に与えられた。
『唯一綺麗な部屋です』
同僚となった少年が誇らしげに言うので可笑しくなる。彼は鬼道らが去った後にも看病を続け、書いた文を鬼道に届けに行ってくれた。明るく子供らしい性格は、印象は違うものの勇気を思い出す。
無事だと聞いて、嬉しかった。
「なんだかごめんなさい。お騒がせします」
「いいえ、眠れましたか。ご主人がうるさくてすみません」
「ご主人をそんな風に言っていいのですか」
鬼道が言った“あやつ”というのも中々乱暴な言い方だと思ったのだが、どうもこの世話係も主人といえど“獣”との接し方はほぼ対等といえるようだった。
「構いませんよ。世話をしようとすれば怒りますし、僕なんか、ばかにされてるんです」
「では主従というよりはお友達に近いのですね」
次子がそう言うと少年はどうやら照れたようで、くすぐったそうににこにこすると、誤魔化すように頭をかいた。




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