天国はいいところ
「沼の守護者、エピフォーニアの一家が襲撃されました」
「どうして……!あの家が見つかるなんて、どうして」

エピフォーニア家は、代々シモンファミリーの沼の守護者を努めてきた家だ。他の守護者の一族と同様に、デイモンに見つからないよう厳重に匿っていた。
名を変え、家を変え、国籍を変え、職を変え――血筋以外の変えられるものは全て変えて、守っていたというのに。

「いいえ、それより……誰か生き残れたの」
「はい。一番若い女の子が一人だけ……両親が酒樽に隠し、守ったようです」

いつもなら暗号化した報告書を渡すところだが、講師はそのまま口頭で報告しようとする。書面に起こす時間も惜しんで、駆けつけて来てくれたのだろう。
クレアは適当な紙を裏返し、そこに走り書きで残すことにした。

事件が起こった場所はドイツ南西部の街。一族がワイン醸造のために集まっていたところを、何者かに襲撃された。
祖父母、長男一家と次男一家、長女一家が全て死に、長男一家の一人娘だけが生き残った。

異変に気付いたのは、手紙を届けに来た郵便配達員だった。玄関扉が中途半端に開いたままになっており、不審に思って近付き、血だまりを見つけた。
銃で応戦した形跡があるものの、夜に銃声を聞いた者は居ないらしい。

生き残った女の子は、貯蔵庫に沢山あった空の樽に隠されていた。上に重しが置かれていたため、貯蔵庫内で死んでいた母が隠したものと思われる。
ドイツ警察が保護したため、マフィアもP2のメンバーも彼女に手出しはできない。

「何ということなの。守護者の家が襲われるなんて!あってはならないことよ」

他の守護者達も、何らかの形で移動した方がいいだろう。デイモンに察知されぬように、細心の注意を払って動かさなければならない。
せねばならぬ事ばかりが次々に思い浮かび、クレアは両手で顔を覆った。食い縛った歯の間から、怨嗟の呻きが漏れる。

守れなかった。ついに、幹部達の一角が切り崩されてしまった。彼らだけは――たとえ構成員の家を全て殺されてしまっても、彼らだけは守らなければいけなかったのに。
なんという体たらくだろう。これでは、コザァートにもジョットにも、顔向けできない。

「いったい、なんと申し開きをしたら……っ」
「我らが盟主。もう一つ、良くない知らせがあります」

このまま、耳を覆って泣けるのなら、どれだけ良いだろう。クレアは誘惑に負けそうになり、すぐにそれを振り切って顔を上げた。
戦場の指揮官は、決して感情に流されてはいけない。クレアはデイモンとの戦争において、誰よりも冷静でなければならないのだ。

「教えて。次は何が、起こったの」
「一時間ほど前、ストリッジョファミリーが壊滅しました。敵は不明です」
「デイモンではない、ということね」

確認するための問いに、講師の女性は頷いた。ストリッジョは、現時点でデイモンの手駒と戦火を交えていないファミリーの一つだ。
二十人強で構成された弱小マフィアで、戦力的価値はあまり高くない。

見せしめのように積まれた死体の山、屋敷を染め上げるほどの流血。一見するとデイモンの仕業に見えないことも無いが、そうと決めるにはおかしな点が多々あった。
その一つが、死体の山の傍で、壁に寄り掛かった姿勢で死んでいた者のことだ。

「殺された者は、みな無抵抗でした。たった一人を除いて」
「二十人いて、たった一人?」
「はい。そして、その一人は最後に、自分の頭を撃ったようです」

銃を持っていた者が突然、家族同然の仲間を殺して回った。そして、全員を殺すと死体を玄関に集め、その傍で拳銃自殺をした。
そう考えれば筋の通る状況だが、クレアにはそうは思えなかった。

「ストリッジョは、昔から仲の良いファミリーだったわ。ありえないわね」
「私もそう思います。それに、他にも気になる点があるんです」

講師は写真を三枚、同時に渡した。一枚目は、荒らされた執務室の、空っぽの引き出しを写したもの。二枚目は、前扉が陥没した金庫のもの。三枚目は、一切の食料が消えたキッチンのものだ。

特に気になるのは二枚目の、金庫を無理矢理にこじ開けようとした痕跡だ。苛立って殴ったくらいでは、厚さ三センチの鉄板を陥没させられないだろう。

「食料が消えたと言うことは、誰かが居たのね」
「ええ。金庫を開けようとしたのは、逃走資金を探したのでしょう」
「でも、この金庫にお金が入っていないのは、ファミリーなら誰もが知っていた……」

このファミリーを壊滅させたのは、自殺した構成員ではない。完全な部外者か、組織に入りたてで細かい事情を知らない誰かだ。
その者は執務室で情報と金を求め、キッチンでは食料を求めた。

デイモンならば、苛立ちまかせに金庫を凹ませたりしない。キッチンの戸棚全てを開けて、生鮮品以外の小麦粉や缶詰までかき集めて回ったりしない。
執務室の本棚に隠された、P2の情報を見逃したりしない。
そもそも、自分以外の犯行を装うのならば、もっとミスリードしやすい痕跡を残すだろう。

「デイモンでもなければ、その手先でもない誰かが、ストリッジョを殺した……?でも、何のために?」
「わかりません。友好関係にあるマフィアの情報は持ち去られたようですが、そこが狙いでしょうか」
「マフィアに恨みのある者の犯行だというの?」

もし、ストリッジョを滅ぼした者が、マフィア根絶を謳う者の犯行だとしたら。そのためにP2の同盟者を襲うのは筋違いだ。
P2の大本である穏健派の願いはただ一つ、マフィアおよび自警団の解体だったのだから。

しかし、犯人はそれを知らない。これから先、知ることも無いだろう。どこの執務室を漁っても、どれだけP2のメンバーを殺したとて、わからないままだ。
P2の最終目的は、同盟者の胸に抱かれたまま消えるだろう。マフィアに染まったこの国では、文字にすることさえ危険なのだから。

「警察を動かしましょう。指紋でも足紋でもいい、髪の毛一本残さず証拠を集めなければ」
「そうですね。すぐに手配しましょう」
「それに、P2の者には余所者を招かぬよう言い聞かせなければね。大人も子供も、しばらく仲間に入れない方がいいわ」

本棚から本を取り出しながら、クレアはそう言った。それは本の形をした箱であり、背表紙を開くと全ての頁が銃の形にくりぬかれているのがわかる。
そこに隠されていたリボルバーを取り出し、クレアは安全装置を外した。

「ここに来た時点で、判っているのでしょう」
「はい。覚悟はできております」

講師はソファから立ち上がり、壁の方へ移動した。そこならば、盗聴器付きの家具を懸念する必要はなく、絨毯と壁紙を替えるだけで済む。

デイモンの手先に見つかることは、来る前からわかっていた。見つかれば、いっそ殺してくれと願うほど凄惨な拷問を受けることも。
情報を漏らさぬため、敵の手に落ちる前に死ななければならないことも。報告と連絡を任された時に、全て覚悟していたことだ。

だから、彼女は大好きな我が家に油を撒き、大切なもの全てを火の海に沈めて。自分の全てを消し去って、ここに来た。

「銃をお渡しください。自分で始末をつけます」
「いいえ。それはできないわ」

銃を求める彼女を手を、クレアはそっと押しとどめた。仲間を手にかけるのは、これが初めてではない。こんな事は、今までに何度も、それぞ数え切れないほどあった。
中には彼女のように自死を望む者もいたが、クレアが逸れを許したことは一度も無い。

「私がしなければいけないのよ。貴女達には、天国へ行ってほしいもの」

キリスト教徒は、自殺すると天国に行けなくなる。だから、トリガーを引くのはクレアでなければならないのだ。
講師はハッと息を呑み、そして涙した。嗚咽を隠した手に降りかかる涙は、覚悟の冷たさが嘘のように温かかった。

「ああ、我らが盟主。貴女が私の主で、本当に良かった」

慈悲をもって報われた今、孤独で辛い人生は忠義の誉となった。一片の悔いも無く、彼女は胸元で十字を切り、目を閉じた。

「ありがとうございます。どうか、神の恩寵が貴女にもありますように」

祈りの言葉を聞き届け、クレアは引き金を引いた。銃火が鼻先から脳幹へと突き抜け、彼女の命を奪う。壁に散った赤い花から扉へ視線を写し、クレアは言った。

「死体の片付けを、頼めるかしら」
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