2013/05/21 Tue 03:33 ★ 幸福の匙B おいしそうなわたあめ! と思って頬張ったら本物の綿だった。これは極端だが似たような経験なら過去何度かしたことがある。 当然まだ食べ物が豊富だった頃の話だけど、塩チョコとか塩キャラメルとかいかにも食がよじれてきた嗜好の果てのお菓子を食べた時、感じた。またはチーズと思って食べた豆腐やお茶だと思って飲んだめんつゆ。 味覚は実にあいまいである。 佐久間と性行為に及んだことは無かったが、頭の中では彼女はみだらで危ない女。 実際の裸を目の前にしたことがあったらきっと想像のように都合良くみだらでも危なくも無いただの佐久間。でもその方がきっと生々しくて、いやらしかった。 頭の中の佐久間の姿はしょせん想像で胸の大きさや形もわからないし肌の手触りや腹中の温さもわからない。偽物である。 だからって、悪いわけじゃない。それだけが俺だけの佐久間なのだから。 今年3回目の梅雨があける頃、エーゴラの機動を見せてもらった。 今、旧アメリカ大陸に居るから多分あの村は旧カナダの国境近くだったと思う。 80人程の住民は人種が入り乱れていた。3回目の梅雨のさなか、そんな事は大した事ではないが、そういう不思議をふと思い付く時にしか、もはや昔の世界に気づく事もない。 ああ、そういえば…と考えるが、10年昔というだけなのに。だせえ。世界単位でだせえ。 散々そんな映画やゲームを作ってたくせにこれだもんな。本当にただの娯楽にしかならなかったという証明だ。 『本当は生がいいんだが、今は冷凍しかない。我慢してくれ』 食いたいとは一言も言っていないのにその村の連中は最初から肉を分けてくれるつもりだったらしい。 慌てていらないと声を上げると、生しか食わないという贅沢をしていると勘違いされ、今は無いのだと優しくなだめられた。 言葉は半分しかわからなかったが、おそらく、仕方ないとか我慢してくれとか言っていた。 そうじゃない。食わない。 伝わったら伝わったで今度はやけに腰が低くなったというか、敬われたというか、ありがたがられたような気がする。 食人せずに死ぬ道を選んだ人間を聖人のように感じるのかもしれない。 事実エーゴラの機動を見ようと思ったのは、よりこの人肉加工機から遠ざかるためである。 自分に向かって手を合わせる人々に対しても、ただの人食いにしか感じない。 気味が悪かった。 エーゴラは静かに動き出し、想像していたよりもずっと慎ましいモーター音が何故か気持ちを穏やかにさせる。昔どこにでもあった音だ。 コンビニの自動ドア。駅のエスカレーター。パソコン。冷蔵庫。洗濯機。 やがてエーゴラはプシュウ、と空気音を漏らして止まった。 幼い日、一度だけ連れられて行った遊園地の乗り物が止まる時と同じ音だった。 ← top → |