服を着替えるように
銃声を聞き付けた人が、廊下に集まってくる。『雷』はクレアに手振りで銃を隠すよう指示し、彼らを振り返った。
今にも爆発しそうな『雷』の様子に気付いたのだろう、部屋に入ろうとする者は一人もいない。

「今は話がしたい。構わないか」
「それは構いませんが、『姫』はご無事なのですか」
「支障ない」

言葉少なに答え、『雷』は扉を閉めた。集まった者達は困惑していたが、何もないとわかるとざわつきながら去っていく。
廊下が静かになってから、『雷』はクレアを見た。彼女は血だまりに座り、講師の目を閉じているところだった。

「なぜ、殺した。その人はお前の味方だったんだろう」
「いいえ。私の盟友よ」
「ならば尚更だ!なぜ殺した!返答次第では、容赦しないぞ!」

淡々と答える彼女の胸倉を掴み、小さなその体を壁に押し付ける。飛沫血痕の後に、血に濡れそぼったワンピースの汚れが付く。
艶やかな黒髪が、『雷』の手の上にさらりと流れ落ちた。

「貴方には、関わりの無いことよ」
「答えろ。答えないなら――」
「――拷問でもして、聞き出すの?」

そんなこと、出来るはずがない。そう判り切った上での問いは、明らかに『雷』を蔑んでいた。カッと頭に血が上り、『雷』は空いた手を振り上げた。
打たれると思い、クレアは反射的に俯いて両手で頭を覆った。しかし、いくら待っても、打たれることはなかった。

恐る恐る目を開くと、困惑しきった彼の、悲しさを湛えた目が見えた。彼は傷付いていた。クレアに、傷付けられたのだ。
振り上げた手を下ろしたくとも、彼には出来なかった。そういう所がダメなのだと、デイモンに付け入られる隙なのだと、知らないがために。

「……彼女は、最初から分かっていたの。こうしなければならないって」
「彼女一人くらい、俺にだって隠せたさ」
「いいえ。敵は必ず見つけ出すわ。そして、彼女を痛めつけたでしょう」

名誉と矜持を踏み躙り、全てを暴露するまで痛めつける。いっそ殺してくれと願うほど凄惨な拷問を、死ぬまで延々と課すだろう。
人は苦痛に弱い。どんなに忠義が厚くとも、死ぬまで苦痛に耐えきるのは至難の業だ。自白という誘惑を目の前にぶら下げられたならば、尚更だ。

ピアノの講師だった盟友は、自分が裏切ってしまうことを何よりも恐れていた。死よりも、先人達の願いといずれ生まれ来る未来を裏切ることを。

「だから、殺したの。名誉ある死をもって、彼女の尊厳を守るために」
「でも、この人はお前のファミリーなんだろ?なんで、そんな顔で殺せるんだよ。何でもないことみたいに、平然と」

『雷』にとって、ファミリーは家族同然に大切な仲間だ。裏切られれば哀しいし、殺さねばならぬ時はどうしても泣かずには居られない。
だからこそ、クレアの淡々とした態度に納得がいかないのだ。

「下ろして。いい加減、痛いわ」

冷やかな声に打たれ、『雷』は彼女の胸倉を掴む手を離した。床からさほど離れていなかったため、彼女は難なく着地した。
靴に付いた血が耳障りな水音を立て、『雷』は顔を顰めた。

「最初に人を殺した時のこと、覚えてる?私はとても怖かったわ。手が震えて、二度とこんな事はしたくないと思った」
「なにを……」
「でも、何度もしたら、慣れてしまったわ。慣れるのよ、人間って」

殺人に慣れるというのは、『雷』も覚えのあることだ。最初は手が震えたが、段々と慣れてくる。照準がぶれないくらいになるのに、一年もかからなかった。
命を失うかもしれないという恐れが、場数を踏むごとに薄くなるのと同じだ。

「盟友を殺すのも同じ。慣れてしまったの。涙なんて、百年も昔に枯れたわ」
「慣れるわけがないだろう、仲間なんだぞ!」
「仲間だったら、何が違うの。みな等しく、一つの命をもつ人間でしょう」

ピリリと辛みを帯びた声音に、『雷』は顔を顰めた。クレアは全てを承知の上で、人を殺すのだ。
命の尊さ、重んじるべき倫理も。死がもたらす個の消滅、永遠の喪失も。互いの間にある仲間意識、そして死をもって全うされた忠義も。
全てを理解した上で、クレアは彼女を殺したのだ。

「それに、彼女は私の仲間ではないわ。ファミリーでもない」
「じゃあ何だってんだよ」
「同志よ。悲願を達成するために、殉じると決めた同志なの」

クレアは胸元から十字架を取り出し、講師の胸元に置いた。彼女は同盟者の子として生まれ、国を糺すために人生の全てを捧げた人だ。
孤独と恐怖を強いられた日々、決して人々に知られることのない戦い、国に殉じた命の輝き、それら全てが歴史の裏に消えて行く。

それでも、国の為、未来の為に戦うことを選んでくれた。その勇気と尽力に報いられるのは、彼女達を率いるクレアだけだ。
咎を引き受け、彼女の名誉と死後の祝福を守るのも。

「死体を片付けてちょうだい。ボンゴレがいつもしている通りにね」
「山の中に捨てろってのか?そりゃあんまりだろ」
「それでいいの。敵に利用されるくらいなら、野犬に食い散らかされた方がいい」

亡骸に価値を見出してはいけない。大切に保管したり、埋葬しようものなら、デイモンが利用しようとするだろう。
国に殉じた人の死を、これ以上冒涜されるようなことがあってはならない。

彼女を篤く弔うのは、デイモンに勝利した後にすればいい。誰が死んだとて、千年先にもクレアだけは必ず生きているのだから。

「話を聞いてると、あんた達はまるでパルチザンみたいだな」
「パルチザン?」

予想外の言葉に、クレアはきょとんとした。しかし、すぐに苦虫を噛み潰したみたいに苦い顔になる。

「それは敵の方よ。私達じゃない」
「へえ……じゃあ、あんた達は何なんだ?」
「何かしらね。いろいろな立場にいたから、わからないわ」

革命以降、イタリアの政治は次から次へと思想を変えた。そのなかで、クレアとデイモンは時世に応じて最も都合のいい思想を利用した。
王党派、急進派、共和主義、立憲君主主義、ファシズム、反ファシズム、民主主義、共産主義……色々な思想が、大手を振って歩いたものだ。

どの思想にも良い面と悪い面があり、完璧に良いものは一つも無い。だから、クレア達はいずれの思想にも染まらず、ただ己の信条を貫いてきた。
クレアは反マフィア主義、デイモンはマフィア主義。その上に思想という流行りの服を着て、影響力が無くなれば別の服に替えた。

「お貴族様なら、王党派じゃねぇの?」
「お生憎様、王家はもうないわ。王制なんて不自然で不便なものを使う気にはならないし……」
「じゃあ、何がいいんだよ」
「それは時代と民衆が決めることよ。私達じゃないわ」

民主主義に落ち着いたこの時代、ファシズムや植民地支配主義は罷り通らない。しかし、人々がそれらを諸手で歓迎した時代はあったのだ。
時代が必要とすれば、どんな思想も罷り通る。善悪を決める物差しさえ、時代と共に変わるのだから当然だろう。

「業者を呼んでちょうだい。絨毯と壁紙を張り替えなければいけないわ」

そう言って、クレアは血に濡れたワンピースを抓んで笑った。レースの細かい網目にまで血が染み込んでおり、洗っても綺麗にはならないだろう。

「この服も、処分しないとね。着替えてくるわ」
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