- 緋袴の女子
不覚、だった。給料分しか働かないつもりだったのに。
主のために生き延びる、そう覚悟していたのに。
腹の傷を抑えた手は真っ赤になっていて。
霞む視界の裏に戦場の気配がざわめいていて。
佐助は死を予感し、はっと自嘲のため息をついた。
「……あと、少しくらい」
旦那の傍で、一緒に戦いたかったな。
そう呟いて目を閉じた。
その瞬間、すぐ間近で茂みを掻き分ける音がした。
佐助は重い瞼を開き、周囲に視線を巡らせた。
忍はそれなりに機密を持っている。それを敵に取られてはならない。命尽きる前に、消さなくては。
佐助は痛みと寒さを堪えつつ、くないに手を伸ばした。ただそれだけの動作で、目の前がちかちかと明滅する。
刺し違える覚悟でくないを構え、揺れる灌木を睨む。
だが、灌木から現れた相手を見て、佐助は目を瞬かせた。
「……?」
現れたのは、ぼんやりとした表情の女子だった。
白の小袖に緋袴、裸足。太刀も穿いておらず、鎧も着ておらず、髪も結っていない。
白い肌にたっぷりとした黒髪、折れそうな程に華奢な痩躯から見て、近くの農村の娘ではない。
瓜実顔に富士額、すっと通った鼻梁に零れそうなほど大きな双眸、すっきりとした輪郭と顔形は相当の美人だ。
その面差しは、月が恥じらい花が閉じるほどに美しく、神々しく透き通ってみえる。
唯一、小さな花のような唇にだけ、人間めいた愛らしさがある。
だが、ぼうっとした顔つきはほとんど無表情で、感情らしい感情は読み取れない。
「……忍び、か?」
佐助が警戒しつつも声をかけると、女子は佐助の方を見た。
その双眸が佐助を映し、やや安堵したような光が浮かぶ。
それを訝しげに見ていると、女子は佐助の方に近寄ってきた。
「ちょっと、それ以上近づかないでくれる?」
脅すようにくないをきらめかせたが、女子はそれが一体何の用途に使われるものなのか理解していないようで、小首を傾げる。
そして、佐助の前に膝をつき、佐助に手を伸ばした。
「なっ、――ッ!」
予想外の行動に驚き、佐助はくないを振り上げた。だが、瞬間痛みが走り、目の前が霞む。
佐助が痛みに気を取られた一瞬の間に、女子は腹の傷に手を翳した。
「ちょっ、何して……?!」
狼狽し、女子を引き剥がそうとして、佐助は異変に気付いた。
「なに、それ……」
傷に翳された女子の手が、淡い燐光を帯びている。
ぼんやりとした温もりが傷を包み込み、佐助は目を瞠った。
光の婆娑羅かと思ったが、女子に攻撃する気配はない。
光は直ぐに消えて、同時に女子が意識を失って倒れた。
「ちょっとあんた、一体何して……あれ?」
女子を起こそうとして、佐助はまた違和感に気付いた。
先程はくないを取り出すのも辛かった痛みが、まるで嘘のように失せている。
腹を見ると、そこにあった傷が跡形もなく消えている。
破れた服とこびりついた血しかない。
「……傷が、ない?」
あり得ない。婆娑羅は攻撃に使う能力で、治癒のような防御的な能力のものはない。
「どうなってんの、これ」
佐助はひとしきり考えた結果、大きくため息をついた。
佐助の足の上で死んだように眠っている女子を見下ろし、がりがりと髪をかきむしった。
「……一先ず、報告しますか」
女子を肩に担ぎあげ、佐助は戦場の方へ向かった。
眩暈もふらつきもなく、また戦場の喧騒もなくなっていた。
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