時間稼ぎ
森の中で様子を窺っていた彼は、計画通りに進んだことに安堵した。イヴァンがアーサーの城の『紋章』を狙っていることは、風のうわさで聞いていた。だから、それを利用して三人を抹殺することにしたのだ。アーサーが警護も付けずにここに来ると教えれば、イヴァンは必ずここに来る。そして、『紋章』を奪うために三人を殺してくれるだろう。現に、殺気立ったアーサーに触発され、彼はPKする気になっている。

万一の時の為にレッドを呼べるよう準備はしていたが、その必要はなさそうだ。彼はメールリストを閉じて、事の顛末を見ようと身を乗り出した。同時に、イヴァンとアーサーが地を蹴った。武器が衝突し、アーサーのレイピアが折れる。驚くアーサーの眼前に、水道管が迫る。その光景に釘付けになっていた彼は、背後に回った敵に気付かなかった。その刃が、首筋に当てられるまでは。

「――シャルル・ヴァロワだな。両手を挙げろ」

低くよく通る声が、耳元で囁かれる。彼――シャルル・ヴァロワは一瞬悩んだ後、肩を竦めて手を挙げた。



仕込み水道管がアーサーの顔面に叩き込まれる、刹那。イヴァンの背後から白い光が迸った。

「わ……っ、危ないなぁ」

ギリギリで気付いたイヴァンが身を捩って避ける。その毛先を凪ぐようにして走った光は、イヴァンの被っていた三角帽子を跳ね上げた。次いで飛来した短刀が三角帽子を貫き、アーサーの背後の木に縫い付ける。

「そこまでにしませんか、イヴァン・ブランギンスキ」

闇に紛れてしまいそうな、全身黒ずくめの服装。夜風にたなびく、長い黒髪。しかし、彼女に与えられた二つ名は。

「――《閃光》」

ぽつりと呟いたアーサーに、《閃光》――椿はにっこりと笑ってみせた。

「間に合って良かったです、アーサーさん」
「ば、馬鹿っ!なんで一人で来たんだよ!」

間に合って良かった。それは、この状況を予想して駆けつけたということだ。しかし、それならば一人で来たのは間違いだ。せめてギルベルトを連れてくるべきだった。いくら《攻略組》屈指の実力者でも、イヴァン達三人を相手取るには分が悪い。

「彼の言う通りだね。格好良く助けに来たつもりかも知れないけど、一人では何も出来ないんじゃない」

脅すように、イヴァンが仕込み水道管を構える。その背後にエクストラスキル『冬将軍の加護』がある上に、部下も二人連れている。一方、椿の陣営には、味方になる人はいない。アーサーは武器を壊され、フランシスとアントーニョは麻痺毒で動けない。三対一、しかもお荷物三人を背負ってとなると、戦況は誰が見ても椿に不利だ。

「出来ますよ。《攻略組》メンバーが到着するまでの時間稼ぎぐらいなら」

椿はポケットから空の瓶を取り出し、イヴァンの足元に転がした。それはつい先ほど飲んだ耐毒ポーションの瓶だ。ラベルに書かれた《Withstand poison》の文字を見て、イヴァンは目を細めた。椿の腰のポーチが膨らんでいる。その隙間から覗くのは、ピンク色の回復結晶だ。ポーチ一杯に入っているならば、十個以上はあるとみていい。

彼女は《攻略組》の中でもトップクラスの剣士だ。それが毒に備え、十回以上も回復する術を持っている。例え三人がかりでも、《攻略組》が来るまでに倒せる相手ではない。そうとわかっているから、ギルベルトは彼女を一人で来させ、彼女もまた一人で来ることを選んだ。

この場でイヴァンを引き下がらせること。それが出来なければ、確実に捕らえるために。椿は前傾姿勢を取り、腰に佩いた日本刀を少しだけ鞘走らせた。日本刀装備時のみに使える、片手剣スキル『居合』のモーションだ。その目には恐れなど全く見られない。掛け値なしの本気だ。本気で、一人で時間を稼ぐつもりだ。

「下がってください。今、この場を見られるのは不味いでしょう」

黒い噂が尽きないギルド《ひまわり》が《攻略組》に居られる理由は一つ。決定的な証拠がない、ただそれだけだ。今この場を見られれば、すぐさま《攻略組》から追放される。そればかりか、即座に捕縛、《軍》管理下の独房に入ることになるだろう。そうなれば一切の行動が制限され、何もできなくなってしまう。最悪の事態を避けるには、今は何もかもを諦めて去るよりほかにない。

「……コルコルコルコル……」

普段イヴァンは、エクストラスキル『コルホーズの呪い』を使うぞと脅す時によくコルコル唸る。ただ、今回に限ってはそんな意味ではない。引き下がるしかない状況が悔しくて、唸っただけだ。イヴァンの背後から、『冬将軍の加護』が消える。それを見とめて、椿もまた構えを解いた。イヴァンが丘を下るために歩を踏み出す。水道管を携えたままの彼が近寄ってきても、椿は柄から手を離したままだ。

「……ありがとう」

すれ違う瞬間、椿は囁いた。それが一体何に対する感謝の言葉だったのか、わからないままに。イヴァンの目が見開かれる。しかし、彼は足を止めはしなかった。そのあとをライヴィスとエドァルドが慌てて追い掛ける。丘の下まで行ったところで、イヴァンは足を止めた。そして、振り返った。

「ねぇ、椿君。君は、何を知っているの」

声を張り上げて、イヴァンは問いかけた。しかし、椿は応えなかった。ただ物静かに、細波立たぬ水辺のように。空に浮かぶ月のように、静かに視線を返した。

「ねぇ。これで済むわけないって、わかってるよね」

報復を示唆する言葉にも、椿は応えなかった。それが傲慢に見えて、イヴァンは眉を潜めた。そして、今度こそ、声すら届かない場所へと去った。オレンジプレイヤーは基本的に、転移門による移動ができない。転移結晶を使わねば移動できないが、転移先を聞かれるのは望ましくない。人のいない場所、例えば宿屋などに入って転移しなければならない。遠ざかる三人のカーソルが消えるまで、椿はマップを見続けた。
ドンレミ村のある一点で、カーソルが同時に消滅する。椿はほっと胸をなでおろし、それからアーサーたちを振り返った。

「三人とも無事でなによりです」
「……礼なんかいわねぇぞ」
「それは構いませんが、早く帽子を取らないと。耐久値が危ないのでは」
「なにっ」

フランシス達に解毒ポーションを与えながら、椿は帽子を指差した。アーサーの三角帽子は現在、貫通武器で木に縫い付けられている。椿たちが居るのは《圏外》だ。当然、《貫通継続ダメージ》が発生する。椿とイヴァンが対峙している間にも、その耐久値はガリガリ削られていたのだ。

「くそっ手が届かねぇ!手ぇ貸せ、フランシス、アントーニョ」
「お兄さん麻痺がとれたばっかなんだけど」
「ちゃうねん……。トマト味やのにしょっぱいやなんて邪道やわ……」

ぶつくさ言いつつ、悪友二人はアーサーに手を貸すために起き上がった。アントーニョのそれはポーションに対するただの文句だが。三人がマスゲームを繰り広げるのを眺めつつ、椿はメールウィンドウを開いた。《テュルク》を引き連れてくるだろうサディクに、危険が去ったことを知らせるために。
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