手がかり
優しき灰色狼の背を見つめ、椿は項垂れた。再会した時、サディクはあの日の判断は間違っていない、責める気もないと言ってくれた。しかし、椿はどうしてもあの時の自分が許せなかった。人見知りで臆病で、死ぬのが怖くて。自分なんかの為に人を見捨ててしまえる自分が、たまらなく嫌だった。

今更どうして、サディクの差し伸べてくれる手に、この手で応えられよう。あの日よりも更に汚れた、罪ばかりの手で。優しい人達の手を振り切り、裏切りを重ねた手で。傷付けることしか知らぬこの手で。心に思い浮かんだのは、銀色の髪の青年だった。あの優しい笑顔に縋って、膝下で泣いてしまいたいと。許してほしい、と。
思って、椿は息を殺した。



シェーンブルン宮殿を出て、第一層の転移門の前に来て、サディクはくるりと椿の方を振り向いた。

「椿、すまねぇんだが、その……」

気まずそうに言葉を濁すサディクに、椿はわかっているとばかりに頷いた。サディクはこれ以上、この件に関わりたくないのだ。レッドの襲撃を恐れているからではない。あの槍を作った鍛冶屋との対面を避けたいのだ。
サディクは情が深く、人の喜びも悲しみも我が事のように感じる。そのぶん、怒りの感情も大きく強く、時に当人にさえ御し難くなる。もし相手が現時点で予想できる悪人なら、サディクは怒りのままに武器を抜くだろう。そんなことをしてはならないと、頭では判っている。しかし、頭と心は別物なのだ。己を制すため、サディクは接触から回避する事を選んだ。だから、ここで椿が引き留めてはいけない。

「サディクさんはギルドリーダーですし、何かと忙しいでしょう。ここで別れましょう、すぐに飛べば危険もありませんから」
「ああ。すまねぇな」
「いえ、こちらこそ。手伝ってくださって、ありがとうございました」

気を抜くなよと言い、サディクが転移門に向かって転移先を告げる。

「セニ セヴィニョルム」

転移門が一瞬眩く光った瞬間、サディクがその中に入る。光が静まると、椿も同じように転移先を告げる。

「レトワール・ド・メール」

光のなかに一歩踏み出すと、足の裏に固い石畳の感触がして景色が変わる。街の様子は、前に来たときからがらりと変わっていた。今まで歩けば肩が触れるくらい居た観光客はごそっと消え、往来にはNPCしかいない。あの噂と《軍》が強いた厳戒体制の影響だろう。しかし、何処も彼処もこんな風に陰鬱としていては、いずれ攻略にも支障を来すだろう。
なるべく早くに、今回の事件を解決し無ければならない。表情を引き締め、椿はフランシスの家に向かって走り出した。

しかし、ほぼ同時に複数の人が行く手を遮るように姿を現す。椿は咄嗟にたたらを踏んで踏み止まり、刀の束に手を置いた。本来ならば、デュエルでもない限り街中で刀を抜くことに意味はない。戦ってもせいぜい、ハラスメント防止コードに阻まれて終わるからだ。刀を抜きかけたのは、先の事件で安全性が疑わしくなったからに他ならない。

椿は目の前に現れた男達を睨んだまま、索敵スキルを使った。背後にも複数人の気配があり、これが単独ではなく複数の礼儀知らずによる行動だと理解する。複数人で道の前後を塞ぎ、前進も後退も出来ないようにする。この状態は、アバターに触れない限り、システム的にはハラスメントではない。しかし、個人の自由行動を阻害していることから、プレイヤー間では『なんちゃってハラスメント』と呼ばれている。

相手に関してわかるのは、カーソルに出たライフのみ。HAOでは、フレンドかギルドの仲間でない限り、名前や所属ギルドを知るすべはない。ただ、今回の場合に限れば、相手の所属ギルドはすぐに知ることができた。相手の中に、ソロプレイヤーの椿でも見知った顔の《攻略組》が居たためだ。

「こんにちは、カークランドさん。何の用です?」

アーサー・カークランドといえば、中層以上のプレイヤーで知らない者はいない。海賊帽が特徴的な、《攻略組》有数の巨大ギルド《UK》を束ねるリーダーだ。ナイフを使った接近戦を好み、鋭く重い剣撃を得意とする。普段は紳士ぶっているが、機嫌が悪いとガラも悪くなる。そのため、影では元ヤンだと揶揄されている人物だ。ざんばらの金髪に鋭い緑の目、やや童顔で眉はかなり太い(本人曰く紳士的な何か)。転移結晶を使うと出てくるNPC《ブリタニアエンジェル》に似てると専らの噂だ。

彼のギルド《United Kingdom》――通称《UK》は紳士の皮を被った海賊集団である。勝てば官軍、負けなんて認めない、略奪上等。利益こそ至上、PKは絶対にしないが、それ以外なら何でもやると標榜しているのだから、内実は推して知るべしだ。ある意味このゲームを一番楽しんでいる連中だが、椿はあまり仲良くしていない。黙っていると人を利権を削ろうとしてくるので、良い印象が無いからだ。

「お前に聞きたいことがあるんだ」
「それは、こんなことをしてまでも聞きたいことなんですね」

《UK》はヤンきー集団だが、紳士とうそぶくだけあってマナーはきちんとしていた。前後を挟む男達の表情からも、こんな礼儀知らずな真似を好ましく思っていないのは明らかだ。そうまでして聞かねばならぬことなど、現状では一つしかない。椿は転移結晶をポーチに戻した。逃げ出すのは簡単だが、彼の介入は事件解決の手がかりになるかもしれない。

「《圏内PK》のことですか?」
「そうだ。デュエルじゃなかったってのは、……本当なのか?」
「誰もウィナーメッセージを見てませんので、恐らくは。当時傍には人が沢山いたので、見落とした可能性は、限りなく低いでしょう」

椿の答えに、アーサーはしばし沈黙した。その目が逡巡して左右に揺れ、ややおいて決心がついたように唇が結ばれる。

「被害者の、名前。アントーニョって聞いたんだが」
「ええ。《攻略組》の彼です。先ほど、『生命の碑』で確認しました」

その答えに、アーサーが顔をぐっと歪め、グローブを着けた手をぐっと握りしめた。明らかに動揺している風なのが見て取れて、椿は目を細めた。

「お知合いですか」
「お、お前には関係ないだろっ!そ、それに、同じ《攻略組》だったんだ、顔くらい知ってるに決まってるだろ!」

広場に響くような声で怒鳴り返され、椿はぎょっとした。驚いたのは椿だけでなく、周りを取り囲む《UK》も戸惑いを露わにした。どうやら、アーサーは事情を話さずメンバーを動員したらしい。つまり、今回の事件に関係があるのは《UK》ではなく、アーサー個人ということだ。

「《KoG》の奴と調査してるみたいだが、お前らにそんな権限はないんだ。凶器の武器を渡せ」
「な、……っ」

ふてぶてしく突き出された手に、椿は今度こそ顔をしかめた。あれは椿が拾った時点で椿の所有物となっている。それを要求するのは明らかなカツアゲだ。カツアゲは立派な犯罪だ、マナー違反だのハラスメントだのというレベルではない。しかし、要求されたものは本来椿の所有物ではない。しかもこのHAOを揺らがしかねない大事件の重要参考資料でもある。椿一人が保有するのもどうかと思う部分がないわけではない。

「……仕方ありませんね」

椿は例の武器を実体化させ、アーサーの足元目掛けて投げた。

「鑑定結果では、それを生成したのはシャルル・ヴァロワという鍛冶屋だとそうです」
「なっ、馬鹿な……っ」

アーサーは愕然として呻いた。それは間違いなく、彼がこの事件について何かを知っているという証拠だ。しかし、問うても答えてはくれないだろう――関係しているなら、猶更。

「お知り合いの方ですか?」

椿がダメ元で訊ねてみると、アーサーは凄まじい形相で睨み付けてきた。もし視線で攻撃するスキルがあったら、椿のアバターに風穴が空いていたかもしれない。禍々しいまでの殺気を放ちながら、アーサーは件の武器を掴み乱暴に収納した。彼はなんちゃってハラスメントを解除させ、メンバーを引き連れて転移門へ向かった。

「ソロプレイヤーがコソコソ嗅ぎまわるんじゃねぇぞ!いいな!?」

いくら動揺していても、きっちり去り際に釘を刺すあたりヤンキーである。しかし、鋭く睨もうがどすの利いた声で脅しつけようが、怖くもなんともない。ため息を一つ吐いて、椿は本来の目的、フランシスの家に向かった。
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