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晴矢が院に入ってから2年。子供たちの社会での晴矢の地位は不動のものになりつつあった。

本格的に梅雨入りしたその年6月の中旬。久しぶりに新しく子供がくる。しかも同い年の男の子だと聞き付けて晴矢は早速事務室を訪ねた。
「ひとみぃ」
「呼び捨ては禁止と言ったはずよ晴矢」
「ひとみ、新しい子入るのか」
「私の名前は瞳子。そうよ晴矢。今日からね」
男の子よ。と付け足して瞳子は事務室の奥へ入って行った。
「どんなやつ?」
「あら、ついてきていたの。だめよ。戻って」
晴矢は瞳子の抑揚のない言い方が当初は嫌いだった。しかし生来人になつきやすい性格だったため、この頃には院の職員の誰よりもまだ学生であった瞳子になついていた。

昼過ぎに子供たちは1つの部屋に集められ、そこで新しくやってきた子供を紹介された。
「…ウェッ」
職員が皆の前に連れて来てすぐ、晴矢の隣に居た子供が舌を出して吐く真似をして見せる。晴矢はそれを見ると笑って、同じようにして見せた。そうしてくすくす笑い合っていると瞳子がまた抑揚のない声で静かにと呼び掛ける。
新しい子供はぼろぼろだった。
湿気と気温で不快な季節なのに、身体中包帯に巻かれている。消毒液の独特なにおいがして晴矢は鼻をつまんでみせた。するとやはり周囲にいた数人の男子は同じようにして手であおぐような動作をする。瞳子が咎めるような目で見ていたが、子供たちはそれをやめなかった。

「ミイラ」「包帯男」「ゾンビ」
「………」
新しい子供はどんなことにも反応を見せない。初日からからかいの的だったが逃げるでもなく言い返すでもなくただ座っている。
「あーこいつ無視する」
「先生先生こいつ無視するぅ」
職員にも手に余る子供だったことは確かだ。あざと包帯だらけの子供に関わろうとするのは瞳子だけであった。しかしその瞳子も初日からしばらくは、周囲と本人の様子をじっと観察しているだけだった。

「ねえ、あっちにいこう」

人垣を割ってあざの子供に話し掛けたのはヒロトだった。
「…………」
「うわっヒロトだ」
「えこひいきだ」
「いい子ぶりっこのヒロト」
「………」
「ね」
ヒロトはだらりと床に投げられたあざの浮き出る手を取った。晴矢はその時のことをかなり強烈に覚えている。
「………」
「さ、行こう」
近所で一番高い木にも登ったし、恐ろしく吠える犬も恐くない。しかしそれは強さとは違う。晴矢はその時そう思った。

自分はあの黒く青く浮き出たあざの手を、何も気にせず握ることはできない。

ヒロトが本当はいい子ぶってる、媚びうるようないやらしい子供でないことぐらいわかっていた。大嫌いな柔らかい物の言い方や態度は、きっと強いからできる。
直感でわかっていても認められるほど大人でもない。それこそヒロトのように。

晴矢は一瞬無数の斑点の散った醜い手と、白く柔らかい手がつながるのを息を飲んで見ていた。

「…、ヒロトのいい子ちゃん!」
「ばかじゃねえの」
「ひいき、ひいき」
はっとしてすぐに蔑む。周囲も引き続きそれに重ねてヒロトを非難した。
「…………」
「そう。図鑑がたくさんあるよ。見せてあげる」
何も言わないあざの子供と、非難に全く動じない逞しいヒロトは、手を繋いで部屋を出ていった。


あざの子供の名前は風介。
今思えば考えるまでもなく壮絶な虐待を受けていのだろう。
全てのあざが消えるまで相当な時間を要した。何せ本当にあざだらけだった。切り傷もあったし、一部は骨も折れていた。煙草を押し付けられてできる、汚い火傷はもう消えないだろう。何よりも顔の痕はひどかった。
左半分は入院当初おびただしいガーゼと医療テープに覆われていたが、それがとれたのは2ヶ月後だった。
ほとんど毎日瞳子に連れられて通院していた。その時はヒロトもついていく。

徐々に風介の異常がわかってくる。

風介はどうやら話さない。意図してそうなのか何か原因があって喋れないのかはわからなかったが、院に来る前に治療した病院のずさんさに瞳子が腹を立てていたのを晴矢は見た。
「あれはトンボだよ風介」
「………」
「ううん。一種類じゃない。たくさんいるんだ」
風介と話せるのはヒロトだけだった。ヒロトが勝手に喋っているのだと馬鹿にしていたが、何にも反応を示さなかった風介が少しずつとはいえ周囲に関心を示し出したことは間違い無かった。
「ヒロト。あなた風介の言うことがわかるのかしら」
「はい姉さん」
「……そう」
「え?なあに風介」
「………」
「ああ、あれはアイスクリーム。冷たくて甘いよ。食べたいの?」

ヒロトと風介の会話は気持ちが悪かった。以前からヒロトはよく変なことを言う奴だったけど、今回ほど妙なこともない。話さないどころか声も出さない。なんの意思も示さない表情の無い子供が何を言いたいのかわかるなんて絶対に嘘。
院の誰もが、職員までも、2人をおかしな子供と思っていた。

風介の怪我が概ね治った頃、よかれと思って当時勤務していた職員の一人がカウンセラーを呼んだ。風介とヒロトに治療を施すのだといってぼんやりと座る風介を診察している所に瞳子が帰ってくる。瞳子は冷えた態度でその職員の頬を打った。

「この子たちのどこがおかしいのか言ってみなさい」

女子高校生が中年の女の顔をひっぱたくなんてとんでもないことであると思ったが、この時は晴矢も胸がすいた。
風介を必死に庇い、やめてと叫ぶヒロトを別室に閉じ込めた時から診察の異常性におびえていた。何が起きるのか想像もしたくないが、きっとおそろしいのだと予感した。

瞳子は後に実父に叱られたが、多くの子供と被害者であるヒロト、風介に庇われて事なきを得る。晴矢は鋭く、“父さん”がカウンセリングを承諾していたのだと悟った。


風介はやはり喋らなかった。
「診察も治療も必要ないわ」
瞳子が父に叩かれて腫れた頬を冷やしながら、鏡を睨んで言った言葉を晴矢は偶然聞いていた。
「いかれているのはどっちよ…」
蛇口から流され続ける水音の中、初めて見た瞳子の涙。

この先決して忘れない気がした。





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