一方リアルでは
処は東京某区、喫茶店『THE MED』。菊は片手にビール、もう片手にマイクを持ち、室内を見渡した。

「それでは、第七回目警察VS被害者親族懇親会の打ち上げを始めたいと思います。皆さま、飲み物の用意はよろしいでしょうか」

会場のあちこちから大丈夫だのOKだのとまばらな返事が返ってくる。菊はコホンと咳払いをし、ジョッキを高く掲げた。

「それでは、かんぱぁああい!」
「「「かんぱあああい!」」」

彼方此方でグラスをぶつけ合う音が聞こえる。中でも一際大きかったのは、ワイングラスをぶつけ合う二人だ。

「今回は良いお話が出来て嬉しかったですわ、バイルシュミット長官?」
「こちらこそ有意義な討論が出来て喜ばしく思いますよ、エーデルシュタイン夫人?」

バチッと火花を散らし合う二人に、同席する菊とマシューは苦笑を浮かべた。
フリードリヒ・バイルシュミット。言わずもがな知れた警視総監であり、《HAO事件》の総責任者だ。綺麗な銀色の髪、青空のように澄んだ青い瞳。知性と品性が感じられる整った面差しは、厳しい表情をすれば精悍さを、微笑めば優しさを見せる。長身痩躯にセンスの良いデザインスーツを纏う妙齢の美丈夫だが、言動は少しお茶目なところがある。
ある凶悪犯の立てこもり事件のおり、得意なあれと言われてフルートを演奏したエピソードは有名だ。彼の二人の息子、ギルベルトとルートヴィッヒは被害者であり、一年経った今もかの世界で生き続けている。

その彼と対峙するのは、マリア=テレジア・エーデルシュタインという女性だ。世間的には結婚前のマリア・テレジア・フォン・エスターライヒという名前で知られたオペラ歌手だ。澄んだ湖のような明るい青い瞳に、高い位置でシニョンにした鮮やかな金髪。くっきりとした目鼻立ちは人目を引く程美しく、高い頬骨と引き締まった口元には賢さと利発さが窺える。
四十手前とは思えぬ美人として度々メディアに取り上げられている。また、生物学者であった夫フランツを失った後、女手一つで十六人を育て上げた肝っ玉母ちゃんだ。息子が被害者となった日、特殊部隊並の装備で首謀者の自宅を襲撃したトンデモ貴婦人でもある。なお、彼女の末の息子ローデリヒは《HAO事件》の被害者であり、今もかの世界で生き続けている。

また現在、彼女は《HAO事件》被害者親族の会の会長を務めている。そして、被害者親族の捜査協力許可を求めて警察に突撃、フリードリヒと衝突している。舌鋒鋭い論理展開、互いに引かぬ討論。言葉のドッジボールどころか銃撃戦のような論争は、もはや名物となりつつある。そして、そのたびに被害者親族の会は打ち上げと称した親睦会を開いている。

「私は息子の為ならば例え火の中水の中、何処へだって駆けつけますわ」
「私も息子の為ならば冤罪拷問何だってするとも」
「私も兄さんのためなら殺人だってする!」
「僕も、サディクの為なら何でもする!」

名物二人に貼り合うのはナターシャ・アルロフスカヤというヤンデレ系女子中学生だ。兄イヴァン・ブランギンスキを溺愛しており、斧を手にゲーム会社『ヴァルガス』に突撃したことがある。
もう一人は北キプロスという小学生だ。年齢の割にはきはきとした子で、ゲームに囚われた養父サディク・アドナンを助けようと日々色々頑張っている。

「何張り合ってんの意味わかんない」
「おめも、張り合ってこ」
「何で張り合わなきゃいけないの」
「そら、おもっしぇからだべ……」

ツッコミと茶々を入れるのは北欧育ちの美形兄弟だ。その横では、被害者親族の女子達がジュースで乾杯している。一人は家の越南料理店を手伝ったまま来たと思しき、アオザイを着た少女だ。名前はベトナム・ハノイと言い、姉の台湾が被害に遭っている。
一人は水泳でこんがり焼けた健康的な少女で、セーシェル・ボヌフォワという。従兄のフランシス・ボヌフォワが被害に遭っている。
一人は関西弁を話すワッフル好きな少女で、ベルベル・ブリュッセルという。兄(実は従兄)のラン・ハーグが被害に遭っている。それからナターシャとナターシャの姉ウクライナを加えた五人だ。

その横では、既に二人の大人が早速ジョッキ一杯目を開けている。一人はマシューの付き人であるキューバ・カリブという。ドレッドヘアを後ろで一つに束ねた、少しアウトローな雰囲気漂う男性だ。もう一人はこの店の副店長のグプタ・ハッサンだ。アラビア風の民族衣装を身に着けた、謎めいた雰囲気をもつ人だ。二人とも身近な人が被害者になっているが、口をついて出るのは被害者に対する愚痴ばかりだ。特に酒が入ると愚痴が貶し合いになり、大抵は周囲の人を巻き込んで愚痴合戦を繰り広げる。

それにジュースで付き合うのは、マカオ・アオメンとキプロス・ニコシアだ。マカオの方はおおらかに笑いながら、キプロスの方は視線を泳がせながら愚痴を聞いている。人が良いのか断れない性分なのかは、二人の顔を見れば明らかだ。

「ですから!私は一人の母として息子の安全を」
「事件の捜査は法に則り正しい手続きをもって行われる必要が」
「だから、張り合わないって言ってるでしょ。しつこいよノーレ」
「お兄ちゃんて呼べ、お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃん」
「結婚結婚結婚結婚結婚……」
「ちょっナターシャちゃん、何飲んどるの!それアクアビットやん」
「ごめんなさいお姉ちゃんがちゃんと見てなかったから」
「ベトナムさん最近どうですかー?」
「ネムザンを作れるようになった」
「あああ思い出すだけでも腹立ってきた!アルの奴俺の車にあんな落書きしやがって……!」
「サディクもたまにロクでもない悪戯をしてね……ふふふ」
「おやおや、大変ですねぇ」
「大変っていうか、怖いですよ……」

「…………」
「…………」

すぐさまカオスと化した室内を、マシューと菊は少し離れた場所から見つめた。料理を食べているうちはまだ口論だけだが、満腹になると皿やらフォークやらが飛び交い始める。懇親会というよりアメリカのハロウィーンの光景だ。後片付けは大抵、菊とマシュー、マカオ、キプロスがしている。他の面々は暴れるだけ暴れると、そのまま寝てしまう。因みに中高生は親に連絡済、大人は翌日に休暇を取ってあるので一応問題はない。

「そういえば、あれから一年経つんですね。早すぎて、あまり感覚ないんですけど」
「そうですね……本当あっと言う間に過ぎてしまいました」

喧騒をよそに、二人は厨房でホットケーキを作り始めた。もうじきマカオとキプロスが逃げて来るので、二人の分のちゃんと計算済みだ。

「早いですね」
「本当、早いです」

フライパンに生地を流し込み、菊とマシューはふつふつと粟立つ表面を見つめた。背後からは皿か何かが割れる音が断続的に響いて来る。酔っ払いの歌声(男性ではない)が聞こえてくるのも、気のせいではない。

「皆元気ですねぇ」
「最初の頃よりはいいんじゃないですか」
「ああ、葬式の参列みたいでしたよね」

この懇親会の最初のころは、皆先行きの見えない不安に囚われていた。しかし、一年も経つと皆慣れてきてしまった。表面上は冷静さを取り繕う余裕ができ、また現実に立ち向かう勇気を持てるようになった。集まれば互いの近況を話すくらいには、明るくなれたのだ。
それでも、近しい人の死を恐れる気持ちは変わらない。定期的に酒(学生はジュース)というきっかけで発散して、どうにか紛らわせているといったところだ。菊とマシューが暴れないのは、単純に暴れるよりも心穏やかに過ごしたいからだ。

菊の家は現在大荒れ状態で、家に居ると心が休まらない。マシューの家は冷酷なまでに静かすぎて、落ち着かない。二人にとってこの懇親会は、互いの痛みや不安を理解し合える相手が居て、心穏やかに過ごせる唯一の場所なのだ。
十枚ほど焼いたところで、廊下側から二人分の足音が聞こえてくる。メープルの瓶を開いたマシューは、菊に軽く目配せした。
さあ、四人で夜更けまで、何をして過ごそうか。

【圏内事件】―完―
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