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長い間施設に関わろうとしなかった瞳子が、ある日唐突にやって来た。急いでいるような焦っているような、そんな様子だった。
何はさておきずかずかと、全ての部屋を見て回る。
部屋に居た子供に声を掛けることもなく、次の部屋、次の部屋。誰か探しているのだろうか。

晴矢は学校に提出する書類を事務室に持って行く途中で瞳子を見つけた。気付かれないようについて歩いたが、なにか必死なように見える瞳子には、気配を消さずとも気にも止められなかっただろう。
何の用なのかまるでわからない。

瞳子はこの3年施設に関わりはしなかったが、全く訪れなかったわけではない。
1ヶ月に3、4度程、ヒロトと父さんと食事に出かける。
瞳子が車で迎えに来ると、ヒロトは嬉しそうに飛び出して行ったものだ。しかし最近はそうじゃない。気落ちしたように帰ってくることが重なって、とうとう行くのが辛そうな、嫌そうになってしまったヒロトは見ていられなかった。
それでも出掛ける時だけは、瞳子に笑顔を向けるのが健気だった。
晴矢はヒロトが気の毒に思えた。瞳子に敬語を使うヒロトを見たときは、どうしても可哀想で何故か無性に腹が立った。
しかしそれを風介に話したら、ヒロトの敬語に非常に戸惑い、悲しそうだったという瞳子の様子を聞かされた。なんというすれ違った姉弟だろう。お互い大事なのに、何故こんがらがるんだろう。

それを伝えてやろうかな。

ヒロトは、お前を好きだぜ。今でも施設じゃ嬉しそうに、姉さんは、姉さんがって、よく話す。
それを教えてやろうかな。
そう思って瞳子に近付いた。瞳子は相変わらずずんずん進んで戸を開けては中を見て、そして次へ。また次へ。晴矢は手に持つ書類の事など忘れていた。瞳子を追いかける。追い付いた時には彼女は全ての部屋を見終わり、難しい顔で深いため息をついていた。

「ひとみ!」

近付いてみて驚いた。幼い日々晴矢にとっては大人に見えた、立派な“瞳子姉さん”は、今は対して大きく無い。果てしないと思っていた歳の差さえ、気付いてみればたった10年だったのだ。

「……晴矢……」
「おう」
「……大きくなったわね…」

晴矢はヒロトを迎えに来る瞳子の姿を何度も見てきた。しかし一方で瞳子は、この3年の晴矢の成長をまるで知らない。驚きがぬぐえないようだ。
「瞳子は、ちぢんだな」
「…あなたが大きくなったからそう感じるのよ」
瞳子は、わずかながら緊張していた。
順風満帆だったこの施設を、壊したのは晴矢だった。
3年経っての再会。
瞳子は動揺していた。晴矢に会うことを予測していなかった。ここに居るのはわかっていても、それは考え付かなかった。
目的に必死だったのだ。
「………」
「どうしたんだ?ヒロトなら部活行ってるけど」
「……、あぁ、…いえ…」
言いよどむ瞳子。
問い詰めるつもりは無い。晴矢は話題を変えた。瞳子が自分に対し、身構えているのがわかる。もしかしたら責められるか、説教されるか。瞳子に会ったらと予想していたことははずれたが、それでも不自然な再会だった。

「…こわい?」
「えっ…」
「俺、まだ、殴るよ。人…」
晴矢はまっすぐ瞳子の目を見ながら言った。
「……」
「ヒロトと、……風介にだけはなにもしてない。でも女子でも関係ないし、ここじゃ爆弾みたいなかんじ」
「…晴矢…」
「でも殴りたくて人に近付くわけじゃないから。怯えるなよ。今は風介が居るから暴れても止まる」

瞳子は、……

「……ええ…
ごめんなさい。恐がったりして」

晴矢の突然の言葉にうち震えるような感動を覚えた。

瞳子の用事は別にあった。
晴矢のことなど全く、思い付きもしないことであった。
まだ思うところはあれど、あれは、あの事件は過去のものだ。
自分の努力を無下にしたのだと、もしかしたら恨んでいたかもしれない。子供相手に、本当の恨みを持っていたのかもしれない。大切にしていた場所を壊した。晴矢は恐ろしい存在だった。
しかし…
(見抜かれるのだな……)

晴矢が言った言葉の素直さ、率直さは瞳子に響いた。
晴矢はここで、瞳子が居られずに逃げ出したここで、耐えて、戦って来たのだ…

どうにも素直にいかない子供だったはずの、晴矢。それが今やこんな事を言うのか…
成長とは、素晴らしいな…
成人した瞳子にとって、子供の世界はもはや異世界の事だった。子供らしい感覚は薄れ、慣れと常識にかためられている。それを痛感した。

「ヒロトじゃねぇの?」
「え…?」
「ヒロトに用事じゃねぇのか?」
晴矢はそう言ってあくびをした。
この姿、とても人を殴る子に思えない。随分安定して見える。それとも晴矢の異常性は、そこをも凌駕する程なのだろうか…
「…ヒロトは、部活ね…」
瞳子はどちらとも言わない。
「……風?」
「え、…いいえ…」
「それもハズレ?
…じゃあ、うーん…」

成長した晴矢の姿は、瞳子にとってただ驚かされるものであった。
喜びはあるが、しかし、…

…考え過ぎだったのだろうか…

「…なぁ、変なカオ。腹でも痛いのか?」
晴矢が首をかしげるようにして覗きこんでくる。その仕草があまりにも子供らしくて無邪気だ。
(私は今日までこの子を、悪魔のようだと思ってきた…)
「おいって。大丈夫か?」
(とんでもないことだ…
やはり考えすぎるのは良くないわね…)
瞳子は頷くと晴矢の肩に軽く手を置いて、じゃあね。それだけで帰っていった。

瞳子の目的は晴矢でも風介でもヒロトでもなかった。
彼女には他に危惧することがあり、それは施設全体に及ぶことだ。しかし予想していた事態は無かった。
晴矢は、晴矢だけでなく、子供たちは皆健やかで、問題の無い子供に見えた。
(考え過ぎなの…?)
頭が痛くなってきた。手遅れが許されない事なのに、何の手がかりも掴めない。
(…焦ってはいけない…)
どんなに自分に言い聞かせても、焦燥感はぬぐえない。


帰り際に小学校のグラウンドで、元気に走るヒロトを見た。
(やはり杞憂なら、それに越したことはないけれど…)

ヒロトはネットの向こうに立つ瞳子に気付くと、大きく手を振り見せてくれた。
ふいに込み上げる。
やはりあの子も“ただのいい子”だ。
私の愛する弟……


…敬語をやめてと、今度言おう。
私はあの子を愛している。




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