act 11.



《 喫茶オリヲンの皆様ゑ 》
ながらく御心配をお掛けゐたしましたやうで、もうしわけも有りません。次子は無事にございます。ただし或事情に因り、しばらくは帰る事が出来なくなってしまいました。どうぞ不在をご堪忍下さいませ。かしく

追伸
探してゐらっしゃったとの旨、聞きました。次子は嬉しう御座います。誠有り難う御座いました。

次子



単身鬼道家に乗り込んで行った夏未からは一切も連絡が無く、変わりにそれより10日経ってから久々の鬼道の来店があった。
「いらっしゃいませ。ご無沙汰でしたね」
相変わらず接客に出てくれるのは勇気ばかりであったが、思えば店主は鬼道の事情に以前から気付いて居たのだろう。
春奈を引取る際に兄が居た事を聞いていたし、家へ連れ帰っても春奈は時に兄を恋しがり泣いたものだ。もしかしたら離してやって可哀想かと思い至り、院に掛け合うと兄の方はとんと大層な家に取られたから今後は兄の事は忘れるように教育せよと言い切られてしまい後味の悪い経験になった。それが今でも大いに尾を引いている。
「ニルギリ」
「はい」
「それと勇気、持ってきたら掛けてくれるか。忙しくなければ御店主と、奥さんもどうか呼んでくれ」
「かしこまりました」
勇気は丁寧に頭を下げて勝手に下がり、旦那に注文と用件を伝えた。
少し経って、白いポットとマイセンのティーカップがテーブルに並べられる。
「あの、すみません。奥さんには来客があるので、今は」
「ではお二方で構わない」
「なんですかいのぅ」
気乗りしない、という風に旦那がのろのろ遠くに座る。
「まぁまぁ、朗報ですから。此れに次子の手紙を預かって参りました」
ふところから畳まれた半紙が姿を表す。
旦那はくわえた煙草を落とし、勇気は黙って硬直した。
「おやおや」
「まさか…」
「生きとるんか、次子は、生きとるんか」
「ええ、元気ですよ」
旦那はぶるぶると震え、鼻を真っ赤にすると両目をおさえて後ろを向けた。
「………」
「………」
「信じられないようだ」
「信じられないですよ。もちろんです。だって熊に拐われて、あんなに探しても草履片方だって見つけられなかったんですから」
「いや、その件に関しては悪かったと思う。気を遣わせてしまったようで申し訳ない」
鬼道はぺこんと頭を下げて謝った。鬼道の屋敷に頼み込めば、勿論探してくれたであろう。しかし公にならない妹の事、さらにそれに絡む死人となると鬼道の体面に良くないことは明らかだ。鬼道家が鬼道家のままだったならば膝をついても頼んだだろうが春奈との繋がりが無いならば捜索はして貰えないだろう。どん詰まりになって次子は帰らないしこんなままでは決断力など何処にも無い。それでやがての2週間で、3週間。

鬼道が2人の気の落ち着きを待って居ると、一家が住まう店の奥の座敷から奥さんと住職が揃って出てきた。何事だろうかと目で追っていると奥さんが住職を見送って戻ってきたので次子の無事をと思った刹那、
「しまった、おまえ、和尚を呼び戻してくれ」
「えっ、だって今」
「ええいおれが行く」
旦那は通りに飛び出すと、そこいら中に響く大声で住職を呼び止め駆けていった。
「まぁ…何事」
「どうも、奥さん。その節は」
「あらどうも、いらっしゃい」
奥さんは素っ気ない。次子の事で鬼道を責める気持ちは間違いであると分かっていたが、それでも恨めしいのは拭えないで居た。今はとても会いたくない。娘を奪われるかもしれないという危機もあるし、間近で次子と死別となった勇気でさえも鬼道への恨みはすっぱり無いのは立派と思えど実に悔しい。嫌味ひとつくらい言いそうになるので奥さんは勝手に下がろうとした。
「奥さん、次子さんが無事でいらっしゃるそうなんです」
「ええ、手紙を預かって来ましたよ」
しばらく応答が無かったが、ゆらりと長暖簾が揺れて、奥さんがふらふらと歩いて来た。
「本当なの…」
「ええ、ちょっとばかし体調を崩して居たのですが、今は元気にしていますよ」
遅くなって、と付け足して、鬼道は再び頭を下げた。
「手紙って…あら、やだ」
「あ、そうか。旦那さん、それで御住職を」
「そうだわ、あら、あら」
奥さんまでも外の様子を見に出てしまったので鬼道は勇気に何事か訊ねた。
「いえ、…まぁ」
「法事かなにかでも」
「うぅん…その…」
ばつが悪そうにしているので、不幸があったかと姿勢を正すと勇気は困ったような顔をして笑い、実はと話す。
「次子さんの、お葬式やお棺は出せないので、せめて戒名と位牌をという話になりまして…」
「ああ……そうか。いや益々連絡が遅くなってしまって申し訳ない事をした」
「いえ、無事なら…それが…」
そう言って勇気はぼろっと静かに涙をこぼした。
辛かったろう、と声を掛けると、うつむいたまま首をふった。
「つらいなんて、そんな、おれ、次子さんの往生際ばかりが、苦しくって、おれ」
「すまなかったな…」
「そうじゃないんです。おれが悪いんです。逃げろって言われたんです。熊が行ってしまう前におれは、おれは」
「逃げろって…」
「次子さんが…おれに、
おれ、そ、それで…」
勇気はとうとう顔を覆うとわっと泣き出し、鬼道は益々胸の塞がる想いに成った。
自分より4つも5つも年下の勇気も次子もこうして働き過ごして居る。ここから春奈は奪えない。
金ばかりは在るがこれほどの慎ましい心を持ったまま生きられようも無い世界。そこに春奈を引き摺り込むのは生涯を貫く罪になろう。

「…お前が無事なんだと聞いて、次子もちょっと涙ぐんでいたよ…」
鬼道はすっかり濃くなってしまった紅茶をカップに注ぎ、湯気のたつうちに口に運んだ。
嗚咽収まらぬ勇気の声が店にひびき、なんだかたまらない思いに成る。




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