さり気にホラー
がっくりと肩を落としたモニカを横目に、リヴァイは心の中で安堵した。

些かシンプルすぎるきらいはあるが、彼女が想起した部屋はとても平凡だった。
欲しいものと言って、金だの銃だのを思い浮かべたりもしなかった。

彼女が求めたのは、心地よいベッドと小説が一冊だけだった。
それは、彼女が特異性を持たない、平々凡々な人間であることの、何よりの証明だ。

彼女ならば、余程のことが無い限り、揉め事を起こしたりしないだろう。
同じ屋根の下で暮らすならば、その生活は出来る限り安穏なものであってほしい。

一瞬だけ過去に思いを馳せ、リヴァイはすぐに追憶を振り払った。
もう、あの日々は来ない。――来させない。




脱力しつつも、モニカはヒストリア・レイスの新作を手に取って確かめた。

ハードカバーの感触は間違いなく本物、タイトルもモニカの記憶にあるものと一致する。
試しにぱらぱらと頁を繰ってみるも、中にはちゃんと文章が書かれている。

間違いなく本物の小説だ。
発売のニュースを聞いてからずっと読みたいと思っていた、期待の新作だ。

まさかこんな形で手に入るとは思わず、モニカは複雑な気分でリヴァイに視線を移した。

彼はズカズカと部屋に上がりこんで、なぜか箪笥の上のホコリをチェックしていた。
しかも指先を滑らせてフッと息を吹きかけるという、見方によってはとても嫌味な遣り方でだ。

「すみません、リヴァイさん。説明してもらえると助かるんですが……」

モニカが声をかけると、リヴァイははっと我に返ったような顔になった。
そして、汚れてもいない手を軽く叩くと、モニカに向き直った。

「つまりだ。俺達は自分の部屋でのみ、なんでも自分の欲しいものを出せる」
「何でも、ですか」
「ああ。遣り方は今やったとおり、部屋の内部構造をイメージしながら扉を開くだけだ」

箒と塵取りをイメージしながら扉を開けば、室内に箒と塵取りが現れる。
遠心分離機でもストラディヴァリウスでも、望めば何でも手に入るのだ。

「内装もイメージ次第で概ね変えられる。ただし、部屋の大きさは変えられない」

体育館をイメージしても、室内が体育館になるわけではない。
部屋の大きさは変わらず、内装だけが体育館の仕様になる。

「したがって、室内に収まりきらない大きさの物体は出せない。ジャンボジェットとかフェラーリとかな」

例えのどちらもが、室内で欲しいと思う代物ではない。
彼なりの冗談だろうと思い、モニカは苦笑しつつも頷いた。

「それから、生き物も出すことが出来ない。犬とか猫とかカエルとかを欲しがる奴もいるが、ダメだった」

犬猫は癒されたいからだろう。しかし、カエルを欲しがる理由が分からない。
マニアックな趣味の人がいる、というあまり要らない情報が手に入った。

「最後に、窓や天窓を作ることは出来ない。壁を変形させるのも不可能だ」
「変形、ですか」
「ああ。殴っても蹴ってもヒビすら入らん」
「普通の壁も、殴っても蹴ってもヒビ入りませんよね」

モニカは今までの人生で、壁にヒビを入れた人間を見た事が無い。

しかし、リヴァイはそうなのか、といいたげな顔で首を傾げている。
この人は素手で壁を壊したことがあるらしい。

この館では、まず本来なら常識が通じるはずのところですら、通じないらしい。
もういっそ、疑問を抱くことからやめた方が良いかもしれない。

仏門修行でもないのに、モニカはだんだんと悟りを開きつつあった。

「先程、生き物は出せないと言ったが、イースト菌は出すことが出来たらしい」
「菌類は出せるんですか」
「わからん。この館に来てから誰も風邪にかかってないし、腐ったモノも見た事が無いからな。研究中だ」

研究中という事は、リヴァイやハンジ、その他の先に来た人達はこの館を調べているのだ。

そして、この館には、まだ解明されていない部分が存在するということだ。
……部屋の内装の云々などの、色々な謎は置いておいて。

「生物は概ね無理だと思え。勿論、家族に会いたいと思っても、彼らを出すことは不可能だ」
「家族、ですか」

此処に来る前のことを思い出し、モニカは目を伏せた。

誰も居ない家と、会うことすら稀な父親の顔が思い浮かぶ。
父親は、周りで失踪事件が多発していても、娘を気にするそぶりすら見せなかった。

モニカが失踪したとわかっても、家出したと思うか、或いはそれすらも思わないか。
結局、父親にとってモニカなど居ても居なくても構わないということだ。

今更会いたいとも思えないし、思うだけ虚しい。
ふと、学校の友達のことが思い浮かんだ。

彼女達ならば、モニカのことを心配してくれるだろうか。
今どうしているのか。生きているのかと、心配してくれるだろうか。

事件の話で盛り上がっていた姿を思い出し、モニカは一瞬の希望をすぐに否定した。
彼女達は、この連続失踪事件に対して会話のネタ以上の関心をもっていない。

きっと、モニカの事も、一過性の話題として扱うだろう。
SNSに『知人が巻き込まれた』と書き込んで、ある程度会話が盛り上がったら飽きて、忘れる。

きっと、その程度の関心しか、持たないだろう。
悲しいのは、モニカが彼女達の立場でも同じ反応をしただろうということだ。

思い起こしてみると、元の世界には、あまりにも希薄で寂しい関係しかなかった。
父親も友達も、モニカが居なくなっても変わらぬ人生を歩んでいく。

授業はいつも通りに行われ、使われない部屋には埃が積もる。
太陽は東から出て、西へ沈む。世界は、モニカが欠落しても何も変わらない。

そして、もう世界はモニカの居ない状態で回り始めている。
もしも帰れたとして、一体どこに居場所があるというのだろう。

友達は対応に困って、モニカをグループから外すだろう。
父親はモニカの所持品を片付けてしまっているだろう。

そう思うと、元の世界への未練がなくなっていく。
代わりに、心の中が空っぽになったような、悲しい感じがした。

「不思議なことに」

不意にリヴァイの声が思考に切り込んできて、モニカははっと我に返った。

「この館に来た連中は、誰も彼も『元の世界に戻りたくない』と思ってるみたいでな。帰れない事を悲観している奴は少ない」
「……はい」

先程まで暗かったモニカの目が、徐々に明るさを取り戻していく。
そのことに安堵しながら、リヴァイは言葉を続けた。

「帰れるかも、帰らされるかも、それがいつになるかもわからん。だが、それまで、この館での生活を楽しんだらどうだ」
「楽しむ、ですか」
「ああ。皆を家族か兄妹だと思って、目一杯楽しむ。悪くない話だろう」

不器用な言葉で提案された無いように、モニカは目を瞬かせた。

そして、それがリヴァイなりの励ましなのだと気付いて、相好を崩した。
嬉しくて嬉しくて、顔がだらしなくなるのを抑えられない。

「はい。普段出来ないことを一杯して、楽しみます」

軽やかな声音で返された言葉に、リヴァイは目を細めて笑った。
笑ったといっても、ほとんど気付かないほどの変化だったが。

ようやく和やかな雰囲気になった、その時。
ゆっくりと扉が開き、凄まじい形相の少女が入ってくる。

「お腹が空きましたぁあああ!」
「ひぃいいっ」

少女とは思えない形相と幽鬼もかくやの絶叫に、モニカもまた悲鳴を挙げた。
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