したまちなるもの
夢を見た。それは、とても寂しい夢だった。

窓の無い、まるで塗籠のような部屋で、瑜葵は一人座り込んでいた。

指先がかじかんで、震える。吐く息が白くなるほど寒い。
しかし、室内には火鉢や温石がなく、重ねて着る衣もない。

瑜葵は、身を縮めて寒さに耐えるしかなかった。
人もおらず、することもない。

全く変化の無いまま夢は続き、そして、瑜葵は眼を覚ました。





例によって池に向かったところを佐助に止められた後、瑜葵は朝ご飯を食べ始めた。

今日の献立は、玄米、山菜の煮浸しと沢庵、玉葱と油揚げの味噌汁だ。
それを眺め、瑜葵はふと周囲を見渡した。
いつも傍にいてくれる志乃と佐助がいない。

「……佐助さん、は」
「猿飛様でしたら、お館様に呼ばれております」

「志乃さんは……」
「彼女でしたら、今日は下町に出ておりますが」

女中の答えに、瑜葵はそう、と頷いて箸を手に取った。
食事はすぐに終わり、瑜葵はすることもなく女中が膳を片付けるのを見ていた。

「……したまち……」




草屋敷で才蔵と情報交換したあと、佐助は瑜葵の部屋に戻った。
瑜葵は突然目の前に現れた佐助に目を瞬かせた。

その様子に思わず笑みを零し、佐助は瑜葵の頭を撫でた。
撫でながら部屋を見渡し、女中が一人も部屋にいないことに首を傾げた。

志乃は今日休みだと聞いているが、他の誰かが瑜葵に付いている手筈だったのだが。

どうしたのかと考えていると、瑜葵に上衣を引っ張られる。
視線を戻すと、瑜葵に問いかけられた。

「佐助さん、『したまち』とは、どこですか?」
「………賑やかなところ。下町なんて、何処で聞いたの?」


瑜葵は、国名、有名な武将、地形、都市の名称などを知らなかった。
下町という言葉も、知らないはずだ。

「女中さんから、聞きました。女中さんの話では、凄く楽しいところだとか」

「……まぁ、あながち間違ってないよ。行きたいの?」

佐助はどうしたものかと思いつつ聞くと、瑜葵はこくりと頷いた。

「はい。私の事を知っている方が、いらっしゃるかも知れません……」
「んー…どう思います、大将」

ひょいと庭に顔を出し、そこで稽古をしていた師弟に声をかけた。

「瑜葵殿が城下町に行きたいと?」
「うん。知ってる人がいるかもって気になってるみたい」
「……うむ。よかろう」

佐助の話に、信玄は深く頷いた。途端に、瑜葵の雰囲気がぱっと華やぐ。
その様子を、三人は嘘付けない子だなーと思いつつ見守る。

「わしが直々に案内しよう。なにせ、わしの治める国じゃからのう」
「なら、某も行くでござる!佐助もついてこい!」
「あ、俺様は無理。大将に頼まれた仕事、終わってないんだ」

その場の雰囲気に乗らない佐助を、幸村はじとっと睨みつけた。

「なら仕方あるまい。少々給料を下げ」
「ちょっと旦那!ただでさえ安月給なのに!」
「……ならついてこい!」
「横暴な事言わないの!才蔵をついて行かせるからさ!それで勘弁して!」

幸村が渋々納得したのに安堵して、佐助はふと瑜癸を見た。
若干不安そうに見えるのは気のせいだ、そう気のせい。

そう言い聞かせて、佐助は視線を逸らした。



床に着いてから、瑜葵はぼんやりと明日のことを考えた。

『したまち』に行こうと思ったのは、昼間、女中達が話しているのを聞いたからだ。

――素性が知れない子を養子になさるなんて、お館様は何をお考えなんでしょうね

――しかも、記憶を持ってないらしいわよ

――そんなふりをしているだけじゃない。表情もないし、ちょっと怖いわ

素性がわからないこと、記憶がないことは、女中たちを怖がらせてしまう。

そう知った時、瑜葵は驚いた。
瑜葵にとって、記憶がないことは別に怖いことでも不安なことでもなかった。

素性や記憶が確かなら、女中たちは怖がらないでいてくれるのだろうか。
そんなことを考えて、『したまち』に行きたいと言ってしまった。


お館様や幸村さんが付いてきてくれることは、とても心強い。

行ったこともない場所というのは、やはり、少し怖い。

佐助さんがいないのは少し寂しく感じるが、『しごと』では仕方がない。
『しごと』のときはとても忙しいのだと、志乃さんが言っていた。

瑜葵は『しごと』をしたことがないから、忙しさがよくわからない。
けれど、邪魔をしてはいけないことはわかった。

「……どんな、ところかな……」

『したまち』。賑やかなところ。人がたくさんいるところ。

まるで想像できないその場所に思いを馳せて、瑜葵は目を閉じた。

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