真っ直ぐ

泣き止んだ後、瑜葵が退出する前、信玄は言った。


『謙信公も気兼ねして、お前が起きるのを待っておる。佐助に目を冷やして貰ってから、会いにいくと良い』


二回も泣いたものだから、目元は真っ赤に腫れ上がり、目も充血している。
これでは、とてもではないが人前に顔を出すなど出来ない。

濡らした手ぬぐいを当てようとした佐助の手を、瑜葵はそっと止めた。

「どうかした?瑜葵ちゃん」
「幸村さんに、会いにいっていないので……」

「幸村の旦那は俺が呼んでくるから、瑜葵ちゃんは目を冷ましてて」
「でも……」
「し、て、て。わかった?」

暗雲を背負った佐助が、笑顔を貼り付けて言う。
怒気がひしひしと伝わってきて、瑜葵は思わず俯いた。

「……はい……」

佐助が怖い、と思ったのは初めてだ。

瑜葵は今まで何度も、佐助に助けて貰い、怒られ、注意された。
だが、今回みたく、怖いと思うほど怒られた事はない。

それ程に、酒を飲んだのはいけない事だったのだろう。
佐助の怒った顔を思い出すと、瑜葵は悲しくなった。

怒られたことが、ではない。
怒っているときの佐助の顔は切羽詰まり、険しく、そして心の底から心配して歪んでいた。

そんな顔をさせてしまった事が、瑜葵には悲しかった。
もうそんな顔をさせたくないと思った。




凄まじい足音と共に、幸村は瑜葵の室に入って来た。

「瑜葵殿、起きられたか!良かったでござる!!」
「はい。心配をかけて、ごめんなさい……」

項垂れた瑜葵に、幸村は瞠目した。
本当に反省しているのだろう、見たこともないほど沈み込んでいる。

信玄と佐助にこってり絞られたのだとわかり、幸村は自分までも叱る必要はないと思った。
だから、心配していたことだけを。

「……よいのでござる。瑜葵殿が、無事ならば」

幸村に手をぎゅっと握られ、瑜葵はほっと安堵した。

彼の温かい体温が、手袋を通しても伝わってくる。
まるで、もう大丈夫と言ってくれているようで、とても落ち着く。

「瑜葵殿、某の目の届くところに居て下され。でなければ、某には、瑜葵殿を守り切る事が出来ませぬ」
「はい……っすみません……」
「な、泣かないでくだされ!瑜葵殿に泣かれると、某、どうしていいか……」

幸村はおろおろと視線を巡らし、眉尻を下げた。
けれど、普段は助言をくれる優秀な忍びは傍らにはおらず。

恐る恐る手を伸ばし、幸村は指先で瑜葵の涙を掬い、拭った。

すると、瑜葵は驚いたように目を瞬かせ、泣き止んだ。
それにほっとして、幸村は我知らず微笑んだ。

「……泣かないで下され、瑜葵殿」
「……はい」
「瑜葵殿は、泣き虫だったのだな。昔の某と同じでござる」

「そう、ですか……?佐助さんに怒られてから、泣いてばかりです」
「確かに、佐助は怒ると怖い。某も昔はよく怒られて、泣いたでござる」

しかし、佐助も泣くまで怒らずともよいではないか?
幸村は半眼になってそれとなく天井に視線を回したが、残念ながら見当たらない。

「幸村さんも、佐助さんに怒られたのですか?」

「うむ、佐助は小さい頃から怒ってばかりで、きっと沸点が低いのでござる。大体佐助は、いつも某が団子を食べていたら、やれ食べ過ぎだ、やれ太るだといって没収するし、何かと言えば母上みた」
「誰が母上みたいだって、旦那?」


部屋の温度が急降下しそうな、ひんやりした声が天井から降ってくる。
幸村の顔から、見る間に血が引いていく。

「だーんな?」
「さささ佐助!お、おったなら、おると言わぬか!そ、某びっくりしたではないか!」

「ほーんと、俺様もびっくり。旦那の健康を考えて団子食うの止めたのに、小言がやかましい母上みたいに思われてたなんてねー」


うぐ、と幸村が言葉に詰まる。
佐助の背後に黒い影が出来る。そういえば彼は闇属性だった。

瞬間、幸村は立ち上がり脱兎の如く逃げ出した。
砂埃と土煙をあげて爆走する幸村を、残像が残る勢いで佐助が追い掛ける。

「許せ佐助ぇぇ!」
「待たんかこらぁぁあ!」

「………けほっ」

二人の被害を浴びた者一名、後に残される。

否。金色の髪の忍びが、瑜葵の横にすたんと降り立った。

「謙信様がお会いしたいそうなのだが……今、いいか」
「あ、はい。大丈夫ですよ」
「待て、寝ていろ」

立ち上がりかけた瑜葵を、かすがが制した。

「ですが」
「謙信様が、お前に無理させてしまったから、自分が行くと申したのだ。お前は大人しくしていろ」


言い置いて、かすががふっと消える。
追い掛けられる筈もなく、また、彼女らの居る室も知らないために、待たざるを得ない。

瑜葵は少しだけ、佐助やかすがを羨ましく思った。
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