act 05.



臨時休業。その貼り紙が店の扉に突然姿を現したのは日の沈みかけた頃だった。
「だって、いきなりです」
「いきなりったってねぇ。お行きなさいな春奈」
「そうですよ、お嬢さん。間違いならそれで良い事に済むんですから」
臨時休業の発端は、春奈の駄々と混乱だった。

唐突な話だが、このところ通ってきていた例の書生、鬼道が、春奈に初めて会った今日に、
お前は俺の妹だよ と
そんなことを言ったのだ。
つまり俺はお前の兄さんだ

なんの冗談だと思う。
春奈はこの店の主人夫婦の娘であるし、鬼道の一家とは全くなんの関係も無い。勇気と次子なんかは鬼道の気がふれたかなんて思いもしたが、どうも違う。
春奈から即に出るはずの、否定が無いのだ。2人は黙る。
『…そんなはず、ない…』
ようやく細々出てきた言葉もいまいち弱い。否定しきれない事情なんか、あるのだろうか。
鬼道が店を去ってから、ご主人が出てきて席に座る。奥さんもとぼとぼと隣に来ると、うつむき気味に佇んでいる。
そうやって、やれ聞いてみれば春奈は養女で血縁関係なんか無い。養護院には兄が居たが、時期同じくして別宅へ引き取られたと。
意外にも春奈は知っていた。
それに驚いたのは勇気と次子の2人だけで、春奈はすましたものだった。これに特に何も無い夫妻。春奈はどうやらこの家に引き取られてから10年と経っていないらしい。
「迷ってるんじゃないの。あの人たぶん本当に、私の兄です」
反射的に店主夫妻を見ると、複雑そうな顔である。
春奈は間違いなくこの家の娘だった。どこまででも親子に見えるその絆や情はゆるぎない。しかし肉親というものは、厄介に断ち切りがたい。しかも春奈は兄を探していた。
「兄さんが大変なお家に引き取られたことだけは知っていました」
春奈は勇気と次子に説明した。
「だから、いっぱい勉強して、立派な仕事に就けばいつか、」
「お兄さんを探す手立てがみつかると思っていたのですね」
「…はい」

鬼道は週末の晩餐に、春奈を招待したいと言った。
父に、妹を紹介したい。お前にも父さんを紹介するよ。
あの様子ではおそらく鬼道も、ずっと春奈を探していたのだ。勇気と次子はそう勘づいていた。
「きっとお嬢さんの噂なんかを聞いて、店に通っていたんでしょうね…」
勇気の想像ははずれてしまった。次子目的の通いではなく、妹の引き取られた店や春奈の様子を探り探りにしていたのだろう。それ以前に“春奈”が本当に本当の妹か、知る必要もあっただろう。また、ご主人の方も何かうすら気付いていた部分があったかもしれない。鬼道の来店時は頑なに店に出なかった。
「私、お嬢さんの話をしたことはありませんでした」
「はい」
「それなのにあの髪紐、私とお嬢さんにと渡されたので…」
鬼道の蔭ながらを考えると、切なく思う2人だった。
しかし春奈の戸惑いもわかる。兄に再び会うのもどうしていいやら悩むだろう。
本当の兄なのだろうか。家に招かれてそれからどうなろうか。兄の家族に会うのも不思議だ。別たれた運命が今さらどうしても胸に刺さる。
そして養父母の心持ちはどうだろう。
春奈はゆうげの後すぐに、疲れはてた顔のまま、寝室にとじ込もってしまっていた。
「…どうするでしょうね、お嬢さん」
「どうするでしょうね…」
銀の匙を磨きながら、勇気と次子もひきずられるように憂鬱な夜を過ごしていた。

一晩明けてくよくよしない質に春奈は立ち直る。
「迷ってたって仕方ないですものね。私、会って来ます。間違ってたって何も悪いことじゃあないのだし、富豪の食卓にお邪魔するなんて、この先あるかわからないものね!」
清々しい娘だ。
店主夫妻もそう言われてはなにやかにやの思いも吹っ切れたのか、じゃあ何を着ていこうかなんて、急に明るくなったのだった。

怒涛のことはこれに終わらない。

春奈はその翌日に、今学期の成績優秀者として学校から表彰を受けた。
「鬼道の家に訪ねるのに威勢がつきますね。大したこともないのだけど、やっぱり私に自信が持てるもの」
清々としていても、日が近づくにつれ緊張が増しているのは端で見ていてよくわかった。そわそわと落ち着かない春奈。
それからその翌日には、食事会に参じますと店に来た鬼道に伝え、すると鬼道は次子と勇気も招待したいと金の箔が捺された招待状を三通置いて帰っていった。嬉しそうな姿。きっと春奈が緊張しているのだと気付いたのだろう。心遣いは兄のものだ。しかしここは、次子も勇気も遠慮した。
嬉しそうな鬼道。
行くと決めた春奈。
そこに入り込む野暮はさすがにしない。しかし春奈に頼み込まれ、往路復路の送り迎えだけは引き受けた。
それからは毎日のように衣装合わせやらご招待の御返しやらと大忙し。奥さんは着物を新調しようなんて言い出したけれどそんな時間は当然無い。結局入学祝いに作った赤い振り袖を着ていくことに決めた。髪には兄から貰った髪紐。普段活発な春奈でも、こうして見れば人形のような少女であった。
「とてもお似合いですよ」
「やめてください次子さん。もう何回目ですか」
「だって、とても可愛らしくて黙っていられないのです」
にぎやかな道のり春奈はひたすらもじもじと、落ち着かず、恥ずかし気に歩幅狭く歩いていく。
街から少し外れた場所にある鬼道邸の姿が見えてくると、春奈はとうとう立ち止まり、ああどうしようと不安を口にし出す。一方次子と勇気はのんきなもので、めったに来ない街の外れから見える街灯りを綺麗だねと指差してみたり真横に広がる不気味な林も少し奥に咲く花をみつけては可愛いねなんて言っている。
春奈の不安も緊張も、のんびりとした2人の会話に少しずつ少しずつ解れていく。
「いってきます」
「お帰りは8時でいいのですよね」
「はい、その頃に」
「楽しんで来てくださいね」
次子がにこりと春奈の両手を包んで笑う。春奈はふぅと息を吐くと、ありがとうと呟いて、背の高い重そうなブロンズの門に向かい、しっかりとした足で歩いて行った。





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