小さな約束と
九代目の、クレアを娘として遇したい気持ちに偽りはない。

牢に押し込めたくもないし、本当なら本部にさえ縛り付けたくはない。
二十数回の転生で不自由した分、今を自由に生きてほしいとも思う。

けれど、彼女は存在そのものが、『姫』で『箱』だ。
継承の要、延いてはファミリーの存続に関わる重要な機密なのだ。

本質的に自由を許されないことは、彼女も理解しているはずだ。
その上で断固として本部へ帰らないというならば、相応に対応しなければいけない。

彼女が『箱』としての役割と責任を持つように。
九代目にも、『箱』の管理というボスとしての責務があるからだ。



「クレア。在るべき場所を違える今の君は、『箱』ではない」
「…………っ」

心の拠り所を、九代目の言葉が容赦なく抉る。
クレアは目を見開き、新たな恐怖に体を震わせた。

ボンゴレで『箱』であるからこそ、クレアはジョットの妹として存在できるのだ。
存在の証明が揺らげば、人の輪を外れたただの化け物になってしまう。

クレアの手から力が抜け、ザンザスの上着をそっと離す。

「兄、様……」

クレアは小さく呻くように、兄を呼んだ。
彼になんと言えばいいのか、言葉が見つからない。

彼は自分の家族よりクレアを選ぶと言ってくれたのに。
クレアは、彼よりも既に亡い初代を選ぼうとしているのだから。

「……行け」

短い返事に、突き放されたのだとクレアは思った。
傍に居たいと言っておきながら、『姫』として在ることを優先したから。

クレアは悲しくなり、ザンザスの膝から降りようとした。
しかし、それは他ならぬ彼の手によって阻まれる。

「ガキが。少し離れるだけで泣くな」
「でも」
「気が向いたら、会いに行ってやる。……だから、泣くな」

少しばかり雑な手つきで、ザンザスは妹の涙を拭った。
そして、彼女の首根っこをむんずと掴み、九代目に突き出した。

やや戸惑いつつも、九代目は娘を受け取った。
あれほど強固だった拒絶は影も形も無く、子供の体は驚くほど軟い。

彼女は九代目を一瞥し、またザンザスに視線を戻した。

「兄様」
「なんだ」
「兄様、大好き。きっと会いに来てね」
「ハッ」

鼻で笑って、ザンザスは犬猫でも追い払うかのように手を振った。
ボスにも父にも失礼な振る舞いだが、九代目は何も言わず踵を返した。

『姫』を取り戻した以上、揉め事は避けたかった。
それに、ザンザスがこんな尊大な態度をとるのは人の目が無いときだけだ。

ファミリーの構成員がいるところでは、最低限の礼節を見せる。
親子だけの場でなら、多少目を瞑ってもいいだろう。

九代目はクレアを抱え、廊下を戻った。
やはり、玄関を出るまでの間、ザンザスの部下は一人も姿を見せなかった。



車に乗り込むと、九代目は『姫』を隣の座席に座らせた。
彼女は何も言わず、窓から第二邸を見つめている。

なんと話を切り出したものか、九代目は言葉に悩んだ。
『姫』として連れ戻したのに、娘として接して良いのか分からないのだ。

「親子の仲はあまり良くないのね」

不意にクレアが振り返り、九代目に笑いかける。
その目に涙は無かった。思慮深さを帯びながら、巧妙に感情を押し殺している。

「仕方あるまい。出会ったとき、あの子も君と似たような年齢だったからね」
「庶子だったのね。引き取ったの」
「ああ」

血は繋がっているのか――そう聞かれるかと、九代目は身構えた。
聞かれたら、誠実に真実を話さなければいけない。

しかし、クレアは軽く頷いて、それ以上は追及しなかった。
奇妙に凪いだ目をして、何かしら考え込んでいる。

嫌な予感をひしひしと感じながらも、沈黙を破るための問いを思いつかず。
九代目は居心地の悪い思いをしながら、窓の外へ視線を逸らした。

これが後に、何日にも及ぶ攻防の始まりとは知らずに。


クレアは考えていた。ザンザスが養子だという事実。
自らが日本の一般家庭に転生させられた理由。

イタリアに来たときから、一つの可能性が脳裏にチラついている。
九代目に一言問えば、それを裏付ける情報を得られるかもしれない。

しかし、九代目はそれを望んでいない。つまりは、そういうことなのだ。

クレアは目を閉じ、千里眼を開いた。
九代目の書斎、日記の在り処を見ようと必死に念じる。

すると、九代目の執務机が一際大きくクローズアップされた。
そこに日記が在ると知り、クレアは千里眼を閉じた。

能力を使った代償だろう、針で刺したような頭痛が始まる。
人差し指で米神を揉みながら、クレアはため息をついた。

九代目に日記を付ける習慣があることは、八代目との交流で知った。
しかし、本心では、彼女との会話をこんなことに役立てたくはなかった。

純粋に――他意無く、他愛無く会話した思い出。
それを、クレアは己の策謀の為に台無しにしてしまったのだ。

クレアはなんとも不快な、故人に八つ当たりしたい気持ちになった。
こんな事になるから、貴女と関わりをもちたくなかったのだと言ってやりたい。

勿論、八代目は既にこの世を去っており、墓に怒鳴っても意味はない。
指輪に彼女の魂の欠片は眠っているが、こんなことで呼び起こしたくもない。

九代目を傷付けてでも、聞いてしまったほうが良かったかもしれない。
それも決して気持ちのいいものではないが、思い出を壊すよりマシだったろう。

本部に戻ったらすぐに動かねばならない。体を休めて、そのときに備えよう。
ため息をつき、クレアはシートに身を預けて、目を閉じた。
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