自我の発露
「ハンジ分隊長落ち着いてください!人間はティーポットには入りません!」
「でもあの子なら……」
「入りません、トリナはそこまで小さくありません!」

暴れ回るハンジを羽交い絞めにしながら、分隊長補佐官は溜息をついた。呆然自失から回復したハンジは、絶叫しながらトリナを探し始めた。人が隠れられそうなクローゼットの中、ベッドやデスクの下などは勿論。隠れられそうもない花瓶やごみ箱、インク壷、ビーカーまでひっくり返している。
隊員が止めようするが、その努力は全く報われていない。手近な調査兵団本部は勿論、各団員の寮や食堂、ハンジの研究室などは既に混沌の境地だ。

「分隊長、落ち着いてください!」
「あの子まだ洗顔も着替えも歯磨きもしてないし、靴も履いてないんだよ?はっ、まさか誰かに誘拐されて……!?」
「誰が誘拐するんですか、あんなバーサーカー」

あんまりにぶっ飛んだ発想に、補佐官は思わず本音でツッコミを入れた。新兵はともかく、一度でも同じ戦場に立った者ならば、トリナの強さも怖さも知っている。その上で誘拐を試みるような命知らずは、生憎だが調査兵団には存在しない。

「誘拐の線を忘れてた……今すぐ憲兵団に連絡」
「しなくていいですから!落ち着いてください、分隊長」

ハンジが放り投げたティーポットをキャッチし、補佐官はふと机の上にあったカルテを手に取った。それはトリナのカルテで、彼女の動向に関する変化を事細かに記載してある。その中で最新の日付にある記述を見て、補佐官は目を見開いた。

「分隊長、これ」
「何、居た?……あ」

砂糖入れを覗き込んでいたハンジは、差し出されたカルテを見てピタリと動きを止めた。そして、昨日の記述を読み込むや否やカッと目を見開く。

「ちょっと行ってくる!」

カルテを奪い取るや砂糖入れを放り捨て、ハンジは走り去さった。それを見送りながら砂糖入れをキャッチした補佐官は、溜息をついて振り返った。察しの良い隊員たちは既に、エプロンと三角筋を付けて待機していた。箒と雑巾、バケツには水と既に準備も整っている。補佐官モブリットはもう一度溜息をつき、考えておいた掃除区域を各班に振り分けた。


食堂を出たあと、エレン達はトリナを連れて訓練兵団本部へ向かった。待てど暮らせど来ない迎えを待つより、訓練兵団に預けた方が安全だとアルミンが提案したためだ。訓練兵団本部ならば、迎えを要請できる。その上、本部の監視下にあればトリナが訓練場に乱入することは防げるはずだ。

もし四度目の乱入になれば、教官の血管が切れかねない。問題児を押し付けるようで後ろめたいが、エレン達も無駄に怒られたくない。ミカサに手を引かれて歩くトリナは、何を問いかけてもまるで反応しない。上の空で、何を考えているのか全く読めない。
本部のエントランスに入ったところで、エレン達は思わず足を止めた。教官と見張りのイルゼが、こめかみに青筋を浮かべて待ち構えていた。

怒りを突き抜けて殺意すら漂わせており、人が遠巻きに眺めている。二人を見た瞬間、アルミンとエレンは踵を返したくなった。眼光に射竦められて動けなかったが。ミカサは相変わらず動じていない。トリナに至っては上の空のまま、気付いてすらいない。
その様子が癇に障り、イルゼは言葉もないままトリナの頬を張り飛ばした。怒りで狙いが外れ、力の割にささやかな音が響く。

「なんでこんな事ばかりするの、トリナ!」
「い、……」

勢いで横を向いた首を戻し、トリナはじんじんと熱くなる頬に触れた。今、何をされたのか。いたい。『いたい』を認識した瞬間、脳の奥が覚醒し始める。

「勝手に出歩いて、どれだけ探し回ったと思っているの!分隊長も大慌てで、何がなんだかもう……っ」

知らない人が何か怒鳴っている。知らないことばかり、怒鳴っている。興味が削がれていく。トリナは頬を抑えたまま、俯いた。しかし、その態度が余計にイルゼの神経を逆撫でする。
傍目には反省しているように見えても、トリナは反省などしていない。いつもいつも、自分のしたいように振舞って、後始末をイルゼに押し付けているのだ。白々しく俯いたところで、イルゼの怒りは収まらない。

「あ、あの……」
「訓練兵は黙ってて!」

間に入ろうとしたアルミンを押しのけ、イルゼはトリナの胸倉を掴んだ。

「此処は訓練兵団の場所で、貴方は来ては行けないの!どうしてそれがわからないの!」
「……」
「トリナッ!」

間近で大声を出され、トリナは思わず耳を覆った。しかし、その行動がイルゼの怒りを買ってしまう。振り上げた手のひらが、今度は容赦なく頬を叩いた。

「……ッ」

再び頬に走った痛みに、トリナは顔を歪めた。じわりと視界が滲み、頭の中がぐちゃぐちゃになる。わからない。しらない。きらい。いたい。いるぜ、嫌い。

「う、……っ」

トリナの目がじわりと潤んで、見る間に大粒の涙を浮かべる。ぼろりと目の縁から零れた涙に、怒り心頭で責め立てていたイルゼは虚を突かれた。

「な、泣いたって無駄よ、皆怒ってるんだから!」
「うっ、うう……」
「泣かないの!あなた兵士でしょ!」

本格的に泣きだしたトリナに、イルゼはますます慌てた。間近でじっと見つめてくるエレン達の視線が痛い。特にミカサの視線が、冷たく突き刺さる。場所を移そうと思い至り、イルゼは空いた手でトリナの手を掴んだ。しかし、その手は強い痛みと共に振り払われる。

「き、らい」
「え?」
「きらい、いるぜ、きらい」

敵意の籠もった言葉に、イルゼの反応が鈍る。その瞬間、イルゼの頬を鋭く尖った何かが抉った。それがトリナの爪だと気付いた時には既に遅く、首筋にひやりとした感触が伝わる。

「いるぜ、きらい」
prev Index next
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -