偽りの発表
「ローデリヒさんは寝てるわ」
「……は?」

《軍》に着いたギルベルトを待っていたのは、エリザベータだった。取次いでもらう手間が省けると安堵した矢先の発言に愕然とする。

「ローデリヒさんは寝てるわ」
「叩き起こせ今すぐ」
「うら若き乙女に、夜這いに行けって言うの?」

エリザベータは、顔をしかめて拒否した。しかも、現状とかけ離れた、恐ろしくくだらない理由で。ギルベルトはこめかみをひくつかせつつ、努めて平静を装い尋ねた。

「椿は?」
「ラン・ハーグがアルフレッドに捕まったままだから、助けに行くって言ってたわ」
「はあ?!」

予想外の返答に、ギルベルトはぎょっと目を剥いた。彼女は疲れで頭がおかしくなったのだろうか。丘で別れた時は、まともに見えたのだが。

「危険性がないことは彼女から聞いたわ。詳しい話は、明日の七時の会議で聞くことにしたけど」
「あいつそれで納得したのかよ」
「ええ。だからあんたも早く帰って」

犬でも追い払うかのように手を振られ、ギルベルトは眉間を押さえた。彼とて、出来るならこのままベットにダイブしたいくらい疲れている。しかし、今も恐怖で震えている中下層プレイヤーを思うと、寝てもいられない。一日も早く危険はないと発表し、恐怖を取り除いてやりたいと思うのだ。
しかし、同じ思いのはずのローデリヒは寝ており、エリザベータも起こす気がない。普通なら飛び起きるか、叩き起こすかするだろう。自分だけ気負っている感じがして、ギルベルトは馬鹿馬鹿しくなった。

「俺も寝る」
「明日の七時、遅刻しないでよ」
「するか誰が!」

エリザベータに怒鳴り返し、ギルベルトはふらふらとギルドホームへ帰った。ギルベルトは気付かなかった。深夜にもかかわらず、エリザベータがきっちり軍服を着込んでいたことに。ギルベルトを見送る彼女の目に、悲しい色が浮かんでいたことに。



朝六時に起きたギルベルトは、がっくんがっくん揺れる視界の中で考えた。いつの間にジェットコースターに乗ったのだろう。夕べは確かに、布団に入って寝たはずなのだが。そもそもHAOにはジェットコースター自体が存在しない。どうしたのか、と考えたところで、ギルベルトは覚醒した。

「やっと起きたか、兄さん」
「なんだ、ルッツか。アクティブな起こし方だな」

ゲーム内用語では、好戦的と書いてアクティブと読む。叩き起こされた皮肉も込めてそういえば、ルートヴィッヒはむっとした顔で肩を揺らしていた手をひっこめた。そして、一枚の紙をギルベルトの前に突き出した。

「あ?なんだよ、HAO通信じゃねぇか」
「《圏内PK》に関する《軍》からの公式発表だ。うちの幹部が説明しろって会議室に詰めかけてる」
「なんだって?!」

ギルベルトはカッと目を見開き、HAO通信を引っ手繰った。HAO通信とは、《軍》の情報課のプレイヤーが定期発行しているものだ。《軍》は組織の大綱として情報共有も掲げており、これはその活動の一環だ。その一面には、確かに《圏内PK》に関する《軍》の公式発表が記載されていた。
《圏内PK》に見せかけたやり方を、懇切丁寧にわかりやすく書いている。その中には繰り返し、《圏内》の安全性を保障する文章が記述されている。また、アントーニョたちの名前と《WEU》の指輪事件の事は一切伏せられていた。そのかわり、事件の目的が完全に別のものになっていた。

曰く、恨んでいたビーターへの報復。ビーターとは、ベータテスターと卑怯者を意味するチーターを掛けた造語だ。専ら、ベータテストで得た知識を自分の為だけに使うプレイヤーを蔑む意味で使われる。そのビーターに関する記述に、ギルベルトは言葉を失った。
黒い髪、黒い瞳、黒いコート、黒い服。アーマーは付けず、漆塗りの鞘に納めた日本刀を持つ。通り名は《黒衣の騎士》、第一層攻略時にボスの情報を秘匿し、一名のプレイヤーを見殺しにした。名前は不明とあるが、椿を知る者なら誰しもが彼女を連想するだろう。彼女は日本刀使いで、黒ずくめの恰好なのだから。

「椿が《黒衣の騎士》なのか……?いや、でも椿の通り名は《閃光》だったし」

ローデリヒと会った時、椿の様子は少し不自然だった。まるであまり会話したくないというように、ギルベルトの背に隠れたのだ。それに対し、ローデリヒもエリザベータも少し哀しそうな顔をしていた。礼儀を重んじる彼らなら、失礼な振舞いと咎めてもおかしくないのに。嫌な予感がして、ギルベルトは確認しようとしてメールを書こうとした。しかし、その時視界の端にウィンドウが現れた。

――椿がフレンド登録を解除しました

たった一文、ギルベルトは思わず凝視した。フレンド登録を解除されれば、メールを送れなくなってしまう。

「畜生!何がどうなってんだ!」

ギルベルトは素早く装備を整え、窓から外を伺った。外には《KoG》からの正式発表を待つ人が詰めかけている。舌打ちして、ギルベルトは転移結晶を取り出した。

「兄さん、どこへ行くんだ?」
「《軍》だ!人を出し抜きやがったドクサレ坊ちゃんを問い詰めてくる」
「幹部の方はどうするんだ、兄さん!」
「待たせとけ、すぐ戻る!《はじまりの街》!」

ルートヴィッヒが制止する前に、ギルベルトの手の中で結晶が砕け散る。眩しい光がギルベルトを包み込み、足の裏の感触がカーペットから石畳へと変わる。

「《KoG》のギルベルトだ!」
「すみません、一つお話を」
「悪い、後にしてくれ!」

寄ってくるプレイヤーを躱しながら、ギルベルトは敏捷値最大で公道を走り抜けた。《軍》の門前にもプレイヤーが集まっていたが、その上を飛び越えて門番の背後に着地する。そして、制止する声を振り切ってローデリヒの執務室に飛び込んだ。ローデリヒはギルベルトに背を向け、正面に面した嵌め殺しの窓から外を見ていた。
その傍には、エリザベータが無表情で控えている。ギルベルトが視線を向けると、彼女は気まずそうに視線を絨毯に落とした。

「これはどういうことだ、ローデリヒ」
「……来ると、思っていました。貴方は、優しいから」

少し自嘲気味な物言いに、ギルベルトの視界がカッと赤く染まる。一瞬で間合いを詰め、ローデリヒの胸倉を掴み上げた。彼の眼鏡が落ちて、絨毯の上に転がった。

「これはなんだって聞いてんだ、答えろ!」
「ちょっと」
「うるせぇ!お前、俺に断りもなくこんな発表を出しやがって、何様のつもりだ!」
「落ち着きなさい、ギルベルト」
「これが落ち着いてられっか!あいつは何処だ?あいつも一枚噛んでやがっ」

言い差したギルベルの眼前に、紫色のウィンドウが出現する。《セクシャルハラスメント》で相手が『拒絶する』のコマンドを押した場合に現れるものだ。認識した瞬間、ギルベルトの体は扉まで吹っ飛ばされた。分厚いオーク製の扉に強かに背中を打ち、ギルベルトは絨毯の上に倒れ伏した。

「落ち着きなさいと言っているのです。説明はしますから」

ギルベルトを吹っ飛ばした反動でよろめいたローデリヒは、エリザベートに支えてもらってなんとか着地した。そして、絨毯の上の眼鏡を拾いながら、深い溜息を零した。
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