date 11:



誰にも言ったことは無いけど、たぶん、信じてもらえない。

俺には風介の“芯”のような、まんなかの部分が壊れていく音が聞こえていた。
音は聞こえていたけれど、俺にしか聞こえない。
なんの音かもわからなかった。

出会って10年経った。
今はもうその音は聞こえない。壊れきったか、壊れるのが止まったか。
後者ならいいけどたぶん前者だ。
壊れきるのに10年かかった訳じゃない。ものの3年だ。ものの、ととるかよくぞととるか、…
どちらもだ。よくぞ3年ももたせたが、ものの3年で壊れきってしまった。風介は強い子供だったと思う。
なんだかふわふわしてて、一見弱そうだけど。健気なんだろう。そういう子供だった。


いつから壊れ始めたのか、明確な時はわからない。
でも、俺にしか聞こえなかった。

風介はまだあの頃の、ぎたぎたに傷付けられた男の子のままだ。




きっかけは覚えている。

晴矢、風介共に小学5年の春のある日だった。
春といっても夏も近い、気温の高い日が続いていた週の末日。

風介は風のよく通る、涼しい部屋で1人本を読んでいた。相変わらずの1人。しかし室内には晴矢も居た。会話も無く、本当にただ居ただけだったが、晴矢は風介を見ていた。
さわさわ通る風が過ぎる度、揺れる髪の様子が綺麗でずっと見ていた。

この頃から晴矢は時たま風介に触りたいと思うことがあった。

今まで散々見てきたくせに、見たいと思うのも妙だった。
それでも晴矢は別段戸惑いもせずにそれを受け入れ、稀に実行した。風介に触れると気分が落ち着いていくのがわかる。それがとても気持ち良かったし、風介の白い肌がしとりと指に馴染むのも好きだった。


(…触りたいな……)

この時もそう思って見ていた。
風介の回数の少ない、ゆっくりとした瞬きに見とれていた。


「…、なんだろう…」
「え?」
「………呼ばれた」
「えっ?本当に?」
「………」
「聞こえなかった…」
「また、ホラ。玄関の方だ」
行ってくる、と本にしおりを挟んで立ち上がる風介。
ゆるやかな動きをまたしっかりと眺めて見送る。

ばきん。

この後、1回目の“壊れる音”を聞くことになった。


あまりに戻ってこないので、気になって玄関まで行ってみた。しかし風介は居ない。
玄関から近い部屋を順に見回ったが見つからない。ならば外に出たかと窓から庭を覗き込んでも見当たらない。行き違いを思い付いて元いた部屋に戻ると風介が読んでいた本が棚に戻されている。風介が片付けたならやはりことごとく行き違っているようだ。
晴矢はもう一度玄関に戻ってみたが、風介の姿は無い。
最後の心当たりであった寝室でとうとう見つけ、何の用も無かったことを思い出す。
それでも風介の近くへ寄った。
「探し回ってぐるぐるしてた」
「………」
「呼ばれてたの、アレなんだったんだ?」
「………」
「……風?」
「これ読んでくれない」
風介が不躾に突き出した手には白い封筒が持たれていた。何も書かれていない、ただの白い封筒。
「…手紙?」
「お願い。読んで。こわかったら捨てて」
「こわかったら?……手紙が?この手紙が?」
「そう。お願い」
晴矢はとりあえず封筒を受け取った。風介が握るように掴んでいた箇所が湿ってぶよぶよとふやけている。
裏返してみたが宛名も差出人も無い。ただ妙に化粧臭くて胸糞悪い気分にはなった。
「…俺が先に読むんでいいの?」
「あのね、こわかったら途中でやめたっていいよ。ごめんね晴矢こんなこと頼んで」
やけに喋るので少し違和感は感じていた。焦っているみたいな、怯えているみたいな。
でもそれよりも“こわいかもしれない手紙”とは何事だろう。晴矢の興味はそちらに傾いていた。
「じゃあ、読むぞ」
「うん…ごめんね」
「………」

そんなに詳しくは覚えてないけど、内容は大体こんな感じだった。

ふうちゃんへ
元気かな?ふうちゃんに会えなくてママはとっても寂しいよ。
プレゼント買ったけど気に入ってくれたら嬉しいな。ママはふうちゃんをずっとずっと愛してるからね。
ママより

確かにこわい内容だ。
一般家庭の子供が受けとるならおそるべきことは何も無い。でも風介は虐待を受けていた。
見るところ差出人は母親のようだけど(本当のかは知らないが)、うさんくさくて目眩がする。
風介は施設に来て5年経つ。
風介の親は一度も会いに来ていない。手紙が来たのも初めてのことだ。俺でさえ、顔も知らないじいちゃんとばあちゃんから、毎年年賀状が届く。クリスマスにはプレゼントが届く。
今日この日まで放っておいて、今更何の用があるのだろう。
「お前の…かーちゃんからみてぇだけど」
「…!」
「………」
明らかに表情が固まった。
幼少期からのことだが風介の感情は大きく高ぶるほど外には出にくい。
それでもここ2年程は“ちょっと表情の乏しい子供”くらいになっていたのに。それだけ、風介を揺さぶることなのだ。
「……読む?」
「………」
風介は答えない。必死で息をととのえているのだろう。激しく脈打つ心臓の動きが体をわずかに揺らしていた。
「……それは、」
「……」
「そっちの、その箱は?」
「………」
「………」
「………」
「………」

2人でしばらく黙っていた。部活から帰ってきたヒロトが隣室で乱暴に鞄を置き、ああ疲れたとか言っている。風介の皮膚には汗がにじんでいた。冷や汗だろう。顔色にも血の気がなかった。
ふいに、風介が箱に軽く手をかける。30センチ四方くらいの大きい箱だ。破れた包装紙が横にたたんで置いてあるのでおそらく“プレゼント”なのだろう。
「開けるのか?」
「………、く」
風介は顔を歪めた。
そして立ち上がると間髪入れず箱を蹴り倒す。軽い音がして蓋が外れ、熊のぬいぐるみと飴やチョコなどの菓子類が出てきた。
まともじゃねぇか。
そう思った。
10歳を過ぎた男の子に熊のぬいぐるみというのはセンスが無いが、もっといかれた物がつまっていると予想していたので驚いたのだ。
これは案外、虐待していたのは父親だけで、母親は本当に風介を大事に思っていて、泣く泣く施設に入れたとか…
なんてことは無さそうだ。
風介は熊を見ると小さく叫び、うろたえ、晴矢の手から手紙を奪うとむさぼるように読み始めた。その異常な光景を晴矢は忘れない。
風介は何度も何度も繰り返して手紙を読んだ。
そして熊を睨み、手紙を捨て、晴矢に思い切り抱き付いた。

ばきん。

この時はじめてこの音を聞いたのだ。
風介のまんなかにヒビが入る、苦しくなるほど痛い音だ。

風介はそうしながら泣かなかった。

晴矢は風介をなだめながら、幼い日々毎日のように、ヒロトに抱き付きぐずっていた、あの頃の姿を思い出していた。





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