夜更かし
イタリアの上流階級は、フランス同様に百年で大きく変わっている。

貴族はマフィアと同化し、社交や権力争いの影に身を沈めた。
そして、品性と教養の足りない成金がでしゃばって、高尚な文化を破滅させた。

しかし、成金ほどでないにしろ、貴族だったマフィアもだいぶ質が落ちている。
十中八九、アメリカ帰りのチンピラが混じったせいだ。

今のマフィオーゾのうち、何人がオペラを理解できるだろう。
自分の舌を恃みに、本当においしいワインを見つけられるだろう。

ザンザスには、そういうものが判る人になってほしい。
そう思い、クレアはベッドに横たわる兄の傍に座った。

「ねえ、兄様。狩猟に行きましょう。私、とてもいい狩り場を知ってるの」
「狩猟だと?」
「ええ。高貴なものの嗜みよ」

ザンザスは狩猟をしたことがない。狩猟は前時代的で因習深い田舎の農民がするものと思っていたからだ。

田舎から出稼ぎに来た者が、都会人ぶりたくて田舎の慣習を否定したのか。
都会の庶民が上品ぶって、殺生を否定したがったのか。

マフィアに入ってそれが事実でないと知っても、好き好んでする気にはなれなかった。
ザンザスはもともと、古臭いことや、保守的な考えはあまり好きではない。

「なぜ、今?」
「じきに解禁されるからよ。他にどんな理由があるの?」

空とぼけた口ぶりに、妹らしからぬ気配があった。
これが『姫』としての誘いならば、後継者の適性を見る試験かもしれない。

ザンザスは少しだけ考えて、すぐに決意した。
どんなつもりかは知らないが、跡目争いが面白くなるならそれでいい。

「いいだろう。だが、俺に狩りをさせるなら、それなりの褒美を用意しておけ」
「ええ、すぐには無理かもしれないけれど。ちゃんと用意するわ」

クレアの言葉の、上っ面の意味を理解したのだろう。
ザンザスは心底楽しげに笑い、クレアの頭を撫で回した。

「ねぇ兄様、たくさんお話しましょう。朝日が昇るまでお話しするの」
「俺はともかく、てめぇが起きていられるとは思えねぇな」
「それなら大丈夫よ、車の中でたくさん寝たもの」

うつ伏せになって頬づえをつき、クレアはにこりと笑った。
限られた時間を思えば、眠気を我慢するくらいわけない。

結局、明け方近くに寝かしつけられるまで、二人は取り留めのない話をした。
そして、昼近い時分にクレアが目を覚ました時、ザンザスはいなくなっていた。

いつベッドから抜け出したのか、温もり一つ残っていない。
空っぽのシーツを撫で、クレアは大慌てでメイドを呼びつけた。

「兄様はどこに?ねぇ、昨日はいたのに、どこに行ってしまったの」
「ザンザスさまは朝早く、学校に行くと言って発ちましたが」
「どうして私を起こしてくれなかったの?」
「夜更かししたから起こさぬようにと、仰せでしたので」

珍しく感情を露わにするクレアに、メイドはおろおろしながら答えた。
全く手のかからない大人しい彼女が、これほど怒るとは思わなかったのだ。

「ザンザスさまは、お別れしたくなかったのでは」
「お別れなんかじゃないわ、また会えるもの。そうでしょう?」
「ええ、勿論ですとも。また会えますよ、お嬢様」
「でも、お見送りしたかったわ、せっかく来てくださったのに」

クレアは己の体の幼さを呪った。泣きたくもないのに、少し気が昂ったら涙が滲んでくる所が気に入らない。

泣いてしまったら、メイドを困らせてしまう。彼女はクレア付きとして雇われたばかりで、使用人の中では下っ端だ。

主人の娘を泣かせたとなったら、罰を受けるかもしれない。
クレアはハンカチで目じりを拭い、なんども深呼吸した。

「ごめんなさい、取り乱してしまって」
「いいえ、気配りが足りず、申し訳ありません」
「貴女を責めるつもりはないわ。でも、次は何と言われても起こしてね」

いつもの調子を取り戻し、クレアは精いっぱい笑ってみせた。
そして、部屋を埋め尽くさんばかりのお菓子の山に手を伸ばした。

「いけません、お嬢様。朝食の前に間食なんて」
「ううん、そうじゃないの。これを使おうと思って」

クレアはお菓子の山から取り出した、サボイビスケットを見せた。素朴な味わいの細長いビスケットだ。

「……?何に使うのですか」
「ズッパイングレーゼを作るの。とっても美味しいのよ」
「イギリスの、スープ……?スープにビスケットを添えるのですか?」
「直訳するとそうだけれど……お菓子よ」

ズッパイングレーゼは、トスカーナの有名なお菓子だ。
ビスケットとワインをたっぷり染み込ませ、カスタードクリームと交互に重ねて作る。

今はより美味しくするため、スポンジケーキにリキュールを使うらしい。
しかし、クレアは自分の知る伝統的な味の方が良いと思う。

スポンジケーキは砂糖も卵もふんだんに使っている。
それは食材の豊かな時代だからできる贅沢で、クレアの舌にはなじまない。

「あなた、どこの出身なの」
「私はリッキオの村の出です」

リッキオと言われても、クレアにはピンとこなかった。
それほど小さな村の出なら、トスカーナのお菓子を知らなくても仕方ない。

「とてもおいしいお菓子よ。手伝ってくれたら、おすそ分けするわ」
「まあ、喜んで手伝いますわ。ですが、お菓子を作ってどうされるのですか?」
「お礼に、届けに行くの。パパが許してくださったらだけど」

快諾されると知りながら、クレアはそう嘯いた。
そして、ふとメイドの名前を知らないことに気付き、訊ねた。

「そういえば、貴女の名前は何と言うの?」
「アントニアと申します。お見知りおきを、お嬢様」
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