不器用な二人
ランの店『ネーデル』は一階が店、二階が生活空間となっている。一人用の住居のため、必要最低限の設備はあるものの、客室などはない。身なりを整えたランは、HAO通信とマグカップを片手にソファに腰掛けた。すると、隣に座っていた少女が、ぽてりと膝の上に倒れてくる。必然的に膝枕の形になるが、ランはさして動じずにHAO通信を開いた。

「ラン兄さん」
「なんね」
「あの箱、渡してくれたんですね」

あの箱と聞いて、ランは僅かに目を細めた。ちらりと膝上の黒髪を一瞥し、一拍置いてわざと溜息をつく。

「なんの事かわからんわ、アホ」
「ありがとうございます」
「わからん言うとるやろ、椿。礼なんぞ言うな」
「でも、ありがとうございます」

言うなと言っても繰り返す椿に、ランはまた溜息をついた。あの箱。それは、椿が持て余していた小さな箱――《永久保存トリンケット》という、とてつもなく値が張るアイテムだ。四十二層攻略後、椿はランの店に来た。そして、ランの手が空くまでずっと、それを掌の中で持て余していた。落ち込んだ表情で、ずっと。哀しい顔で、ずっと。
それが気になったランは、ちょっとした隙にその箱を隠した。椿は、きっと疲れ切っていたのだろう。商談が成立すると、箱がなくなった事に気付かないまま帰ってしまった。

「ほんま、不器用な奴やざ」

《トリンケット》の中には『クロシヌム・パルファン』というアイテムが入っていた。クロシヌムサフランというレアな香辛料アイテムからしか作れない香水だ。箱自体もさることながら、中身も相当に金のかかる代物だ。材料集めは勿論、作れる職人を探すだけでも苦労しただろう。

その頃、フランシスはこの香水を作ろうとして何度も失敗していた。そして、椿は彼と会っていたチーズ屋に行かなくなった。二人の間に何があったかなど、ランは知らない。しかし、ランは椿のことなら大抵、聞かずともわかった。だから、彼女には何も言わず、その箱をフランシスに投げ渡した。驚く彼に、『どっかの阿呆からの謝罪やざ』とだけ言って。

「ラン兄さん」
「なんね」
「……ごめんなさい」

ランはぴくりと眉を動かし、また溜息をついた。そして、コーヒーカップを置いて膝上の黒髪をぐしゃぐしゃと撫で回した。

「こん馬鹿が。謝るくらいならするんやないわ」
「でも、……ごめんなさい」

何を謝るのか。それは、十二分に知っている。ぐしゃぐしゃにした髪を直し、ランは苦笑した。

「ようやった、椿。褒美になんか作ったるから、少し待っとれ」
「……うん」



三日。それが、オレンジからグリーンに戻るまでに必要な時間だった。椿はランから渡されたアイテムを見つめた。桜を模した髪飾りと、桃色の布地に総柄の振袖、紫色の袴、黒い革製のブーツ。それから、菊を模した帯締めが一本。鑑定スキルを持たない椿には、これらを作ったのが誰なのかはわからない。しかし、どれも間違いなくプレイヤーメイドのものだ。
ランは何も言わなかった。誰が作ったのかも、誰からのものなのかも。けれど、一目見てわかった。髪飾りと着物、ブーツはフランシスからのものだ。彼のデザイン帳を見せてもらった時、同じデザインの絵があったのだ。もっとも、彼のスキルではこのレベルのものは作れないから、誰かに依頼したのだろうけれど。

帯締めは、ランからの贈り物だ。椿が兄の事を話したのは、サディクとランだけだからだ。サディクが椿にものを贈る理由はない。だからこれは、ランが贈ってくれたものだ。彼もまた、椿と同じ不器用な人間だ。どうしたらいいかわからなくて、何も言えなくて。

それでも、精一杯の努力をしている。しかし、理解しにくいやり方だから、よく誤解される。傷付いて、苦しんで、それでも、わかってほしいとは言わない。言っても無駄だと思う気持ち半分、言わずともわかってほしいと願う気持ち半分。わかってくれなくて、失望して。それもまた身勝手だと思う。結局、理解されない寂しさだけが残るのだ。

――なぜ、見殺しにしたんです
――貴女、知っていたんでしょう
――知っていて黙っていたんでしょう
――ベータテスターですね。でなければ、知っている筈がない

何故。そう問う声が、鋭く突き刺さる。憎悪の視線、疑惑の声。傾いていく心理。あの時、そうするしかなかった。椿がするしかなかった。他の誰にも出来なかった。だから椿が背負った。あの時渦巻いていた憎悪と、一千人未満のベータテスターの命運を。一枚の黒いコートと共に、背負ってきた。もっとうまく立ち回れたら、どれだけ良かったか。ベータテスターなど知った事かと言えるほど自己中心的だったら、どれだけ良かったか。

――どうして、嘘を付いたんですか

震える声で問うてくる青年に、椿は答えなかった。嘘を暴いたランの後ろに隠れて、零れそうな涙を堪えるのが精いっぱいだった。

――金輪際、こいつに関わんなや

代わりに怒ってくれた人。代わりに代弁してくれた人。嬉しくて嬉しくて、とても、懐かしかった。

――貴方、なんだか、似てます。私の兄に
――ほうけ。お前は俺の妹とはちっとも似とらん

そう言いながら、ランは笑ったのだ。お前が俺の妹やったら、良えのになぁと。

「……ありがとう」

脳裏に銀色の青年が浮かぶ。彼との繋がりは、もう断ち切ってしまった。けれど、それは今まで断ち切ってきた多くの絆の内の一つに過ぎない。失ったものを惜しむ権利は、断ち切った椿にはないのだ。悲しいと思うことも、きっと。許されるのは、感謝することだけだ。眩しいほどの輝き、在りたいと願う姿。それに近付けただけでも、幸せだったのだと思うことだけだ。ならばせめて、許されたことだけでもしよう。例えそれが、不器用な感謝であっても。

「ありがとう」

扉の向こうに居るであろうランが、聞いてくれる。



贈られたアイテムを装備し、椿はランの店を出た。オレンジが解除された今、ランの店に隠れている必要は何もない。椿はソロプレイヤーだ。前線に籠り、モンスターと戦ってレベル上げに邁進しなければいけない。強くなければ、数値を稼がなければ、この世界では生きていけない。数字が一つ足りないだけで、命は呆気なく散る。特に今は、《圏内PK》事件の捜査で遅れた分を取り戻さなければいけない。椿は転移門に近づき、遥か手前で足を止めた。
転移門の前で、一人の男が、道行くプレイヤーに声を掛けている。今にも倒れそうな足取りで、滂沱と涙を流しながら、必死に何かを訴えている。しかし、道行くプレイヤーは男には目もくれない。一瞥しても、すぐ興味ないと言わんばかりに素通りしていく。

「……」

同じように素通りしようとした筈なのに、椿の足は男の前で止まってしまった。男は驚いたように目を瞠り、そして、椿の前でがくりと膝を折った。

「貴女は、強いですか?」
「私は、……一応、《攻略組》に名を連ねています」

言うべきかどうか悩んだが、はい強いです、では胡散臭すぎる。椿は男と目線を合わせるために身をかがめ、石畳に膝をついた。

「名前は本田椿。巷では《閃光》と呼ばれています」

男は椿の名を聞いてぎょっと目を剥き、次いで顔をくしゃくしゃにした。それは喜んでいるようにも、悲しんでいるようにも見えた。

「お願いがあります、どうか、どうか聞いてください。お願いです」

今にも土下座しそうな男の雰囲気に、椿は眉尻を下げた。この人は、何かとても重いものを抱えている。レアアイテムとか、そんなものではない。この人の未来さえ左右しそうな、重い何かだ。本来なら知らん顔して通り過ぎるものなのに、どうしてか立ち止まってしまった。厄介ごとに首を突っ込むような奴は早死にが相場と決まっているのに。

「……はい。その願い、御引受けします」
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