魔法の言葉は紡ぐけれど、使うのはお前にだけで、お前だけにだと唯の男が言っても意味は未だ懐柔されてはいないのだろうな。



4月も半ば。

出勤する時には既に雨が降っていた雨は、夕方になった今も降っている。春雨は未だ未だ冷たい空気を纏い、玄関先のお前は雨を心配していたか。只の小雨が大雨にならなければ良いと。片手に鞄を持つと、伸ばされた指先に襟元やネクタイを直され、俺からのキスを静かに口唇ギリギリに享受。お前も必死に背伸びをしては、俺の額にキスを施す。微かに恥ずかしがりながら。

行ってらっしゃいませ。
行って来る。
お気を付けて下さいね。
ああ。

交わす言葉に飾りは無くて、何の変鉄も感じられないやり取りだ。帰宅したら、無事に帰れた事に対する感謝も込めて口唇に直接キスをする。こんな恋愛に逆上せた馬鹿なカップル染みた行為が幸福だとは知らなかった。知ろうとせずとも生きて来れた。だが、知って仕舞えば、やらずにはいられない。

愛しいな…

傘が様々な花を咲かせ、下る旧校舎の坂を下る。この椚ケ丘中学は車を本校舎に置いて結構な距離を歩かねばならない。その為に雨の日には足元は濡れて仕舞う。否応でも濡れる靴や裾を蹴って振り払える訳もなく、俺は、ふとお前の事が気に掛かる。遠くで雷鳴が響いている様だ。気に掛ったのは、大きな物音に怯える節が見られていたからだが、このまま帰れれば、此方に届く頃には傍にいてやれるだろう。





……
………------



「結婚式……如何しましょう」


私は、一通の招待状を片手に、幾度目か判らない溜め息を溢した。ベッドに入り込み、残っている仕事を片す貴方を待つ、この時間でさえ悩んで仕舞っている。

中学時代に出来た数少ない友人達。氷帝学園の男子テニス部のレギュラーだった面々は、変わらずに私を友人と言う位置に置いてくれている。その一人、宍戸君が結婚式をするというのだ。話に寄れば、子供を先に優先していた為に挙げていなかったので今なのだという。跡部邸なのは、きっと彼が主催だからだ。本当に、仲間想いだと熟(ツクヅク)実感する。


「何かの招待状か?」

「っ、た、惟臣さんっ!」

「そんなに慌てる事か?」

「ぁ…あの……」

「思ったより遅いな」

「…ぇ…?」


然程、私の手にしている招待状は気にならないらしく、窓をチラリと視界に入れては真横に、ベッドに入り込む。頷く私は封筒に仕舞い込み、頭もとの棚へと。

ド…ンっっっ------!!

次の瞬間だった。照明を落とした部屋が瞬時に光った次の瞬間には地面を叩き付ける音が響いた。轟く雷鳴。打ち付ける豪雨。ぼんやり考え事をしていた所為もあり、この音を捉えてなかった私には酷く恐怖心を沸き上がらせる。


「ゃ………!」


光が射し込めば次には響く音。耳を塞ぎ、身を震わせて縮こませる。すると、私の無駄に力が入った両手を取り外す、私よりも大きな手。恐る恐る顔を上げれば、安心出来るひとつの言葉を何回も何回も掛けてくれる。

ダイジョウブ。
だいじょうぶ。
大丈夫。

大丈夫だ。低く、吐息を温く解き放つ様に、貴方は私の耳に届けてくれる。大きな腕が私を包み、気付いた時には背後から抱き締められている。稲光が激しさを一層増しながらも、私の呼吸は整って行った。

思い出すのは、ベッドの中で、ただひたすら耳を塞ぎ、膝を抱えて泣く事も無く、頭の中で無心を貫かねばと必死だった。

ただ、迫るいわれのない恐怖心に必死だった。


「惟臣さん、って………魔法使いですね」

不意に笑って仕舞えば、貴方は急に真剣に私の頬を撫でる。
背後から伸ばされ、辿り着いているその指先は口唇を掠った。


「違う」

「………ぇ………」




「俺は、お名前の夫だ」



首だけで振り向き、私の首筋に頭を埋める。嗚呼、若干拗ねているのだ、と感じられる様になったのは貴方の傍にいるからだ。未だ、もしかしたら夫婦ではないのかも知れない。これが、恋人の営みでも構わないのだ。


「あのですね、お友達の結婚式があるんです」





Fin…xxx
2014/01/17:UP



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