ものは試し
丘に吹き渡る風が牧草地を撫で、水車がゴトンゴトンと規則的な音を立てて回転する。

「のどかである」

湖を見渡せる位置にあるベンチに腰掛けた青年が、ぽつりとつぶやいた。すると、青年の傍ら、ディアンドルワンピースを着た可愛い少女がほんの少し悲しそうに笑った。

「ええ。でも、最近はこうして一緒にいられる時間も短くなって、寂しいものです」
「確かに、最近留守にしがちであるな」
「忙しいのはわかっています。頑張っている兄さまはとても大好きです。でも、頑張りすぎはやめてくださいまし……不安で、倒れてしまいそうです」
「……うむ」

つい最近、彼は外に出る仕事はすべて自分がするから、家から出ないよう彼女に言った。このところ、犯罪ギルドの活動がHAO全体で少しずつ活発になり始めているからだ。彼女は戦闘に不向きな優しい子で、レベルも青年より遥かに低い。万一の危険を考えると、青年はとても彼女に外出させる気になれなかった。

買い物も資源調達も青年一人で行くようになり、少女と過ごす時間が今までより格段に減っている。彼女の気持ちを考えれば、少しは外出を許した方がいいのかもしれない。しかし、《軍》が各層の掲示板に貼り出した事件のことを思い出し、青年は眉を寄せた。《圏内PK》という前代未聞の事件が発生した今、とてもではないが少女を外に出すわけにはいかない。かといって、寂しいという彼女の言葉を無視できるほど、彼は非情ではなかった。

「今度、その」
「……?」
「ひなまつりというイベントが、あるらしいのだ。我輩とはぐれないよう十分に気を付けるなら、一緒に行っても、その、いいのである」

青年なりの精一杯の譲歩に、少女はぱっと表情を明るくした。

「兄さま。私、幸せです」

ここはのどかだ。少女の笑顔を曇らせるものは、ここには何一つとしてない。隣でふわふわとほほ笑む少女から湖に視線を移し、青年はふっと相好を和らげた。

「……そうか」



《圏外》に出たギルベルトと椿は、すぐさま実験に取り掛かることにした。フランシスが戻り次第、情報交換して今後の方針を話し合わねばならない。そのためにも、実験は手早く済ませることが望ましい。ギルベルトはアイテムストレージに入れておいたピックを実体化させた。

HAOは主に剣をメインの武器とし、その種類はかなりの数に上る。それらはおおむね、斬撃型、刺突型、打撃型、貫通型の四つに分類される。斬撃型は主に剣であり、両手剣、片手剣、長剣、短剣、曲刀、長刀、短刀を始めとしてチャクラムなど刃を持った投擲系統のものもある。
刺突型は主に刃と鋭い先端を持つもので、手裏剣やくない、ダガー、槍などが分類される。打撃型は斬撃より武器が衝突するときの威力が高いもので、斧や鞭、関節棍やヌンチャク、ブーメランなどが含まれる。

貫通型には主に針などの刃を持たない鋭いものが分類され、ピックや槍、弓、吹き矢などがあげられる。その他には、グレネードやスコーンなどの分類できない武器もある。実戦で使う人がいるのかと思うような物までも、武器として扱うことができる。たとえば、中華鍋やフライパン、ビールジョッキ、そこらへんで拾った小枝、デッキブラシ、スマホ(連絡用ではなくメモ帳的用途のもの)など。
ギルベルトが取り出したスローイングピックは、せいぜい掌サイズの細い針だ。攻撃力は高くないが、貫通属性を持った武器であることに変わりはない。

「よし、行くぜ!」

グローブを外し、ギルベルトは自らの右手に向かってピックを振りかぶった。

「待ってください!」

振り下ろそうとした手を止められ、ギルベルトはやや不機嫌そうに眉を寄せた。

「なんだよ」
「此処は《圏外》なんですよ。何が起こるかわからないんですから、準備はしておかないと」

そういって、椿はアイテムストレージからピンク色の回復用クリスタルを取り出した。ポーションではHPの回復に時間がかかり、ダメージが継続する場合は間に合わない可能性がある。クリスタルならば、瞬時にHPゲージの端まで回復するので、ダメージがHP残量を上回ることはない。とてつもなく値は張るが、今はそんなことを言っている時ではない。

「万一の時はすぐさま回復させます」
「あ、ああ」

さあ来い!とばかりに身構える椿を、ギルベルトは物珍しげに見つめた。あんまりにじろじろ見てくるせいで、椿は居た堪れない気持ちになった。

「な、なんですか」
「いや、そのよ。なんか、意外だなと思ってよ」

たじろぐ椿から視線を逸らし、ギルベルトはぽりぽりと頬を掻いた。非情な人でないことは分かっていたが、他人のことでここまで真剣になるとは思わなかったのだ。

「そんなに心配してもらえるなんて、思ってなかったからよ」

ギルベルトの言葉に、椿は一瞬で耳まで真っ赤になった。

「なっ、何を言って……!もう、いいから、早く実験してください!」
「お、おう」

八つ当たり気味に怒鳴られ、ギルベルトはやや退き気味に頷いた。女心というものは全く、理解し難いものだ。気を取り直し、ギルベルトはピックを構えた。少しして、投擲スキルが発動し先端がエフェクト光を帯びる。そのまま、基本の投擲スキルで左手に突き刺した。不快な衝撃とともにビリッとした痛みが走り、そのあとじわじわと鈍痛が広がってくる。
同時に、HPバーの端がほんの少し減る。武器がそこらのショップで売ってる代物なので、全体の一パーセントにも満たない量だ。少し経つと、傷口から赤いエフェクト光が溢れ始めた。数秒ごとに、まるで血のように溢れるそれは、間違いなく《貫通継続ダメージ》を表している。血のようなエフェクトを睨み、椿はきゅっと唇を引き絞った。雀の涙ほどの量だが、ギルベルトのHPが減り始めている。

「早く《圏内》に入ってください」
「あ?ああ、わかった」

椿に急かされ、ギルベルトは再び街の中に入った。途端にHPバーの減少がぴたっと止まる。しかし、赤いエフェクト光は相変わらず定期的にぶわっと出ている。

「止まりましたね」

椿はほっと胸を撫で下ろし、改めて《貫通継続ダメージ》を観察した。HPは減っていないが、エフェクトが止まる気配はない。

「やっぱ《圏内》じゃダメージはないんだな」
「ええ。感覚はありますか?」
「ああ。金属が刺さってる冷たさと鈍い痛みを感じるぜ」

一思いにピックを引っこ抜き、ギルベルトは左手をぶるぶると振った。痛みは抜いた時点で消えたが、金属の冷たさは骨の髄に染みたように残っている。

「ダメージが止まったってことは、現在でも《圏内》の安全性はシステム的に保障されてるんだな」

システムは現在でも《圏内》におけるプレイヤーを守っている。ならば、あの事件の原因はシステムではなく、それ以外の要因ということになる。

「あの武器には隠れた特殊効果とかあったのか?でもそれなら、サディクが見た時点でわかってるよな……って、うわっ」

ぶつぶつ呟きつつ論理を検証していたギルベルトは、突如左手を包んだ温もりに飛び上がった。慌てて手を見やれば、椿が両手でぎゅっと握り締めていた。

「な、お前、なにして」
「ダメージの感覚、消えましたか?」

たじろぐギルベルトを他所に、椿は手を放すといつもの無表情で平然と訊ねた。確かに、彼女の手の温かさのおかげで、金属の冷たさは消えていた。

「あ、え?ああ、まあ」
「じゃあ、転移門に行きましょう。フランシスさんが待っているそうです」

虚を突かれて呆然とする彼に背を向け、椿はくるりと踵を返した。
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