※ 年齢操作他注意



続・狗と不良
【Dog and bovver bird】



“次郎”に会ってから非行青少年に対する見方が変わったと思う。

以前はどうしても、迷惑な存在という印象が拭いきれなかった。してしまったことを反省して泣き出すような子供にも、それでも自業自得だという厳しい目を持っていた気がする。それで口では優しい言葉なんか掛けてやっていたんだから、最低だな。

『狗が』

あの子に特別優しくしたのはひとくくりにされたダメ警官の1人にされたくなかったから。
そんなところだったんじゃないか。
融通が利かないところは自分の短所だと源田は思う。
馬鹿みたいな正義感の強さでこの仕事を希望した源田にとって、平和を乱す者は全て自分の敵に見えていた。
ぼくはしょうらいけいかんになってわるいやつをみんなやっつけるのがゆめです。
まだそんな意思でいる自分がおかしくなった。

『じゃあ帰る。どうもお世話になりました』

あの日、“次郎”は源田の帰宅とほぼ同時に帰っていった。鍵を律儀に手渡して行ったのはあの子の性格なのだろう。
隠されていて見えていなかった身体は朝日の中で痛々しいほど傷付いていた。
痣、かさぶた、切り傷、擦り傷、絆創膏、眼帯、包帯。いくらでも見てきた不良の勲章に源田は呆れたが何も言わなかった。
徹夜でぼんやりとした頭は飼い始めたばかりの気性の激しい白い猫が、次郎にすり寄るように眠る珍しい姿なんかが気になっていて、次郎が再び季節にそぐわぬ長袖の服を着込み始めた事にも気付かなかった。
口の端があざで赤黒く変色していたし、眼帯と前髪で陰った目元。しかしそれでも整った顔立ちという事はわかる。可愛いなんて、夜勤明けじゃなければ口走りはしなかっただろう。真面目一辺倒の源田は恋人に対しても妙に堅くて誉める時にも台詞をいちいち用意しなければいけないような奴だった。それがあんな怪我だらけの年端もいかない不良少女に、かわいい、なんて。
後で思って不思議だった。


“次郎”が去って気付いたことが3つある。

ひとつは普通ありえない警察官の行動に、
次郎がおとなしく…やや、…概ねおとなしく従った理由。仮説でもあるが恐らく補導から逃れるためだろう。
あの様子では家に帰りたくなかったのだろうが、交番に居続ければいずれ必ず家に帰される。考えてみれば強引な話だ。強制送還みたいなものだ。
2つ目は彼女の精神力。
次郎の怪我の数々はまだ新しく見えていたが、たぶん本当に怪我
“したて”の、手当てもしていない状態だったのだろう。
部屋のゴミ箱に使った覚えの無い絆創膏の空ゴミや包帯のパッケージ、消毒液のボトルなんかを見つけた。ついでに近所のコンビニのレシートと、血まみれのガーゼ。
交番での1時間半、彼女はこれだけの怪我をしながら黙って椅子に腰掛けていたのだ。そして何事も無いように歩いて源田のアパートまで。そこから再び歩いてコンビニ。戻ってきて自分で手当て。
そしてまた歩いて出ていった。

3つ目は、結局何も知らない事。

全部聞こう。
そう言って連れてきたはずの彼女なのに、部屋で待っていた“次郎”を見たら、彼女は本当に女の子で、しかもかなり可愛らしく、華奢で綺麗ででも傷だらけ。
これを部屋に上げてしまったのだとわかった途端、後悔した。面倒と迷惑と、浅はかさ、とにかく後悔。
妙に色っぽく見えたさらけた足なんかはいやらしく感じて不潔に思った。性的な対象を部屋に連れ込んだような気がしたのだ。
次郎にそれが見透されたか、二度と会わないだろう事など考えもせずに心配になった。


最初に交番に連れてきた時の従順さの理由は、怪我が痛くて抵抗出来なかっただけかもしれない。

『気にしないで』

思い出しても辛い声。
“次郎”の事を考えると、源田の正義はぐらぐらと揺らいだ。
帰る って、どこに帰るんだ。
帰る家なんか無いって言ってただろう。あんな怪我をしてどこに行ったんだ。病院には行っただろうか。どんなに疲れていたとしたってどうして自分は止めなかったんだろう。
猫を拾った慈悲さえも、偽物のような気がしてきて、変に自信が挫かれてしまった。
“佐久間 次郎”
偽名だろうな。女の子だし。
歳は中学生?高校生?
わからない。
探す気は無かったが忘れられない分 知らない ということは気になった。
好きな物を訊いても何も答えず、大人を静かに 狗 と呼んだあの華奢な子供はどうなったのか。あの子の前に後ろに大いにたまった問題や事情がひとつも聞けなかった。
源田はそれから“不良”の見方を大幅に変えた。
せめてものと思う独りよがりもわかっていたが、どこまでも真剣に話を聞いたし決して投げやりにしなかった。
するとどんな子供にも何か必ず理由と事情が複雑に在って、次郎が過去に遭った“おざなり”の警官と自分がいかほども違わなかったと反省した。
正論がいつでも正義だという自分のルールはとんでもないほど青かったのだ。


「わんちゃん」

“次郎”と再び会ったのは、また深夜のことだった。

街にあふれる不健康な明かりが有名な進学校の制服をちかちか照らす。怪我は全て治っていて、あれからどれだけ経ったのか、源田はまったく意識していなかった。
「覚えてないか」
くす、と笑った“次郎”が、あっさりじゃあねと手を振るので慌ててその手をつかんで止める。
「えっ、なに…?」
「…、覚えてる…“次郎”」
あの日とまったく違う印象の、短いスカート。可憐な制服。どこから見ても育ちの良いお嬢様に見えた。
「あはは、そうそうじろう。今お仕事中?
じゃあ邪魔しないで帰るね」
再びさっさと去ろうとする次郎に、源田は慌てた。
「話を」
「え?」
「話を……」
「え、なに?補導…?
勘弁してよ…帰るからさ」
髪を耳にかける仕草は女の子そのもので、あの日の“次郎”と同一人物とはどこか信じがたかった。
「…話を聞けなくて…、
あの、俺…約束を」
「…?なあに?」
自分が何を言いたいのか源田自身にもわからない。ただあの日の別れ方に納得がいっていないのは確信していた。
「約束しただろ。話聞くって。全部聞くって。なのに、俺」
「ああ…気にしないで」
「次郎、それ、やめて!」
突然声を上げた源田の目には驚きの眼差しを向ける次郎がうつる。しかし彼女以上に源田が驚いていた。

『気にしないで』

「え…?なに…?」
「それ言わないでくれ。
“気にしないで”。なんか泣きたくなる。もう聞きたくない」
「…へんなの」
次郎はちょっと笑って爪先で源田の靴を小突いた。
「…会えてよかった。気になってたんだ」
「え、探したの?」
「いや……でもずっと気になってて。お前あっさり帰っちゃうし」
「…あの時はありがとう。お礼もろくに言わなかったな」
「…いや…いいけど」
再会よりも制服よりも、源田を殊に驚かせたのは何よりもか細い手首だった。
あの怪我について訊こうとしながら何と切り出すか言い淀んでいると、次郎が捕まれた手首を挙げて小首を傾げる。
「…離して?」
「………」
ゆっくりと手を離すと、次郎は素早く距離を取る。捕まれていた手首をおさえ、ネオンの逆光を浴びて微笑んだ。

「またね、わんちゃん」

拒絶の意識がにじみ出ているその距離を、源田は一歩も進めなかった。





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