携帯電話の画面にいつの間にか着信の知らせ。見知らない番号が表示されている。
何の気なしにかけかえすと、なんと小鳥遊忍。予想だにしなかった。
「お前かよ…」
『電話に出ないから死んだかと思ったのに』
「残念でしたァ」
『アンタってかけかえすタイプなんだ。意外』
「用は…」
キャハハハハハ!
女は容易く高い声をあげる。地声から急に高くなる笑い声はニワトリを思い出す。
「何、うるさい。狂った?」
『あ?うっせぇバァカ何ボサッとしてんだよグズが!』
この調子で小鳥遊には不思議とヒステリックな印象が無い。
グズが、などというセリフは、他人に言っても言われた事は無かった。
不動から飛び出る暴言はいつでも暴言でしかなく、誰かを奮起させたり叱咤するものであったことなど一度も無い。グズと思ったからグズと言う。
そしてそれは小鳥遊も同じだろうと感じた。
不動をグズと罵りたくなる事が彼女には有るのだろう。

心当たりは、無いわけじゃない。


『綱海くんの番号?勝手には教えられないよ』
『なんでだよ』
『一応個人情報じゃない。綱海くんに確認してからなら、教えられるけど』
『………』
『メールしてみるね』
『いや、やっぱいい』
『そ?』
『あー』
つい先日ゲームセンターでヒロトに会った。
全く偶然だったが、恋人らしき女と歩いていたので声をかけるのを遠慮してやったのに、
『あれ、不動くんじゃない!偶然だねぇ1人?』
『おお…久しぶり…』
ヒロトの隣に居たいかにも気の強そうな女は、自分をないがしろにされた気がしたのかヒロトを非難するような仏頂面で終始黙っていた。
『彼女?美人だな』
『あー、うん。おれはそのつもり』
『何?一方的?』
『うーん。向こうも多分、そのつもり』
朗らかなヒロト。
やはり不思議だ。害はなさそうだが底知れない。そういう奴だ。
彼女(のつもり)は唇を尖らせ眉間にシワを寄せた露骨な不機嫌面のまま、クレーンゲームに挑んでいる。
『なんかね。お互いキョウダイみたいなもんで、ずっと一緒だからどうしようもなくて』
『何が?』
ヒロトは彼女にどこまでも優しい目を向ける。
『特別な好きの前に家族だったから、そこからどうしていいのか微妙なんだ』
『ふーん?』
『大好きなんだけどね』
『………』
不動はよっぽど変な顔をしたのだろう。
ヒロトは笑い出し、楽しそうにしているのが気にくわない“彼女”に不動はにらまれる。
『不動くんも難しいよね』
『あ?』
『大好きなのにね』
『ああ?』
『でもそしたらもっと真面目にしなよね。おれが言うのもなんだけど、ボヤボヤしてると盗られちゃうし』

その時はとぼけたフリをしたが、ヒロトはわかっている。
そして不動もわかっている。
何のことなのか、誰のことなのか。

食い下がればよかったのだ。

多分、ヒロトは不動を試した。
個人情報だからなんてそれらしい理由を述べはしたが、関わる三者にそんな確認が必要で無い事はわかりきっている。
了承を得る手順が発生したことで綱海の不意をつく機会を失うならば意味がないとヒロトに露呈した気分になった。おそらくそれは本音だろう。
その面倒な手順を踏んでもなおというくらいに必要なわけではない。そういう虚勢も張った。

綱海と話す目的は何かといえば今の面では不明瞭だ。
何がしたいのかわからないなどという体験は初めてのこと。
何かをしなければならないのに、行動しなければ後悔するとわかりきっているのに、どうしたらいいのかわからなくて立ちすくむ。

『待ってる』

俺をこの場所に導いたのはお前なのに。


規則的な軽い金属音。
ファスナーの金具が襟で揺れている。あとは靴が地面を蹴る音と、呼吸、衣擦れ、遠くの野球部。
もうグラウンドには誰も居ない。
練習は1時間前に終わり、部員も解散している。
とっくにくたくたなのに何故走っているのだろう。
早く帰って風呂に入り、借りた漫画を読んで寝たい。
今日、メシは何だろう。
肉が食いたい。揚げ物か丼物か、とにかく胃がからっぽだから…

金属バットが硬球をとらえる、痛快な音が聞こえて来る。
野球部に所属している友人たちを思い出し、スターティングメンバーに入れない悔しさを語る姿がよみがえる。

ここは特殊な場所だ。

全国から腕自慢が集まって潰し合う。
他所に居れば一番でも、ここに来れば底辺だ。
そういう場所だ。
不思議じゃないし珍しくもない。上には上が居て、それぞれの世界は広く深い。

不動もそういう世界に居る。

だけど自覚が足りなかった。いや自覚などしていなかった。
隣の仲間が実は敵で、その身の内では自分を呪っているかもしれない。
不動はそういった事に対し、無防備で無頓着だった。
野球部の友人らが悔しいと言うのを、わかった顔で聞いていた。2軍3軍の部員など、居ないも同然の存在だった。
田舎の小さな学校での部活ではレギュラー争いなどほとんど無い。中学で編入した後も、一度もスタメンを外れなかった。
だから知らなかった。

(悔しい……)

今日、1軍に入り初めての公式大会でのスターティングメンバーが発表されたが、不動の名前は呼ばれなかった。
試合で相手のチームに負けたり、何か屈辱を感じたり、腹の収まらない事があったり、そういう悔しさとは種類どころか次元が違う感情。

『えらくなりなさい』

どうやってやり過ごしたらいい。
何に対するものなのかわからない焦りが喉元にせりあがってきて、苦しい。
金を取り立てに来ていた男たちの声がぐわんぐわんと頭をよぎる。見付かってはいけない。どんなに恐くても。部屋から出てはいけない。

逃げている気分だった。

立ち止まるとその瞬間に、奴らに見付かってしまうような気がするのだ。
(来るな、来るな、来るな…)
最早トレーニングではなくただ走るだけなっていたが、やがて足がもつれて転び、しばらくしてからようやく立ち上がり歩き出す。
胃の軽さも脚の重さも、夜の前には意味など無く、敗北の下では気配さえ無い。
(悔しい……)

落ち込んでいる自分がハッキリとわかる。
悔しい。
それは不動が最も多く経験し、全く意識せずに過ごして来た、背負う辛さの正体であった。


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