2月。
東京はまだまだ真冬らしい。薄着で来てしまった。寒い。

「じゃあ、頑張れよ。無駄を祈っててやるからな」
「うるせえ」
「受からなかったらおぼえとけ」
「どっちだよ、クソッ」
人気の無い校舎の裏門から、不動はゆっくり敷地に入った。
結果を楽しみにしてる、とまた皮肉を言い捨てて、鬼道は発車を指示して去った。
下を見るとひびのひとつもない均されたコンクリートの歩道の上、汚いスニーカーはむなしいくらい場違いに見えた。希望薄だとは思ってないが、自信と言われるとそれもいまいち。

不動は帝国学園の編入試験を受けに来ていた。

(だいいち、
編入試験てなんだよ)
中学だぞ?義務教育だってのに、入れるかテストするって…いくら私立でもやり過ぎじゃあねぇの。馬鹿馬鹿しい気もするし、
なんか…屈辱的。
今までに無いくらいきっちり着てきた制服に、この灰色の校舎。息がつまる。
休日とはいえ人の気配が全くしないのは気味が悪かった。

「本当に来たんだな」
「!」

下ばかり見て歩いていたために前方からの声に驚く。顔を上げると同時に背後から帝国生ではなさそうな学生が1人校舎に駆け込んで行った。どうやら今日試験を受ける者は不動だけでは無いようだ。
声をかけたのは昇降口の真横で壁に寄りかかっていた佐久間だった。
扉のガラスにはワープロ文字で縦にたった一行“編入試験会場”と書かれた小さな紙が貼ってある。ずいぶん控え目なご案内じゃないか。歓迎されてないような気さえもするぜ。
「来ちゃ悪いかよ」
「別に」
「じゃあなんだ」
「止めないけど」
「………」
「………」
階段を昇りきると佐久間は黙って顔をふせた。正月からは少し髪がのびていたがやはり以前の印象からは大分変わった。
違和感がある。
この姿はなんだか妙に気にくわない。見慣れないからか落ち着かない。
「編入案内渡してきたのはお前だろ」
「そうだけど……」
歯切れが悪い。
不動は佐久間に近付いた。目の前に立つと上体を曲げて顔をのぞきこむ。佐久間は目を合わせない。迷惑そうにしながらも照れたように顔を反らした。

「…お母上は納得されたのか」
「またそれかよ。うるせぇな」
「……それにつきるだろう、…」
「ハイハイ」
「不動…!」
何も知らないくせに咎めるような声で呼ばれればこっちだって腹も立つ。
あの母親と話すことは何も無い。不動がどこで何をしてようが、関心を示す事が無いのだ。
「……未成年なんだぞ…」
「ハイそーね」
さも深刻な事のように言う佐久間に苛立ちが募っていく。
「保護者の同意が無くては試験だって受けられないんだ」
なぜこうしつこく“母親の同意”について突っ込むのだろう。鬱陶しくてかなわない。
「同意書送って受理されたからここにいんだろ」
「書類の話じゃない!」
「お前くどいぞ!
構うなよ、うぜえ」
「……後悔するよ、不動」

ふん、するかよ。



結果はその週末に早速送られてきた。もう進級するというこのギリギリの時期にやんなきゃなんないもんなのかね。
不動は合格通知に同封されていた保護者宛の書類を一式居間のテーブルに並べた。明日までに記入よろしく、とだけ書いたメモを一緒に置く。翌朝書類は書き漏らしなく揃えられていた。
長らく母親の書いた字を見なかった気がしてなんとも言えない気分になる。学校帰りに郵便局に寄るつもりで、持って来た書類を何度も読んだ。

『お母上は納得されたのか』

急に思い出された佐久間の言葉と思いがけない母親の了承が不動を揺さぶる。
ここを離れていいだろうか。
友人の家に泊まった夜、世界大会で空けていた家、あの悲劇の家にたった1人の母親をいつも忘れられなかった。

『4年間だ。よくよく話し合って決めた方がいい』

年末の祝賀会の後、帰り際に佐久間から渡された封筒には帝国学園への編入案内が入っていた。
その内容をまとめると、審査の結果あなたに受験の資格が与えられました、受ける気があるなら申し込んで受けにこい。こんな感じ。
さすが天下の帝国様だ。是非来てくださいというニュアンスの文はひとつも無い。それはそうか。試験があるんだからな。
しかし不動は即決した。これ以上にないくらいのチャンスだと思った。
受かれば特待生扱いになる。授業料も寮費も無料。生活費も定額ではあるが支給される。もちろん部費もかからない。この好条件で帝国でサッカーができる。飛び付かないわけがなかった。
『行く』
『…わかった。受けるんだな?』
『試験て筆記?』
『筆記と実技。書いてあるだろ。面接は無し』
封筒の裏に走り書きされていた電話番号にかけてみると、予想通りに佐久間が出た。やはり電話で聞くと声が高い気がする。
『俺成績悪いぞ』
『平気だろ。重視されるのは実技だから』
『いや…でもな…』
『そんなに心配な状況なのか』
帝国は勉強のレベルも高い。大会中の佐久間の課題を見てみたが、あれを日常的に課されるというのはかなり不安だ。
『まぁ…勉強嫌いだし』
『……そうか』
『お前合宿ん時やってたじゃん。帝国の課題。あんなの出るなら無理』
心底嫌そうな声に佐久間が笑んだ気配を感じる。
『試験は一般公立のカリキュラム範囲を出ないよ』
『…うーん…』
『…それより不動、お母上は納得されているのか』
『あ?当然だろ』
この時はまだ話してさえいなかったが反対する訳もないと嘘をついた。
『………ならいい』
佐久間の声は神妙だったが不動はここを出られる可能性に舞い上がっていて気にならなかった。
『予想問題とかないわけ』
『苦手な教科を勉強しておけばいいんじゃないか』
『それじゃ間に合わねえよ!ほぼ全部苦手だから』
『……ん…じゃあ…あきらめろ』
同情混じりの声に不動は尚もすがりついた。
『おいこっちは必死なんだぞ!なんかないか?必勝法』
『……じゃあ要点まとめて送る。それ覚えてれば少しもましだろ』
『やった…!サンキュー』
これで大丈夫だとでもいう不動の反応に、佐久間は冷静に念押しした。
『言っておくが範囲とかはない。あくまで2学年までの要点強化。それだけやっても意味が無いからな』
『えー…』
『他の受験のサポートは鬼道家が行う。安心して準備してくれ』
『えっ?鬼道?』
『不動、4年間だ。
よくよく話し合って決めた方がいい』

じゃあな、と電話を切られてそれ以上訊くことはできなかった。

佐久間は不動が母親と何も話していないと勘付いていたのだろうか。
4年という歳月を考えてみたがぴんとはこない。
試験までの期間、不動が連絡する度に、佐久間は母親のことを訊いた。不動はそれをいつもうやむやにしてきたが、合格が決まって急にわかった。
決定的に離れた場所に4年もの間居るという事。漠然とした例えようもない感情が絶えず不動に問いかけた。

“本当にこれでいいのか”

『溝があるまま来てはいけない』

佐久間が投げ掛け続けた言葉の意味を、不動は捉えきれて居なかったのだ。



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