黙する裏に愛が潜んでいて、保険が懸かっているように思えて、それはただの誤魔化しにも似ていて。



月が欠けた。

爆ぜた、の方が正しいのだろうか。
日中にも関わらず見える月には満月が生じる事なく、常に三日月だ。
バルコニーで栽培している苺に水を遣りながら、お前は空を見上げて何か呟く。
先日、政府からのお達しで引っ越しまでさせられた理由を、お前に説明する訳にはいかなかった。


国家秘密の特務。
月を見事に三日月に爆発させた生命体を前に、流石に色々と突っ込みたくはなったが、仕掛けてみてそいつは確かに賞金首の価値を成す事を理解はした。
そんな生命体は明日から私立中学の教鞭を振るう。
俺は官僚の一人として、その中学の生徒等への説明及びサポート役に回る事になるそうだ。


何かが生じたとしても、口をつむぎ、口裏を合わせる事。
更には俺自身の身の保証も一切無いのだろう。
無論、自分の身位は自分で守る技術能力は備えている為にそれは構わない。
お前を護る腕もある、と自負している。
報酬の先払いも兼ねてあるであろうこの新居も、国からの支給物の一つ。
後戻りもさせないように、お前まで巻き込んで。


---未だ新婚なのだろう?烏間君。
奥さんの名前は確かお名前さんと言ったかな。


---はい。
籍を入れてから5ケ月程ですが。


---此処はバルコニーも吹き抜けも付いていてね。
近くには桜並木もあって、もう直ぐ桜も満開になるだろう。


---みたいですね。
私は此方に住居を移せば良いのでしょうか。


---椚ケ丘中学からも近い。
そのまま出向いて貰う事も多くなるだろう。
奥さんも広いリビングや寝室は喜ぶ筈だ。
つい最近まで広いお屋敷で住んでいたならば尚更だ。


---早急に引っ越します。


---夫婦揃って桜並木を散歩してみると良い。
烏間君。


振り回している気がする。
理由を述べない俺に、文句一つ言わず引っ越しを承諾してくれたお前に、俺は礼一つだけで良いのだろうか。
折角慣れ始めていたマンションから離れ、お前の実家からも随分と遠くなった。


「お名前、少しだけ外に出ないか」


「!はい。あ…では食材の買い出しもして良いですか?」


「ああ。荷物持ちになる。今日の夕飯は決まってるのか?」


「お蕎麦は如何ですか?引っ越し蕎麦、言いますよね?あれ…違いますかしら…」


「いや、言うよ。あ、上着は着て来いよ。幾ら車だからって冷えるからな」


ラッセルレースの二枚襟のオフホワイトのブラウス。
オーガンジーとチュールが使用された淡いブルーのスカート。
5センチヒールのクリームイエローのパンプス。
小さな花柄のタイツにレースの靴下。
サテンの然程大きくはないリボンのカチューシャ。
上着は透かし編みのカーディガン。


本当に未だ少女と表現しても可笑しくないルックスに、愛らしい姿は若干なりとも背徳感を感じずにいられない。
不思議そうに、好奇心が抑えられないのか、瞬きも忘れて車の中から流れる景色を覗く。
戸惑う買い物もこれでもかと済ませ、一度は帰宅したが、折角外に一緒に出られる日なのだから、夜にもう一度連れ出した。


俺が疲れるだとか迷惑だとか、そんな口をキスをひとつ落として封じて、手を引けば、お前は俺に付いて来るしかないだろう。
二時間近く飛ばして、不意に真横を見れば眠っている。
酷く穏やかにお前が眠っている。


---解っているだろうな。

---はい。

---幾ら君の妻と言えどもこれは国家が関わる隠密任務。
口にする事は許されない。
もし知られれば、君の奥さんも危険に晒され兼ねないのだよ。
烏間君。
そうならないよう、くれぐれも頼むよ。
高月(コウヅキ)もだが、私も旧姓さんには随分世話になっている。

---高月さんからも言われています。
彼女は私が守ります。
この任務には一切存在に触れさせるつもりもありません。



更に二時間程走らせた車を人気がない高台に駐車して、徐(オモムロ)に溜め息を溢して仕舞った。
腕を伸ばし、お前を起こさぬように静かにシートベルトを外してやれば、やはり窮屈に感じていたのだろう。
微かに脚が動いた。


「初っ端から隠し事しなくちゃならないな…」


知らなくて良い。
でも、これは知らない事ではなく、立派な隠し事だ。
後ろめたくないと言えば嘘になる。


「…ん…ぅ…」

「悪い。起こしたな」

「……ん……大丈夫です。私の方こそ、すみません。寝て仕舞っていましたね」

「良く眠っていたな。少しずつ眠れるようになれば良いな、お名前」

「最近は随分と眠れるようになったんです。きっと貴方がいてくださるからですね」


未だ焦点の合わない瞳でふんわり笑うが、俺は腕を伸ばして輪郭を確かめるように撫でる。
そのまま口唇を親指で触れれば、何やらベタついた。
ああ、グロスか。


「お名前、上手く逃げたつもりだろう」


「……何がでしょう」

「名前、呼べよ。お名前」

「…?!……最近、そればかり…」


「嫌いか?俺の事」


そうやって訊けば、大概、お前は折れてしまう。
あ、その、えと、ばかりを繰返し困ったように視線を落とすので、俺は身を乗り出してお前の顎に手を添えた。
クィ、と持ち上げれば僅かに落ちたグロスが光る口唇。


「嫌いでは……ないですわ」

「ほう?その割りには名前を呼んでくれないんだな」

「は、恥ずかしいんです。だって、こんなに近いですし」

「旦那が近付いちゃ駄目か」

「違っ……もう…。最近そんな事ばかり…」



呆れたように手を離し、元の位置に戻る。
大袈裟に溜め息を吐けば、その慌てようったらない。
いや、これは拗ねてくれてるのか?
何れにせよ、からかい過ぎたと笑ってやろうと思えば、不意に左手の袖口に何か当たる。
きゅっと引っ張られ、お前の俺と比べると随分と細い小さな指が袖を摘まんでいる。



「心が追い付いてないんです。惟臣さん、私には勿体無い程に素敵なんですもの…。未だ、本当に私で良いのかしらって……」

「お名前」

「毎日毎日、知る度にもっと、もっとって欲張りになる気もしますし。もう、これ以上を望んだら神様に申し訳ない程ですのに。私…」

「お名前」

「はい」

「きっと、お前は潰れるだろうな」

「ん?」

「俺が今、どんだけ苦しいか判るか?そんな真剣に言われて、見られて、我慢が出来なくなる」

「ぇ、惟臣さ、」


好きだ。
好き過ぎて、きっと、いつかは歯止めが利かなくなる。
いい大人同士が、如何してこんなにも不器用なのだろうか。
身を乗り出して袖を掴むお前の肩に顔を埋め、好きだ…と言い続けて仕舞う。
数回口にしたところで、お前は俺の髪に触れた。
そして抱き寄せるように背中に宛がわれた手は、小さい。


「惟臣さん、私も…ちょっと苦しいです。好きって…大変ですね」

「…お名前」

「もっと苦しくなるんでしょうね。でも、きっと私は幸せですわ。だって…惟臣さんが私の旦那様なんですもの」


ふふ、と擽ったく微笑んで、顔を放した俺に今度はちゃんと惟臣さん、と呼んでくれた。
好き過ぎて、いつかその好きが膨張し過ぎて、俺はお前を壊すだろうな。
それでも、お前は俺の傍にいてくれるか?
独占欲や支配欲で捩じ伏せて仕舞いそうになる、この俺でも?


邪推だな。

未だお前の気持ちは俺に辿り着いてすらいないのに、な。


「ゆっくりで良い。お名前はお名前のペースで」


「その様な事を仰って…」

「俺のペースだと、潰れるだろうからな」

「凄く余裕ですわね。もう…」


流れた横髪を耳に掛ながら、お前は帰りましょうと促す。
もう深夜3時を回っているから、帰宅してそのまま俺は仕事だろうな。
寝ていて構わないと告げれば、静かに頷いて窓に視線を流す。


少し飛ばそうか。
お前を早く横にならせてやりたい。


fin…xxx
2013/10/16:UP



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