2013/01/04 Fri 04:28 ★ 幸福の匙A 飢えるのが苦しくて食うのか死ぬのが嫌でそうなるのか、エバーは何故あんな事を言ったのだろう。エーゴラを肯定して去った。自分は最後まで人道的に過ごしておいて、なぜエーゴラを造ったのだろう。 エーゴラの最も優れた機能は人間の臭みを極限まで消し去る事らしい。確かに臭かろう。一枚裂けば臓物も血も臭い臭い。肉の味も質もたかが知れてる。今は食うにとどまって居るが、いずれ味をつけたり調理したりするようになるのだろう。もしかしたらもうそうやって食べてる人種も居るかもしれない。エバーならそれもわかっていただろう。 死体を探すことにした。 生きるためだけに徘徊するには厳しすぎる世界だ。何か目的が欲しい。 一部の裕福な地域にはまだ統治や娯楽が残っているらしいがそこに行く気はなぜかしない。今のこの世界で例えば何か物語を文庫本で読んだり、優雅に腰掛けて映画を観たり芝居を観たり演奏を聴いたりする。 それは正気と言えるだろうか。 過去の生活に未練や執着があるのはわかる。 しかしもう物欲も性欲も無い。 もし世界中の男が同じ状態ならば人類は滅びと決まったのだろう。 当てもない事は昔からしなかった。子供の時からだ。 見返りや結果が伴う可能性が低ければ低いほど動機が削がれ、成功が価値あるものならば自力でその可能性をつりあげた。 唯一行き当たりばったりの、負け覚悟でした事といえば、例の恋人へ胸中を打ち明けた時だった。 自分に自信が無かったかといえばそれが意外とそうでもなかった。成績も特に良くなかったし家庭環境も粗悪だった。乱暴者の自覚もあったし大人が嫌う事を喜んでしていた。 そうでありながら振る舞いは好き勝手していたから、それが少しも功を成したのかもしれない。 でも佐久間は高嶺の花だった。 ふられると覚悟するまでもなく、そうなると決めていた。 『変な感じ…私を好きなの?そうは見えない』 ふられると決めてかかった男の顔が、期待や希望に溢れているわけがない。それだけならまだしも照れも無く、まるで嫌々だった記憶がある。 『見えなかろうがそうだ』 『そうなんだ。へえ…それで?』 『それで?』 『私をどうしたいの?』 過激な質問だった。 今思えば、なんて事を言っていたんだ。私をどうしたいの。自分を好きだと言った男に、自分をどうしたいのか訊ねたと。とんでもない。 深い意味を持たせて言ったわけではなかったとわかっている。 しかし彼女にはこういった、魔性じみたところがあったのだ。 恐慌のあおりを受けて苦しんだのはまず人口の多い国の人間だった。どこでも苦しいからどこも助けてやれないし、世界中しきってきたとこの代表なんかは助けてくれないと言っていきなり戦争を始めようとするような、そういう混乱が毎日起きた。 そんな中で何処か遠くの外国で、人が人を食ったらしいとかいう噂を耳にした。 いかにも学生に流行りやすい噂だと思ったが、今ではあれは本当だったんじゃないかと考えている。 『人間なんかまずそうだけどな』 『考えたことないよ。考えたことないけど』 『なに』 『わたし不動になら食べられてもいいよ』 『バカじゃねえの。くだらねぇこと言ってんなよ』 あの時彼女にはわかっていたのかもしれない。 二度と会えなくなる日が来ると。 エーゴラは村や集落単位で所有していることが多い。 金を出しあってその地域の誰かを食う機械を買う。怪談かと思う。しかし奴ら大真面目なのだ。 ある地域ではエーゴラの前にいかつい見張り番が立ち、ある地域では御神体が如く祀られていて、一方でコーラの自販機みたいに街中にどかりと置かれていたりする。 今では不動の方がおかしいのだ。進化や文明を拒む、わからず屋にさえ見えるのだろう。 しかし何処で食った女はうまかったとか、子供の肉は柔らかいとか、そんな話をしている馬鹿を見ると殺したくなる。ただ殺したくなる。 不動は餓えたら自害するか、獣にでも食われて死にたいと思う。以前は絶対に嫌だったが、カラスに死肉をむさぼられる方がよっぽど良い。人間に食われれば吸収されていずれ糞になるだけだ。 その同種に吸収されるという過程がまさに死んでも御免というもの。 それを思うと佐久間の言葉はやはり過激で魔性をはらむ。 お前にただ吸収されるためだけの肉塊になってもかまわない。そう言ったのだから。 佐久間が見つかったら死のう。 生きてはいないだろうがもう一度会いたい。 その墓だろうが骸だろうが、隣で死にたい。もし生きていたら一緒に死にたい。 手をつないでぐっすり眠ろう。 ← top → |