date 20:



晴矢を見送り広間に戻ると続きになっている部屋の窓際に風介が座っているのを見つけた。また本でも読んでいるのだろうかと近付いてみたら体が随分汗ばんでいる事に気が付いた。
窓のサッシに寄りかかり、おそらく読んでいたのだろう文庫本がだらりと縁側にぶら下がる右手から今にも落ちる。真っ青で、朦朧として見えた。もしや日射病にでもなったのか。
「風介、大丈夫?」
「………」
かなり長く待ってみたが、返事も反応も全く無い。くせのある髪の毛先からぽたりと汗が畳に落ちる。指先で腕に触れてみると死体かの如く冷えていた。
なんと、冷や汗だ。
「風介!」
「………」
「風介!しっかり、大丈夫?具合悪いんだね?」
「………」
焦点の定まっていないような瞳にうつるよう、ヒロトは身を乗り出すようにして風介に呼び掛けた。しかしそれでも返事は無い。
「待ってて、今姉さんに」
「きみだれ」
「えっ?なに?」
「……、……ヒロ…」
それきり風介は眠ってしまった。

玲名によるとこれは初めての事では無いらしい。呼ばれてもぼんやりして反応が無く、そのうち気絶するように眠ってしまう。
「気になってたんだ」
「…なんだろうね」
「わからないが、平気そうでは無いからな…」
この頃風介には積極的に会話したり逆に誰とも口を利こうとしなかったりという極端な態度の変化が見られるようになっていた。積極的に話す風介は愉快で余裕ある様子だがヒロトや玲名には違和感を覚えさせた。しかし多くの人はこちらの状態の風介を好む。気分の起伏でそうなると言えば簡単だが、そんなに単純な事とは思えなかった。

祖父の家で2週間を過ごした晴矢と入れ違いに、風介も母の家へ。いつもの一時帰宅かと思えば晴矢と同じく長期滞在だと後から聞いた。
風介への不安を瞳子に相談していたため、瞳子は施設に風介には慎重にと強く伝えた。無視されたのだ。
晴矢は風介が居ない事に丸2日間気付かなかった。
ヒロトも玲名も最早晴矢に風介の事を言う必要性を感じていない。あからさまに風介を避けている晴矢にわざわざ言う子供も居なかった。


「ねえさんの言ったことを無視するなんてね」
「あいつらどんどん横暴になる。あの胡散臭い優しい感じがムカつく」
「…とうさんは何がしたいんだろう…」
夏休み中を施設で過ごしていたヒロトと玲名がしょっちゅう密会めいた雑談をしていたのを晴矢は密かに気にしていた。
2人きりで居る事が多いので冷やかしたり噂する子供が多かったが、2人は全く気にしなかった。それどころでは無いという様子だ。
「家では切ったりしてないだろうか」
「どうかな…もうあれ以上は縫わなきゃいけないんじゃないかな」
「ああもう、ここは頭が変になりそうだ」
「なぁ玲名…とうさんは何がしたいのかな…」
「………さぁ」
「………」
正直何の話をしているかはわからないが、何故か無関係だとは思えない。何か重要な事が起きているのに蚊帳の外に居るのではないかと思う。
少し前まで不穏の渦の中心に居たように思う自分から、いつの間にか事態が変わっている。無視すれば簡単だろう。どうせ近いうちこの施設を出るのだから。
入り込む余地のなさそうな雰囲気に、そう思う事にした。


風介不在のある晩、風呂上がりに風介の部屋の前を通った時、晴矢は久方ぶりにその扉を開けてみた。証明を点けようとスイッチを押すが、何度押しても室内は暗いまま。どうやら蛍光灯が切れているらしいが、いつからこのままにしているのだろう。仕方なく手探りで机の電気スタンドをつけた。
「…!」
室内は荒れ果てていた。
本や学校で使う道具が床に散乱しタンスの引き出しは引き出されたままそこから衣類がはみ出していたり、ベッドの布団はぐちゃぐちゃで、枕も床に落ち壁際にはぬいぐるみが山積みになっている。ゴミ箱は倒れ、紙くずやお菓子の袋が床と教科書の上になだれていた。ひどい有り様だ。
しばし呆然とその場に立ち尽くしたが、我にかえると泥棒でも入ったのではないかと思う。あの風介がこんな風に部屋を散らかす訳が無い。まるで暴れた後のようだ。
誰かを呼ぼうとドアに向かう途中ゴミ箱からこぼれたのであろう医療用ガーゼが目についた。がちがちに固まった赤黒い血にゾッとする。
結局晴矢は風介の部屋の事を誰にも話さなかった。一晩過ぎると泥棒が子供の部屋一室のみを狙うわけが無いと気付いた。
風介は夏休みが終わる頃に戻って来て、相変わらずだ。部屋の事を訊く気にはなれなかった。


新学期が始まって1週間も経つと風介の例の気絶の噂が晴矢の耳にも届いた。
突然支えを失った人形のように崩れる倒れ方が派手であることはもといそれが3日に一度は起これば話題にもなる。
風介本人に自覚はなさそうだが言動で目立たなくとも恵まれた容姿が彼を目立たせている。普段さほど話題にのぼらない生徒である分新たに彼自身に興味を持つ者も居る。
廊下ですれ違った風介を見て、晴矢は思わず振り返った。
倒れ方が悪いと物や床や壁にぶつかりこぶや痣をつくる。その時も額に紫色の鬱血痕が浮かんでいた。
(バキバキべきべきバリバリぼきぼきメシャメシャ)
彼の中で何かが起こっている。
激しく何かが壊れている。
切れている。
裂けている。
崩れている。
焼けている。
割れている。
消えていく。

地割れのようなあの音は、もしや俺にしか聞こえないだろうか。
壊れきったらどうなるだろう。

廊下の角を曲がって消えた風介の姿や動きなんかは、実体の無い幽霊みたいに音も存在感も無かった。




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