date 19:



「風介がおかしい」
ある朝玲名は晴矢に言った。なんでもない冷めた顔でも本当は決死の思いだった。
「…おかしくねぇじゃん」
「お前、どこ見てそんなこと…!」
玲名は目を見開いて驚声を上げたが晴矢は益々冷静に返す。
「おかしいのなんて元からだからおかしいんなら正常だ」
「………もういい」
気の強い玲名が今にも泣きそうな顔をして晴矢を睨み、地団駄を踏むように去っていった。
「うるせー…」
晴矢も玲名もどうしても不安定になる時期である。年頃と言ってしまえば簡単だが、それ以前に孤児は繊細で過敏な精神を持つ事が多い。晴矢はともかく玲名は完全なる捨て子なために、身内に会った事は愚か血縁というものの感覚もわからない。美しい女児であったが気難しいために養子の申し出もことごとく頓挫してしまう。
幼い頃からひどく渇いた子供だった。
近頃満たされている晴矢に対し、羨望や嫉妬が全く無かったとは言えなかった。
しかし私情を分離できるくらい、玲名は自分を制御できる。
晴矢の事はうらやましい。
引き取られるのは喜ぶべきだし晴矢のこの先の幸せや未来を妨害したいなんて気持ちは無い。でも言いたい事もある。

風介の自傷がとうとう生命を脅かす程度に悪化した。

無論晴矢はそれを知らないしそもそも自傷癖さえも認識していないはずだ。ただ指を噛む癖があるだとかその程度でしかとらえていない。
『玲名、言わないで』
風介とヒロトと約束していた。
悔しかった。
この事態。誰にもすがれない。姉さん、急いでくれ。
『私たち秘密が多すぎる』
『がんばろう。きっと姉さんがなんとかしてくれるから』
『……いつからなの。
風の、あれ』



中学1年の夏休み、晴矢は2週間の長期を祖父母の家で過ごすことになった。
「よかったね」
「部活通うの大変だけどなー」
珍しく施設に戻っていたヒロトが荷造りを手伝ってくれた。“帰宅”が多い晴矢は旅行鞄にいつも“お泊まりセット”を入れているので大した作業ではなかったが、ヒロトには手伝いよりも目的があった。晴矢と早急に話したい事がある。
「いとこと海水浴に行くんだ。うらやましいだろ」
「へぇ、いいね。じゃあ水着は持った?」
「あ、やべ。ゴーグル忘れてたわ」
「………」
晴矢は少しはしゃいでいた。
長期滞在が楽しみでそうなのはもちろんだが、近頃あまり接触が無かったヒロトとわだかまり無く会話できるのが楽しかった。
「お土産買ってきてやるよ。水族館にも行くから」
「ふふ、楽しそう晴矢。でも宿題も忘れないでね」
「げえっ、うっさいなぁ。台無しだぜ」

いつ、きりだそう。

ひとつひとつ、晴矢の鞄に物が収まる度ヒロトは緊張するような気分だった。玲名からの話を聞く限り晴矢は風介の話題はかなり強く拒否するようだ。どう言えば聞いてくれるだろう。自然で朗らかな会話の中で、ヒロトは手に汗を握っていた。
(言わなきゃ…)
からからの喉がひく、
とひきつる。
(今言わなきゃ)

「随分な荷物だね」

突然の風介の声に2人は驚いて顔を上げた。開けっ放しの扉から風介が颯爽と入ってくる。
(風介は晴矢を避けないんだ…)
あまり施設に居ないヒロトにとってはちょっとした驚き、というくらいだった。
自分を徹底して避ける相手に好意的で居られる人間はそういないが、風介は変わっている。そう驚く事ではないと思った。
「…………あ、いや…
…まぁな」
晴矢は風介から顔を反らすとそっけなく返す。ヒロトはすぐに違和感を感じた。晴矢は酷く戸惑っていた。
「合宿かい?」
「……じぃちゃんち行くから」
「へぇ、いいね。楽しそう。ね、ヒロト」
「あ、…うん」
「もちろん宿題も持って行くんだろうね?」
「っせーな。ちゃんとやるよ」
「ふふ、どうだか。君、勉強嫌いだから」
「………」
「………」

…こんなにあっさりとしたきっかけで、あれだけの葛藤を抱えていた風介との関係が修復されていいものだろうか。
“葛藤”などとっくに放棄していたがそれでも晴矢はそう思った。
避けるだけで解決するわけもないとわかっていたが、向き合うためにはまだもう少し時間が欲しい。
風介、何を考えてる?

「じゃあ、忘れ物のないようにね。楽しんでおいでよ晴矢」

風介が悠々と去ってから、晴矢もヒロトもしばらくは黙って座っていた。荷造りの手も止まり、ただ黙りつくしていた。

「………なんだあれ」

ようやく呟いた晴矢の一言に、全て凝縮されている。
今、風介の様子はおかしかった。口調や態度だけでなく、細かい動きや表情までもがおよそ本人とはかけはなれて思えた。
矛盾だが確かに感じた強烈な気味の悪さが2人の間に漂っている。
「風介…だったよね?」
「……たぶん。いつからだ?
あんな……」
「いや、今朝は…なんとも…」
“もしかして晴矢の前だけかも”
とても言えないと思ったが、ヒロトはすぐにそう思い付いた。あれがこれから風介が晴矢に対する態度だとするなら、良くない。いや、ひどい。あれでは報復ではないか。
「感じ悪ィ…つか気持ち悪ぃ」
「…変だったね」
「……俺にだけか?」
「えっ?…いや、……
さぁー…わかんないけど…」
「………」
結局ヒロトが晴矢に言いたかった事は何も伝えられなかった。
風介が晴矢に話しかけた事で、また事態も転じている。様子を見る必要があった。



(バキバキべきべきバリバリぼきぼきメシャメシャ…)

深夜、晴矢は布団の中で昼間の会話の事を考えていた。話してる時に聞こえてた音だ。
(バキバキべきべきバリバリぼきぼきメシャメシャ)
鞄の中に入れた物を頭の中で確認しながら、どうしてもそれが無視できなかった。忘れ物はないか。部活の道具は揃っているか。そのうち頭が冴えてきて、ふと思い出す。あれは。

『はなさいで』

(風介の中身が壊れる音だ)





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