思ったよりも
目覚ましがけたたましい音を立て、朝が始まる。
モニカは叩くようにして音を止め、もぞもぞとベットから離れた。

覚めやらぬ頭を冷水で起こし、パンをオーブンにセットする。
片手でフライパンを操り、一人分の朝食を作って淡々と胃に詰め込む。

二人用の机の、向かいの席には誰も居ない。
それはモニカの唯一の家族であり父であるミケの席だ。

ミケ・ザカアリス。
スミスコンツェルンの取締役で、実質ナンバー3として有名だ。

年収三千万を越える所謂金持ちだが、実際はその金を使う時間も無いほど働いている。
家にも滅多に帰ってこないし、帰ってきてもモニカと時間が合わない。

最後に顔を見たのは先月末の、学校に行く前に今月分の生活費を渡されたときだった。

少し焦げたトーストを口の中に押し込み、洗顔ついでに取ってきた新聞を開く。
一面には『連続失踪事件』と大々的な見出しがあった。

此処ローゼ州シガンシナ区で、たった一週間で十人以上もの人間が忽然と姿を消した事件だ。
毎日大々的に全国放送され、昼のバラエティでは根拠も無い憶測が飛び交っている。

全国的にみると、失踪事件というのはそう珍しくない。
大抵は家出だったりで捜索願を出さないだけで、数としてみれば結構な数がある。

しかし、この事件は数の多く期間が短く、何より第一被害者が有名人だった。
そのため無駄に毎日取り上げられ続け、今では何処を歩いても耳にするようになった。

第一被害者の名前は、リヴァイ。
スミスコンツェルンの副総裁であり、数々の成功を積み上げた努力の人だ。

経済に興味の無い人でも顔は知っているというほど、メディアへの露出も多い。
切れ長の瞳と若い面差しが良いとかで、下手なアイドルよりも人気がある。

そのリヴァイ副総裁が突然失踪したのだから、メディアは大きく書きたてた。
車の中の血痕など謎が多く、恨みを買ったため殺されたのだとも騒ぎ立てている。
彼以降の被害者はいたって一般人で、全くもって関連性がないのだが。

スミス社長が苦言を呈してからはないが、一時は住所などの情報も公然と流してすらいた。

そして、それを指摘されても知らぬ存ぜぬするのがマスコミだ。
五歳の子供でも知っている『ごめんなさい』が出来ないのだから、仕方ない。

ともかく、それほど報道されたのだ。父が知らないはずがない。
それでも顔を出さないのは、娘のことなど心配していないからだろうか。

「……どうでもいいんだろうな」

四年前に母が交通事故で他界するまでは、普通の家庭だった。
しかし、母が亡くなり、父は仕事にのめり込んだ。

モニカはどちからからも捨て置かれ、一人になった。

どんなに良い成績をとっても、どんなに悪い成績をとっても。モニカは、いつも一人だった。

こんな事件がすぐ傍で起こっているのに、父は顔一つ見せない。
モニカのことなど、本当にどうでもいいに違いない。

モニカは制服に着替えて靴を履き、通学路を歩いた。
いつもどおりの、単調で飽き飽きした日常だ。

挨拶する為に作った笑顔が、すれ違うや消えていく。
口元に微妙に残った笑みも消えると、言いようの無い倦怠感が思考に纏わり付いた。

学校はきっと、昨日失踪したAOT高校の学生のことで騒いでいる。
しかし、今のモニカの気分では、話を振られても応えられない。

少し休もうと思い、モニカは目に付いた公園に入った。
手近なベンチに横になり、冷たいプラスチックの板に頬を寄せる。

十一月。文化祭も体育祭も終わって、学期末のテストまで暇な時期だ。
コートのお陰で、冷たい風もさほど感じない。

九十度傾いた視界には、何の変哲も無い公園が広がっている。
遊具はブランコとシーソーだけ、あとはモニカが横たわるベンチしかない。

もう少し時間が経てば子供連れの主婦で賑わうのだろうが、今は人っ子一人居ない。
近くに住宅があるのに、生活音が少しもしない。

子供の声も、主婦の声も聞こえない。
まるで、この公園は世界から疎外された場所のようだ。

雪の日のような静寂に耳を澄ませるうちに、眠気が湧き起こる。
学校に行く気もせず、そのまま寝てもいいかもしれないと思った。

十一月の寒空、ベンチで転寝などしたら風邪を引くに決まっている。
最悪、連続失踪事件の犯人に攫われ殺され、噂どおり埋められるかもしれない。

そうなれば、父は家に帰ってきてくれるだろうか。
ふとそんな事を考えて、モニカは苦笑した。

その時、モニカは家に居ないではないか。
可笑しさが去った後には寂しさと抗えない眠気が湧き起こり、モニカは抵抗せず目を閉じた。




あたたかい。頬に触れる感触が、眠る前と違う。
眠る前は無機質なプラスチックだったのに、今は絨毯のような柔らかいモコモコだ。

恐る恐る目を開くと、そこは知らない洋館だった。
玄関を入ってすぐのエントランスらしく、天井には大きなシャンデリアが輝いている。

玄関と遂になる側には二階へ続く階段が左右に二つ、階段の置くには両開きの扉が一つ。

階段を上った先はテラスになっており、エントラスを見渡せる形になっている。
そして、そのテラスの向かって左側には、奥に続く薄暗い廊下が見える。

全体的に豪華な内装で、壁は全て本物の大理石、足元にはペルシャ織の絨毯が敷かれてある。
明治や大正ならば、このエントランスで洋装をした貴婦人が踊っていそうな雰囲気だ。

ただ今は、二階のテラスにある振り子時計から聞こえる、コツコツという音だけが響く。
酷く静かで、誰もいないのではないだろうかと思うほど生活感が無い。

高い天井とシャンデリアにある蝋燭の炎のせいか、どこか薄暗くて不気味だ。
何の気なしに振り返り、ある異常を見つけた。

「玄関が、ない……?」

此処はホテルでいう玄関ロビーのような場所だ。
エントランスの真向かいにあるのは大抵、人の出入りする玄関扉のはずだ。

しかし、本欄あるべき場所はのっぺりとした壁。
扉はおろか、窓一つ無い。そのことに思い当たり、モニカは首を傾げた。


何かがおかしい。まるでこの屋敷には、日の光というものが無い。
まるで、幽閉するために作られた屋敷のような。

お粗末な想像に粟だった肌を撫でた、その時だった。

「おい。其処にいるのは、……新入りか?」

頭上、二階のテラスから男性の低い声が響いたのは。
見上げると、一人の男が壁にもたれかかるようにして立っていた。

間違いない、ここ数日テレビ、新聞、ネットのありとあらゆるメディアで見た顔だ。
名前も聞き飽きるほど聞いた、その人。

「スミスコンツェルンの、リヴァイ副総裁……ですか?」

恐る恐る訊ねると、その人は一瞬僅かに目を見開いた。
そして、壁から離れてコツコツと階段を降りてくる。

「知ってんのか。なら自己紹介はいらねぇな?」

ごく自然に腕を組み、堂々と見下ろしてくる人を見て。
最初に思ったことが、そのまま口を突いて零れ落ちた。

「思ったより小さ痛っ!」

言い終わるより早く、室内履きでスパンと頭を叩かれる。
同時に、二階の廊下から先住者であろう人たちの爆笑する声が響いた。
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