人気の無い駅のホームで夢心地に響くアナウンスと、笛、走行音。
本当は明日の朝に発つつもりだったけど、思い立って今日帰る。時刻は間もなく10時を打つ、澄んだ夜の駅だった。

「………」

は、と吐いた息が白く、揺れたかと思うと消えていく。
ここは寒いな…
目を上げれば古い感じの送電線が幾重も幾重も絡まって、あっちへこっちへのびている。不思議に綺麗だ。
ホームには不動と数えるだけの人しかいない。皆うつむいて手に持つ小さな液晶画面に夢中に見えた。中にはベンチで居眠りしたり、新聞を広げる人も居る。
地元の駅とは随分様子が違うのだな…
ちらほらと人が集まり出した。
そろそろ電車が来るのかもしれない。

帰る?今から?なんで?

ミニゲームを行っていた雷門中のグラウンドで、鬼道に言った。今日帰ると。
本当は明日にとった飛行機の席があるのに、どうしても帰りたくなった。今日。どうしても。
理由なんか別に無い。
あんなに会いたかった仲間に会って、あんなに焦がれた“正しいサッカー”の中に居て、帰りたくてたまらない。
不思議ではあったが、耐えられなかった。1秒でも早くという焦りさえも持っていた。

のびた髪がふと揺れる。海の近い地元の駅と比べれば、風は随分控え目だった。
しかし寒い。やっぱり帽子が欲しいな。

──2番線に、列車が…

自分の立つホームに光る2の文字を確認すると、乗車目安位置に移動する。古いスニーカーがみすぼらしい。下ばかり見ていると気付いたが、顔を上げる気にはなれない。
轟音と突風と共に電車がホームに入ってくる。何両あるんだこれ。人工物の果てが見えないというのはいつも不動に不思議な思いを抱かせた。
馬鹿みたいだな。
何故かここに来た目的が果たせなかったような気になる。招待されて、試合やって、皆に会って、全部じゃん。電車から降りる人を待つ。皆どこか疲れて見えた。正月なのに不景気なことだ。
車両に乗り込むと席はあったが扉の傍に寄りかかった。乗り合わせのアナウンスが流れてホームに時計を探す。6つ先の駅から、寝台列車に乗って帰る。時間に余裕はあるはずだけど、時刻を確認できるものがないのは不安だ。かといって人に訊くのも面倒で、不動は目を閉じた。
隣のホームに電車が入る。ようやく出るかと目を開ける。

「不動!」

まさにその刹那だった。

階段から昇ってきた子供は時間帯のせいかよく目立った。グレーのパーカにブルージーンズ。革のブーツまでしっかり見た。それでもう一度顔を見る。まさか、
ちがう。

パーカの子供は大人の視線に気付きもしない。まっすぐ不動に駆け寄ると、息切れながら腕に手を置く。組んだ腕に刺すように冷えた指が当たると目が冴えた。
「………」
「………」
引かれるままに電車を降りる。子供はまだ息を切らしてうつむいたまま短い呼吸を繰り返している。
誰だこいつ。
わかっていながら考えた。混乱していたといえばそうだろう。
「…不動、……会えてよかった」
佐久間…
「髪……」
短い。
「、え?」
「あ、いや、…」
空気の漏れる機動音がして不動の背後に戸が閉まる。
「あ…」
躊躇もなく走り出した電車に都会の不気味なせわしなさを感じる。佐久間に向き直るとまだ苦しそうに肩を上下させていて、その度白い呼気がこぼれる。
ゆるく掴まれた左手首。
しとりと柔らかい指に、がぜん神経が集中する。

「!」

急に上がった佐久間の顔は、思うよりも近かった。頬が赤い。わずかに涙ぐむ目が必死に見えた。
「…間に合わないと思った…」
「……間に合ってないだろ。偶然遅れてたんだから」
「へへ、そっか」
鼻まで赤いこの顔は、自分のために走って来たため。不動はまだ信じられないような、不思議な気分で立っていた。
佐久間がすっと姿勢を正す。呼吸を完全に整えると、先に喋ったのは不動だった。
「…髪、切ったのか」
「…、へ…?」
一瞬、ぽかんと見つめ返されて、自分でも妙だと気が付いた。今言うことでもなかったか。それでもぽろりと言ってしまった。
佐久間は、笑った。
不動はなんだか照れくさくなって、目をそらしたり首をかいたり落ち着かない。こんな時間に男2人で向かい合ったまま人の居ない元旦のホームに突っ立ってるのも珍妙に思えた。
「…どうしたんだよ」
「……帰るって、聞いて」
佐久間は不動から目を離さなかった。会えてよかったと言った言葉が真実味を増して不動に届く。しかしそんなことに気付く度に、照れくささも増していく。
「…祝賀会で会えると思ってた」
非難を込めたはずなのに、思いがけずにすねたような声になってしまった。
「うん…。…おれも」
「来ねぇからさ、お前…」
「…ごめん。……行きたかったんだ。本当は。すごく」
淋しそうな顔をする。
それを見たらどこかにあった責める気持ちがすっかり消えた。来たかったんだ。こいつだって。わざわざ電話してきたんだから。俺にさえも会いたかったんだから。
「…まぁ、また機会もあるだろ」
「だといいな。…不動、元気そうで」
髪の短い佐久間は見慣れなかったが会えた事は素直に嬉しかった。
徐々に懐かしさもわき起こる。真冬の夜中に真夏の真昼がよみがえる。あの島での戦いの日々が鮮明に。
「背がのびた」
「ああ、まぁ」
「髪も」
「お前は短くなったな」
「声も少し、変わったな」
「…そうか?」
「不動、会えて嬉しい。
あけましておめでとう」
いちいち優しく微笑む佐久間が、ふと込み上げるくらいに愛しくなった。
「…ああ」
「次の電車で行くといい。快速だから鈍行より早い」
唐突に別れを言うのに驚いたが、それだけが急に淋しげなのが可愛いと思った。こいつはこんなに愛嬌のある奴だったっけな。久々に会ったせいでそう思うのかね。
上気していた頬の赤みが引いていく。相変わらずの片目の佐久間。しかし医療用の眼帯が、物々しくてどきりとさせる。それを訊こうか迷ううちに、列車の到着を知らせる放送が流れる。
(佐久間、…懐かしい…)
本当に、俺にただ会うためだけに走って来たのか。
本当にたったそれだけのために?

新年のあいさつを交わしてからこちらひとつも会話をしていない。微笑む佐久間と突っ立ったままみつめあう。今更状況に疑問をもったが違和感は全く感じていなかった。
「…11時過ぎの寝台で行く」
「うん。気を付けて」
「………」
「………」
再び背後に電車が入る。扉が開くとほぼ同時に、佐久間から離れて乗り込んだ。
「!なに、」
「不動」
乗り込む過程で佐久間は不動のジャケットに、何か封筒を滑り込ませた。
「……」
「……」
「…待ってる」

ドアは閉まり、電車は走り出す。
不動は佐久間を見詰め続けた。見えなくなるまでずっと見ていた。

『待ってる』

さよならもなく、ただそれだけ。

それが不動には嬉しかった。




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