date 07:



血の反応は様々である。
怯える子、嫌がる子、気分が悪くなる子や、興奮したり、騒ぐ子。
風介は無反応を極める。
大きく傷を創り流血しようと、もちろん泣きはしない上痛がりもしない。文字通り反応が無い。だくだくと血が溢れようと無視を決め込む。こんなところにもこの子の異常は際立っていた。
その一方で他人の怪我、こと流血を伴うものには過敏である。いち早く察知して、ただし誰かを呼んだり手を貸すようなことは無いのだが、じっと見ている。観察しているかのように見ている。真意はわからないが風介はそういう子供だった。


「舌にも脳にも喉にも、異常は無い。風介」
「……」
「あなた喋れるのよ」
瞳子は結局、風介に普通学級での修学を続けさせることにした。しかしどちらにしろ話せるのならそうさせようと決めていて、春から少しずつ訓練を始めているが、ことごとく難航していた。全く変化が見られていない。
万が一とも思い一度検査を受けさせたが、やはりどこにも異常は無い。予想はできたが精神からの失声である。ある意味一番厄介だ。

この検査の結果を受け、瞳子はにわかに焦っていた。

風介は極端に意思表示が無い。これは常々問題に思いながら時間の解決を期待していた節があった。施設に慣れて、虐待の傷が癒えれば、…自ずと、話し出すだろうと…
甘かった…
瞳子は痛感した。失声の原因が精神からのものならば、それは果たして改善の見込みや余地が、あるだろうか。どこまで深いかわからない。
風介に関して慎重だった自分の姿勢は意識したものではなかったが正しかったのだとここにきて強く思った。

とんでもないのではないか。

あの子の中に有るものは果てしなく思える。底の見えない谷をのぞきこむような恐怖を感じて身がすくむ。大袈裟だと己を鼓舞して再び訓練に挑みはしたが、生じた迷いや恐怖が以前のようにはさせてくれない。
気味の悪いくらいに澄んだ目で見詰めてくる風介を、最早どうしていいかわからなかった。



梅雨入りも間近という時期に、晴矢が泥と血にまみれて帰ってきた日があった。
「6年生とケンカしたんだって」
頑なに何も言わずにぶすっとふくれていた晴矢だったが、後から帰宅したヒロトにさらりと暴露されてさらに機嫌が悪くなる。
負けをよしとしない性格のことだ。おそらくは、一矢の報いも出来ぬままに、ぐうの音も出ぬ程に、完敗も完敗で、悔しくて悔しくてたまらないのだろう。当然の事であるという聞き分けが出来る歳でも性分でもない。
「敵うわけないじゃない」
「うるせえ」
「それに向こうは3人だったし」
「ヒロト、見ていたの」
「3階の教室からね」
ヒロトは完全に呆れた口調で、晴矢はそれにも苛立って、これでもかとヒロトを睨むのに、ヒロトは晴矢を見もしない。
「見てたっていうか、見えたんだよ。それと帰るときに昇降口に居た人たちが言ってた」
「あんだよ」
「2年生が6年生にケンカ売って負けたって」
「はぁ?負けてねえよ!」
「とにかく、そうね。お風呂が先かしら」
晴矢の頬に着いて乾いた泥がぱらぱらと落ちる。大きな怪我は無いものの、無数の傷と青あざに、やはり晴矢は平気な顔。
「…晴矢、あなたその怪我…痛いかしら…」
痛がらないのはもしや痛覚に、いや痛覚だけでなく触覚全体に何か異常があるからかもしれない。
風介の状態を知り、神経質になっていた瞳子はあらゆることを疑ってしまう事が少々癖ついていた。
「全然痛くねえよ、こんなもん」
「真面目に答えて」
「痛くねえよ!ほっといたって治るんだよこんな怪我!」
やせ我慢をしていると勘ぐられたように思ったのか、晴矢はいよいよ気を悪くして走って部屋を飛び出した。乾いた泥が廊下に散らかりたどっていけば園庭に出る裏戸の前で途切れている。外に出たようだ。
それなら外で遊んでいるうちに気も晴れて、けろりと戻ってくだろう。
瞳子は執拗に追わず院内の窓から庭を伺い、晴矢の姿を探すことにした。

多くの子供は玄関前の開けた場所で走って遊ぶのを好むのだが、それこそ風介のような変わり種は裏手にある花壇の前で、ぼんやり虫を観察したり、人口池の動かない水をただひたすら眺めたりする。
晴矢は専ら前者なのだが、この日ばかりは裏手に見つけた。大将面で皆を率いる自分がこんな、こてんぱんにやられた姿をさらすことなど耐えられないと思ったのだろう。

晴矢は花壇の前の、レンガを並べた道に腰掛け用具倉庫の壁にもたれていた。
そしてその隣に風介である。
これはどうしたことだろう。
気付かれないように気を付けて、窓を開けると声がする。

「あっちいけ」
「………」
「いけよチビ」
「………」
「、なんだよ」
「………」
驚いたことに風介が触れた。
ヒロト以外の子供に対し、自分から接触をはかることがあるとは。しかも晴矢に。
やはり瞳子から見ても、晴矢と風介は遠かった。それは不自然な程だったが、これを見るに知らない場所で、もしや交流があったのだろうか。
「なんだよ。痛くねえよ」
「………」
「…痛くねえよ」
「………」
「あっちいけったら!」
「………」

子供同士の友情というのは、常々不思議な物がある。
風介は晴矢の腫れた腕を、労るように撫でていた。乾いた泥が腕から剥がれて風介の膝にぱらぱらと落ちた。晴矢は怒鳴っても動じない風介にはね除ける無駄を悟ったのか、黙ってする事を見ていたが、その膝に落ちた泥の欠片に気付くと黙って払ってやる。
瞳子は思わず笑ってしまった。
あらゆることに感じていた不安が全て綺麗に消えたような、ふっ切れたような気分になった。希望が見えた気がしたのだ。その途端、

「…泣くなよ、チビ」

まさか。
風介が泣くなんて。
その場を離れようとしていた瞳子は、息を飲んで耳を澄ませた。
「…、……」
「怪我がこえーのか…お前…」
「………」

…怪我がこわい…

晴矢のこの表現は、瞳子に不思議な感動を与えた。怪我がこわい。何かに、何かに合点が行くような言葉だ。しかし思考は追い付かない。
「怪我してんのはお前じゃねえじゃん。何が嫌なんだよ」
「……、…」
「…泣くなようぜえ。あっちいけって!」
「………」
「………」

結局2人は黙ってしまった。
じっとしていることが出来ない、活発な晴矢が動かない。静かに2人で日陰に腰掛け何も喋らずにそうしている。


お前は怪我をしていない。
何がこわい。何が嫌だ。


瞳子は改めて、子供の神秘にうたれていた。





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