戦の始まり

花見から数日後、謙信とかすがは越後へと戻っていった。


それから一か月が過ぎて、瑜葵はまたも城内がおかしいことに気付いた。
家臣たちや兵たちは緊張した面持ちで、信玄も幸村も部屋に籠りきりだ。
佐助も留守にすることが多く、朝に顔を出すことも少なくなった。

しかも、瑜葵は部屋からあまり出ないようにと言われ、薙刀の稽古も止めになった。
琴の練習にも飽いて、瑜葵は室内の縁側寄りのところに座って庭を眺めた。

「よっ、暇そうだな?」
「慶次さん」

彼も、ふらっと来てからずっと信玄と篭りきりだ。
夢吉を預けられる事もあり、瑜葵は夢吉とはとても仲が良くなった。

「近々、何かあるのですか」
「戦があるんだ」
「戦……」

慶次の返事は、前のときで概ね予測はできていた。
できていたが、やはりあまりいい気分にはなれない。

「どうして、戦をするのですか……?」
「織田っていう武将が尾張にいるんだが、そいつが酷いんだ。武士や兵士だけじゃない、農民までも皆殺しにして、国ひとつ丸ごと焦土にしてしまうんだ」
「ひど、い……」
「だから、織田に天下を取られる訳にはいかない。個々で争わないで手を組もうって話をしてるんだ」

でも、これがなかなかうまくいかなくってねー、と慶次が呟く。
気遣うように、夢吉がその頭を撫でる。

「今のところ、賛成なのは越後だけだな」
「越後、……謙信様ですか?」
「お、知ってるんだ」
「前のお花見大会で、一緒に桜を見ました。優しい方です」

落ち度は瑜葵にあるのに、謙信とかすがは、止められなかったことを詫びてくれた。
倒れた瑜葵を、越後に戻るときも心配してくれた。

「俺の友人でさ、俺もよく春日山に行くんだ。今度、一緒に行こーな?」
「はい。謙信様も、春日山の桜を見せて下さると、言っていました。戦が、早く終わればよいのですが……」
「………だな」

いつもは明るい慶次が、どうにも落ち込んでいるように見えて、瑜葵は目を瞬かせた。

夢吉の真似をして頭を撫でてみると、慶次が驚いてぽかんと口を開く。
そして、困ったように苦笑して、甘んじて受け入れてくれた。

「慶次さんも、戦は嫌いですか」
「俺は、戦で、まつ姉ちゃんと利に悲しい思いをする事があったら、嫌だからさ。戦なんかしない方がいいんだ」
「慶次さん。……私に出来る事は、ありませんか」

瑜葵の問いに、慶次はとてもとても悲しそうに笑った。
慶次の返事は予想通り、『ない』だった。




慶次が奥州に戻るといって部屋を去った後、瑜葵は一人考えた。

戦はとても怖いもので、たくさんの人が死ぬ。
瑜葵の手ならば、傷ついた兵士を死なせずにすむだろう。

だが、信玄たちは、瑜葵の耳に戦のことが入らないようにしているようだから、おそらく瑜葵が一緒に行くのは認めないだろう。

それでも、誰かを救えるなら、瑜葵は戦に同伴したいと思った。
思うや、瑜葵は信玄たちに願うために母屋の方に向かった。

信玄の部屋に近づくと、部屋の中から会話が聞こえてきた。

「上杉の使いで参りました、かすがと申します」
「おおっ、そなたがかすが殿!某は真田源次郎幸村、お初にお目にかかり申す!お噂はいつも佐助から聞いておりますぞ!」
「は?」

幸村の声とかすがの声に、瑜葵は目を瞬かせた。
かすがは越後に戻ったのに、どうしてここにいるのだろうか。

ともかく先客がいるのだからと、瑜葵は廊下に座って待つことにした。

「佐助は今、そなたと同じ用向きで、三河の徳川、近江の浅井へと赴いておる。一時共闘の申し入れじゃ!」

信玄の声が聞こえて、瑜葵は慶次が言っていた言葉を思い出した。
織田と戦うために、個々で争わず手を組もうという話だ。

「本当に、戦うの……」

なかにかすがもいるから、おそらくは謙信とかすがも戦いに出るのだろう。
みんな戦いに行って、自分はまた城にとどめ置かれる。

個々で戦うのをためらうほどに、織田という相手は強いのだろう。
慶次が言っていたように残酷な人なら、皆殺しにされるかもしれない。

戦場に行って、誰も帰ってこなかったらと思うと、瑜葵は無性に恐ろしくなった。
部屋の中から聞こえてくる声もろくろく聴かず、瑜葵はその場を離れた。

「――猿飛佐助、ただいま戻りました」

その直後、かすがと入れ替わりに佐助が帰還した。



自室に戻ろうと廊下を歩いていると、すぐ前方に女中頭が歩いているのが見えた。
その背を見つめながら、瑜葵はふと思いついた。

戦の勝敗を知りたい。神に聞いてみようと。

瑜葵は神に憑依されたことを覚えていないし、過去を思い出したわけでもない。
だが、聞けばわかるという確信を持っており、そのために何をすべきかもわかっていた。

「あの……」

瑜葵が呼び止めると、女中頭は笑顔で振り返った。

「どうかなさいましたか、姫さま」
「この辺りに、綺麗な水辺はありませんか」

瑜葵の問いに、女中頭はいささか不思議そうな表情をした。
だが、仔細を問いただすようなことはせず、少し頬に手を宛てて考えた後、答えた。

「確か、裏山に湖がありました。でも、お一人で行っては駄目ですよ?」
「……はい」

抜け目なく釘を刺されるが、瑜葵はただ女中頭とわかれるやすぐに裏山に向かった。

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