宿敵
丘の上から、デイモン・スペードは火に呑まれゆく研究所を見ていた。
手に持っていた自爆装置のスイッチを、眼下の雑木林へ放り捨てる。

「さて、思ったのほどの収穫は得られませんでしたね……どうしたものか」

計画では、クレアの胸に仕舞われた秘密を全て得られるはずだった。
いや、全てと言わず、デイモンが喉から手が出るほど欲していた二つだけでも。
かつての穏健派、現在はP2に名を連ねる兵士達の素性と、シモンの末裔と思しき者が生きている理由を。

しかし、彼女は自らの秘密のみを『箱』に隠し、守り抜いた。魂ごと記憶を切り刻むその行為が、己の寿命を縮めると知りながら。
自らに及ぶ危険など、端から彼女の眼中にはない。その目に映るのは、イタリアを包む大空と、愛する人が描いた理想だけだ。

命を失う恐怖も、彼女の心にはない。信仰に等しき愛が、彼女を狂戦士にしてしまったから。プリーモの理想を叶えるために、彼女は決して躊躇わない。

「まったく、厄介な人を敵に回したものだ」

この百年、幾度も繰り返した言葉を、溜息と共に零す。彼女も同じくらい、同じ言葉を口にしてきたに違いない。
クレアとデイモンはこの百年、互いの存在に心の底から辟易しながら、たえず剣戟を交えて来た。

自らの信ずる理想を叶えるためには、どうしても相手を排除しなければいけないからと。
終わりの見えない聖戦に草臥れ、それでも剣をふるい続ける。

さあ、次の一手には何を使い、それをもって何を奪うべきか。
そんなことを考えていると、憑依する対象とのつながりが一つ、ぷつりと断ち切られた。

「ヌフフ……、やはり、メイドを殺しましたか」

憑依し得る器が一つ壊された。この状況から考えて、アントニアだろう。
壊したのはクレアに違いない。彼女がデイモンの器を見逃すはずがないのだから。

クレアはきっと、うんと心を痛めながら、トリガーを引いたのだろう。人を殺すことは辛いと泣く癖に、必要と思わば躊躇わないのだ。

そんなに辛いなら――嘆くくらいなら、止めればいいのに。あるいは、心を捨ててしまえばいいのだ。デイモンがそうしたように。

クレアの近くにいる者達の中で、アントニアは最も憑依しやすい器だった。しかし、どれだけ適性があろうと、顔の割れた器はもう使えない。
だから、殺されるだろうと予測した上で、彼女を置き去りにした。
その結果殺されたとて、クレアのように心を痛めたりはしない。

使い捨ての駒に掛ける情けは持ち合わせていないからだ。デイモンの心にあるのは、遥か昔に失ったエレナの面影だけだ。

美しき女神、エレナ。彼女は望んだ――争いのない世界を。
だから、デイモンは強大な力を抑止力とし、全ての意思を捩じ伏せて平和を作ろうとしている。

全ての民がつまらぬ欲を持たず、唯々諾々と頭を垂れていれば、争いなど生まれないのだから。
差し当たって、傲慢にもデイモンに抗い続けるクレアに、罰を与えねば。

「一つ奪われたなら、十を奪い返す。罪深い貴女には相応しい罰でしょう?」

煌煌と燃える火に問いかけ、デイモンの姿は霧と化して消えた。



千里眼でデイモンの唇を読み、その問いを聞いて。クレアは思わず嗤った。
罪深い。確かに、クレアはイタリアで一二を争うほど罪深い人間だ。

クレアが歴史の表裏に積み上げた犠牲者の数は桁違いに多い。どんな大量殺人鬼も、クレアほどには人を殺していないだろう。

「でも、仕方がなかったのよ」

殺すしかなかった。死なせるしかなかった。だから、犠牲にした。
マフィアの――デイモンの支配から、国と民を解放するために。イタリアを、プリーモの夢見た理想の国にするためには。

反マフィア主義を訴えるためには、仕方がなかったのだ。
時に武力を行使し、時に法を行使して。戦争までも利用しなければ、マフィアを滅ぼせないから。

そのやり方は迂遠な時もあれば、過激な時もあった。しかし、結果的に見れば、マフィアよりもクレアの方が沢山の人を殺している。

マフィアとそれを迎合する者達は勿論のこと。阿った者を殺したこともあれば、うっかり闘争に民間人を巻き込んでしまったこともあったのだから。
先鋒としてかの地に遣わされ、瞬きの間に暗殺された反マフィアの象徴達もだ。
マフィアの害悪を諸国に知らしめるためだけに、彼らの命を捨て石にした。

ただ、大局的な勝利の為、害悪を根絶する為には、仕方がなかったのだ。
痛んだ果実を間引かなければ、甘くて美味しいブドウは得られない。

「貴方が十を奪うなら、私は百を奪い返すわ。それが戦争というものでしょう、デイモン」

千里眼が映す対象を変える。デイモンが去ったからだろう。建物の正面に、部下を従えたザンザスが見えた。

慌てふためく部下達を他所に、悠々と煙草を吸っている。実に彼らしい姿に安心して、クレアは千里眼を閉じた。

『箱』を保つために、エネルギーの消耗は最小限に抑えるべきだ。
炎が消えたあと、彼が助けてくれるその時まで、何としても耐え凌がなければいけないのだから。
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