包まれた林檎も飴掛けの林檎も、実は秘密を多々含んでおり、それらは隠されつつ咀嚼して、素知らぬ顔で紅い蜜を垂れ流す。



火種が燻っていても、日常は時計の針が刻む度に進む。

不発弾は俺の奥に仕舞われたまま、お前をこの腕に抱き込ませていた。
数日間、頭の中でぐるぐる思考力を働かせたが、あれから゙元カレ゙の話題が出る事もなく、お前は相変わらず。

下手な考え休むに似たり、か。

首に手を宛がい、左右に折る。
結構、力が入っていたのか、或いは同じよう体制でパソコンに向かっていたからか若干疲れた。
大きく空気を吸うと、鼻腔に何やら甘い香りがした。


「ご休憩、致しませんか?」

「…アップルパイか」

「はい。今回は凄く綺麗に焼けてくれました」


ふわっと微笑みを溢し、目の前でザックリ切ってみせる。
ハニーブラウンな茶色に艶があり、綺麗な格子柄の隙間から覗く林檎。
シナモンが香ばしさを誘い、幾層にもなる生地。
リーフ形のケーキ皿にレースペーパーを敷き、三角に切り分けられた一切れを乗せてフォークを添えて。

たっぷりの林檎が本当にそそる。


「旨そうだな」

「砂糖は一切使っていませんので、大丈夫だとは思うのですけれど」

「お名前はそれで良いのか?俺に合わせなくとも良いんだぞ。甘い方が好きだろ」


俺が極端に甘いと苦手である事を考慮し、作る際にも気を付けてくれる。
有り難いが、多分、お前は甘い物な好きなタイプだ。


「大丈夫ですよー。素材そのものの味を楽しんでますし。こちらは大丈夫でした?」

「ん、凄く美味い…。熱いアップルパイなんて初めて食ったよ」

「わ、褒めて頂けた。作った甲斐がありました」


口許が緩む、本当に。
口に入れる度に、シャクシャクと噛みごたえもあり、熱くジューシーだ。


「もう一切れ、良いか?お名前」

「勿論ですわ。甘い物って脳にも良いらしいですし、心もホッとなるんですよね。息抜きになれば良いのにと思っていたんですが…」


少しはなりましたか?と小首を傾げるので、ドキリとした。
黒髪が揺れ、俺を瞳に映す。
おかわりを咀嚼しながら何だか照れ臭く、頷く事しか出来なかった。


結局、三切れ食べて仕舞い、紅茶を口にする頃には腹が満たされて仕舞った。
暖かな陽射しも差し込んでいて、お前が向かい側のソファに座ったまま、うとうとしている。
目蓋が重たいようだ。


「一時寝たら如何だ?眠たそうだぞ」

「む、…ぅ…。いえ、そんな…」

「俺も未だ結構掛かるからな。終わったら起こすから。起きたら夜桜でも見に行かないか、お名前」

「ん、では…少しだけ…」


クッションを頭もとに、直ぐに眠りに就いて仕舞ったお前にブランケットを掛けてやり、眠っているのを良い事に、髪に口唇を落とす。
頬に流れて来た髪を避けてやり、お休みと一言。
もう少しだけ残していた仕事をさっさと片付けよう。



未だ未だ寝惚け眼なお前が、ソファの上でゆっくりパチパチと瞬きを繰り返す。
すっかり日が暮れて、濃い紫が部屋全体に射し込む。


「終わったが、起きれるか?」

「ん………ぁ……ご飯作らなくては…」

「たまには外食するか?今から作るのも大変だろうし。桜、見に行くんだろ」


「…行きたいですけれど…。お仕事の後ですし、惟臣さん、疲れてますでしょう」

「これ位じゃ疲れない。大丈夫だ。ゆっくり仕度して来れば良い。待ってる」


書類を片しながら、俺はお前に笑い掛ける。
静かに頷くと、自室へと向かったお前を横目に、明日から始まる新学期に向けて、説明を含め生徒達との顔合わせの為に、名前等を確認する。

至って普通の中学生に゙暗殺依頼゙をしなければならない。
政府、国の秘匿業務。
正直、気が滅入る。

明日から気が抜けない日常になるのだから、充電は補充しておきたい。
グッと背伸びをすれば、窓の先が暗く夜の顔が始まる。


「お待たせ致しました。惟臣さんの上着、こちらで良かったかしら」

「持って来てくれたのか。有難う、お名前」


グリーンの上着を受け取り、羽織ればポケットに何か入っている。
そう言えば、昨日同僚に貰った物だ。
忘れていた。


「惟臣さん?如何かなさいましたの?」

「いや。行くか」

「はい」


オフホワイトのタートルネックにAラインのシンプルなミルキーベージュのサテンキャミワンピ。
淡いピンクの起毛レースのフード付きポンチョに小花柄の白タイツ、レース付ミルキーブルーの靴下。
6センチウェッジヒールの茶色の。
髪は今日は三つ編みだった物を解いているので緩いウェーブになっている。


「髪、珍しいな」

「ん?……やっぱりきちんとコテで巻くべきでした。可笑しいでしょう?」

「そんな事ない。寒くないか?」


ちゃんと着こんでいるらしいが、如何見ても薄着だ。
見ている此方が寒くなる。
が、滲み出る幸福(シアワ)せそうなお前に言える訳もなく、俺は笑ってやった。

それからは俺の心臓がもたないんじゃないかとハラハラさせられた。

出店も夜の公園も初めてだと言うお前はキョロキョロ目まぐるしく首を動かすし、一人で彼方に此方にと行こうとする。
歩く度に髪も服もふわふわ動くので、声を掛ければくるりと後ろを振り向いてトドメの微笑。

完ッッ全に俺だけドキドキさせられてないか!?

惟臣さん、惟臣さんっ。
そんな淡い声で呼ばれる事だけがこんなにも恥ずかしいとは思いもしなかった。


「っ!お名前っ」

「ふぁッ!?……吃驚しましたわ…」


ホラ、やっぱり。
もう直ぐ、絶対に躓くと思っていた矢先、ターンし損ねて石に躓いた。
咄嗟に腕を掴んで引き寄せれば俺の胸板に顔をぶつけて仕舞ったらしい。


「大丈夫か?」

「吃驚しましたねー」

「っ………お名前、そのっ!」


待て、待ってくれ。
見下ろせば見上げた顔と目が合って、顔だけじゃなく、お前は胸を押し付けている状態だ。
その柔らかさに気付いた俺は……顔が熱い。


「そのっ、危ないだろう。一人でうろちょろするな」

「ごめんなさい…。何もかもが初めてで楽しくて。惟臣さん?」

「何だ?」

「…如何すれば…」


俺は片手を差し出し、そんな俺をお前はキョトンとした目で窺う。
差し出された片手の意味が解らないらしい。
俺は痺れを切らし、半ば強引にお前の手を取った。


「繋いでればはぐれずに済むだろう」

「私の手、冷たいですよ。惟臣さんの手が冷たくなりますわ」

「熱いから良い。しっかり繋げよ」


嗚呼、何やってるんだ、俺は。

顔から火でも出そうな位に恥ずかしい。
良く考えれば、女性と手を繋ぐ事等、一度もないと気付く。
今までの女達には俺は如何していた?
このような事をする訳もなく、先を歩いて仕舞っていた。
気付かなかったんじゃない。
繋ぎたくなかったのだろう、端から。

今、繋ぐこの俺より小さな手は酷く冷たく、握り締めても冷たい。
包み込むように握っていたが、不意にたどたどしく動き出す指。
お前が、遠慮がちに動かしている。

成程、な。

交差させて、指と指が絡む。
恋人繋ぎというヤツだ。
所謂。


「焼き鳥、食べるか?」

「はい」


取り敢えず、食欲をそそられる匂いにつられる。
繋いだ手を一端放し、俺は牛串でお前は鳥串をタレで貰う。
次にたこ焼きとお好み焼き、そしてフレッシュジュースの俺がグレープ、お前がアップル。

一杯ですねー、なんて関心するように俺の両手を見ながら、少し入り込んでベンチを探した。
外灯が乏しい場所には余り人もいないようだ。
すんなり座る事が出来る。


「ぁ、惟臣さん、汚れて仕舞いますわ」

「俺は平気だ。お名前が座れよ」


腰を下ろした俺にハンカチを敷こうとするお前。
俺は男だし、今までのそんな事を気にした事も無かった。
首を困ったように傾げながら、迷うに迷った挙げ句、では…と自分の為に敷く。
それで構わないんだ。


「俺のハンカチをスカートの上に敷けよ。焼き鳥とか案外汚れるからな」

「そうなのですか?」

「タレが染みになったり、たこ焼きが爪楊枝から落ちたりする事があるからな」

「ほぉー……成程。あ、では手を拭きたい時等は仰ってくださいね。ポケットティッシュもウェットティッシュも持っています」

「分かった」


自然と会話も弾み、お前は楽しくなって来たのか…笑顔だ。
目を細めて、頬が上がり、口唇も綺麗な三日月を描いている。


「お名前が好きそうな物を買って帰るか」

「好きそうな物、ですか?」

「そうだ。アレとかソレとかな。もう少し、今入るか?」

「大丈夫ですけれど…」

「まぁ、たこ焼きもお好み焼きも殆ど俺が食って仕舞ったもんな。すみません、チョコベリーミックス1つください」

「はぁーい。チョコベリーミックスですね!」

「…クレープもあるんですね、惟臣さん」

「もしかしてー、お兄さん達は恋人同士ですかー?」

「ふぇ?!」
「え!?」

「お姉さん、カワユイからマシュマロとクラッカーにー、良し!サクランボもサービスしちゃうっ。スプーン付けときますねー」


恋人同士。
端から見るとそうなのだろうか。
見えてくれるだろうか。

ちょっと、いや、かなり…嬉しくはあるな。

金髪の人懐っこい、多少化粧は濃かったが人の良い女性に、お前はあたふたしながら何度も頭を下げていた。


「惟臣さん、惟臣さん!」

「ん?」

「大好きなマシマロですっ。桜ん坊が2つも!双子みたいですよー。ん、ゎ!ラズベリーやクランベリーがシャリシャリしてますっ」

「ハハッ。マシュマロな。良かったな、お名前。じゃあ、次はアレな」


シュガーコットン。
花柄のピンク色したビニール袋に詰められた5種類。
各々きちんと味も違うらしい綿飴。
そして、一番最後。

これは如何しても食べさせたかった。
珍しくも何ともないが、お前は絶対に気に入る筈だ。


「林檎飴……というんですか」

「単に林檎に飴が掛かってるだけだがな。小さいヤツと大きいヤツ、明日にでも食べろよ。飴が溶けるといけないから冷蔵庫行きな」


うっとり…まさに瞳が溶けている。
くるり、くるりと小さな林檎飴を左右方向から眺め、キラキラした瞳(メ)で見詰め、俺を呼ぶ。


「惟臣さん、惟臣さん」

「ん?何だ、お名前…」


振り返った。
歩幅が同じように歩いてたつもりなのに、真横にお前がいない。
慌てて振り向けば、2メートル程後ろだ。


「お名前…」


「毎年!毎年、一緒に桜を観ましょう。惟臣さん…」



大好きです------。


大きなありったけの声だ。
満面の笑顔で、俺に真っ直ぐ視線を向けて言う。
春風が強く、木々を、枝を揺らしてはソメイヨシノは散って行く。

はらはら。
はらはら。

結婚した初日も桜が散っていた。
隣を歩いてはくれず、手なんて繋げなかった。
怯え、お前は俺を呼んでもくれなかったな。
そう言えば。

少しは俺で満たしているか?
お名前。

ちゃんと愛せているか。

嗚呼、愛しいな。

そういった擽ったい感情が表情に出て仕舞う。
そんな俺に寄って来て、お家に帰りましょうか、と促す。
見上げてくる瞳が穏やかで、安心するんだ。


「お名前」

「はい」

「毎年、観ような。桜」


楽しそうに、綺麗な淡い笑顔のまま頷いて、スカートをふわふわ漂わせて、俺の横を歩く。
いつか二人に゙+α゙が加わっても、毎年観に来よう。


大好きだ。


fin…xxx
2013/10/21:UP



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