last-01

地下街は、酷い有り様だった。
疫病も蔓延していれば、強盗窃盗、殺人が繰り返される日常化した世界だ。
餓鬼が身体を売っては無駄に孕み、無駄に命を産み落としては大概が死ぬ。
薬は常日頃から目にしては、暴力に耐えて血を流した。
汚ならしい姿のまま、蔑まされて貶されては、溝鼠よりも下等な生物に成り下がる。

生きるだけに絶望も希望もなく、餓死していければ、未だ良い。
下手に生に縋り付けば醜いだけの自分達は、棄てた絶望に満たされる。


それでも、俺はそんなの願い下げだった。
蔑まされ、殴られ蹴られ、汚ならしい姿だが、盗みを働いても殺害して仕舞う寸前を味わっても、生き延びていた。
死ぬだなんて、真っ平ごめんだった。


そんな卑しい生物の糞餓鬼に、突然、穢れを知らない人間が訪れた。
生温い、ただだだ、美しい世界しか知らない坊っちゃん嬢ちゃんである貴族出身の餓鬼達が、慈善事業の一環で、俺達の目の前に現れた。


偽善者な大人達は俺達を一ヶ所に収集し、小さな飴玉をただ、数粒差し出して行く。
餓鬼達は口許を覆い、近付きたくないと泣き叫び出す奴等も多い。
俺は胸糞悪くなり、その場所から離れた。
走って、走って、息切れした時には、無我夢中過ぎてこの場所が何処だか見当もつかなくなっていた。
灯りも乏しいが、きっと地下街に通じている筈だ。


泣きそうだった。


やはり、自分は家畜以下なのだ。
汚ならしく、卑しく、無駄に呼吸するだけの生物だ。
そして、それを蔑む同じ餓鬼達も下婢た生物なだけだったのだ。
大人も然り。


美しい世界など、ないのだ。


俺は壁に凭れ掛かり、拳を握り締め、ずるずるとしゃがみ込む。
目蓋をきつく、きつく閉ざし、ギリギリとこみあがる苛立ちや焦躁を呑み込んでいた。
噛み締めた口唇からは流血していたらしく、もう記憶したいつもの錆びた味が口腔に拡がって、咽喉を伝った。
呼吸は、そんな時でも、出来るものだ。


---きゃ…!


小さく、それでも確かに高いキーの音がした。耳障りな高い音だ。
先程、冷えた視線と共に、餓鬼達が上げた音…声と同じだ。


---五月蝿ぇ…。


---ぇ、あ…ごめんなさい。
人がいらっしゃるなんて知りませんでしたの。
驚いて仕舞って…失礼でしたわよね。


---ハ、そりゃあな。
てめぇ等みたいなお偉いさんはこんな汚ぇ物は存じ上げねぇだろうな。


---貴方は……スラム街の?


---見りゃ判んだろ。
お前、自分と俺を見比べてみろよ。
貴族の坊っちゃん嬢ちゃんってのは、揃いも揃って馬鹿ばっかだな。


---確かに、酷い姿ですわね。
その姿。


---っ…!


石造りの立派な屋敷の片隅だ。
光が余りなかった為に、女の姿までは把握出来てなかった。
それでなくとも、俺の姿は女の言う通りの有り様で、髪も伸びきっていた為に、前もまともに見えてはいなかった。


それでも、薄暗い世界は慣れているので、俺の眼は女の姿をゆっくりではあったが確認出来ていた。
幾重にも重なった服は埃一つなく、靴も曇りなく…。


---真っ黒ですわね、貴方様。
髪の先から爪先まで。


---だったら何だよ。
臭い、汚いってんだろ。
ああ、そうだよ。だから何だ。


---良かったですわ。
私は役目を放棄せずに済みそうだわ。
私、慈善活動は今回が初めてですの。
けれど、飴を配って終わりだなんて仕事をまともにしていないのと同じだわ。
もっと出来る事はありますもの。


---っ、な、何しやがる!?


---身体を拭かせて頂きますの。
洋服も泥だらけですもの。
脱いでくださる?


---お前、馬鹿じゃねーの!
臭ぇだろが!鼻、イカれてんのかよ!?


ベタついた髪の隙間からガンを飛ばしていれば、お構い無しに女はギリギリまで近付き、膝をついたまま俺に指先を伸ばす。
有ろう事か、そのまま腕を、手を、指を伸ばし、油やら泥、血液やらが付着して原型を留めていないシャツを捲り上げ、脱がそうとするではないか。
飴を投げ付けるようにして来た餓鬼達は鼻や口を覆う程の異臭を漂わせる俺に近付いたままで、だ。


ふざけんな。
触んなよ。


腕を交差させ、身を縮こませて拒否を示す。
冒涜を耐えるように、跳ね返す力はないのだから、ありったけの皮肉をぶちまけて。
罵声を覚悟しながら。


---………私が、恐いのね。
私が…怖がらせてますのね。


---っ……見んなっ…。
触んなっっ…!!


---ねぇ、ですけれど………。


触れられた腕を振れば、きっと剥がす事が出来た手を、俺は途切れた言葉に気を取られて振り払う事が出来なかった。
静まり返るものだから、ゆっくり顔を覆っていた腕を離せば、女は立ち上がっているようだ。
すっかり暮れた世界は夜になっていたらしく、月が顔を覗かせる。
逆光を背後にする女は立ち上がっていて、触れていた手を…。


---近くに川も湖もありますの。
立てますか?


差し出していた。

俺は前髪の隙間から女の表情を窺った。
無表情に近かったが、視線が真っ直ぐに注がれ、差し出されている手は汚れ一つ見当たらない。
俺は、戸惑っていた。


何でここまですんだよ。
真逆の人間の癖に。


---恐くないわ。
もし、歩けるならば…この手を取ってくださりません?


---……だから、言ってんだろ。
俺はアンタと違って汚くて、臭いって。


---そうですわね。
汚ならしいですし、その異臭は鼻につきますわ。


---っ……だったら!!


---ですから、この手を取ってくださりません?
洗い流しましょう。


---は?


女は、微笑んで…言った。

汚いならば、洗い流せば良いわ。
臭いというならば、良い匂いに変えましょう。
恐い事等、一つもしない。
私が…貴方を綺麗にしますの。

ふわり、微笑む女に、俺は戸惑った。
だが、戸惑ったが、無意識の内に自らの手を伸ばしていた。
躊躇う事なく掴まれた手は、俺よりも小さく、それでも包み込むように握り締められた。





---ほら、汚れなんて、洗い流せますでしょう。
髪も洗えばサラサラになりますし、臭いも改善されるわ。


---………。


---良かったわ、お洋服もぴったり。
女の子用ともう一着作って来ましたの。
髪、もう少し拭きますわね。
あらら、怪我も沢山されてるのね。
手当てが先だわ。



座り込む俺の頭を、丁寧に丁寧に拭き、水滴が落ちなくなる頃、次は櫛で髪をすき始める。膝立ちになり、俺の目の前には女の胸元があった。
上半身裸のままの俺に、若干恥ずかしさを拭えなくなったらしい女は目を伏せ気味だ。


俺が男だと少しは思ってんのか…。


背後に回り、背中に手が当てられた時、その冷ややかさに驚いた。先程握り締めた時は、俺の体温で気付かなかった。が、余りに冷たかったので、俺は振り向いて仕舞った。


すると、女は…泣いていた。


---ん、で……泣いてんだよ。


---痛い、でしょう?
こんな、こんな……っ…く…。
このような、大きな傷っ!


---別に。
痛くも痒くもねぇよ。
慣れてるからな。


---私…っく…ひ………。
ごめ…んなさ…。


---…泣くなよ。
アンタには関係ないだろ。
単に俺が避けきれずに受けたもんだし。
……泣くなよ。


ワンピースの裾を握り締め、小さな声でごめんなさい、ごめんなさいとひたすら謝って来る。俺は……心臓の奥がギシギシ音を鳴らして、呼吸を疎かにさせられていた。顔を覆って泣く女は、小さく肩を震わせている。


何で…俺の為に。
俺は、ただの汚ぇ餓鬼なだけなのに。


涙を止めてやりたくて、腕を伸ばしたが、触れる寸前でハッとした。
この腕は、余りに汚い。

でも。
でも、俺は…。


一瞬、考えた。
女が汚れて仕舞いそうで、怖かった。
こんなに美しいものなのに、俺等の手で触れて良い人間っはないからだ。


でも、俺は…。
抱き締めてやりたい。


---頼むから、泣くな。
泣かれても、俺は…何も出来ねぇ。


包み込むように、抱き締めた。
柔らかく、小さく、そして…とても良い香りがする。
髪はサラサラで、月光に浮かび上がるとキラキラしている。
艶やかな黒に、淡いピンクとブルーの不思議な髪は、本当に美しさ以外になかった。

髪を掻き分け、顔を覆う腕を掴み、俺は口唇わ寄せた。涙を舌先で受け止めて、頬を撫でた。口唇で撫でて、一度顔を見れば、頬が蒸気していて、ほんのりと染まっていた。潤む瞳から滴がこぼれ、俺は手招きされるようにもう一度近付ける。


キス、したい。


濡れて光る口唇に、静かに自分のを重ねた。皹割れた俺の口唇と違い、弾力があり滑らかで……。


それからの事は、正直、ただ甘かった事しか覚えていない。
口唇を貪るように、膨らみ始めた胸元に触れて、流れに任せて、俺の欲望を女の胎内に捩じ込んだ。
それは、餓鬼にしては背徳な行為で、余りに甘美で、温かい夜伽だったのだ…。




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