広がる不安
椿はフランシスを立たせ、足元の覚束ない彼を誘導しながら宿屋の二階に上がった。件の部屋に入ると、ギルベルトはロープとその周辺を調べていた。邪魔にならないよう、フランシスをベッドに導き、座らせる。ウィスキーとコップを取り出し、注いで渡すと、彼は虚ろな表情のまま含む程度を口にした。

「落ち着きましたか、フランシスさん」
「……ああ。ごめんね、椿ちゃん。心配かけて」
「いえ……私達が調べますので、フランシスさんは休んでください」

ウィスキーの瓶を渡して、椿は励ますように微笑みかけた。しかし、フランシスの我を失ったような表情を見て、それも情けなく崩れる。椿の知る彼はいつも明るくて楽しげで、辛いことや悲しいことなんて縁遠そうな人だった。今の打ち拉がれた彼を見るのは、普段を知るだけに一層辛い。フランシスの傍を離れ、椿はギルベルトに歩み寄った。

「ギルベルトさん」
「ロープを結えてあったのはこの椅子だな」

ギルベルトはそう言って、窓際に固定された椅子を指差した。こうした家具類は、操作一つで移動の可不可を変えられる。試しに表面を叩いてウィンドウを出すと、今は移動不可能の状態になっていた。椅子の足にはロープが括られており、その先は窓の外に繋がっている。

「ロープはそこらのNPCショップで買えるもんだ。耐久値も普通で、特殊なもんじゃない」
「ええ……」

窓の外を覗き込むと、ロープの先は輪になっていた。その輪にアントーニョの首がかかっていたのだと知り、椿は思わず視線を逸らした。

「室内には誰もいない。この宿屋の中にもだ」
「隠蔽スキル付きのマントで隠れている可能性はありますか?」
「ない」

椿の疑問を、ギルベルトはあっさりと否定した。

「俺様の索敵スキルを破れるような代物、この前のボス戦でもドロップしてねぇぜ」
「一応、周辺のプレイヤーに協力をお願いして、入口を固めてもらっているのですが……」
「それなら尚更、透明化してたって接触すりゃバレるわな。よくやった」

まるで子供を褒めるように髪をぐしゃぐしゃとかき乱され、椿は思わず硬直した。 知らず熱くなる頬を抑え、ふいと顔を逸らす。

「では、これは一体どういうことなんでしょう」
「普通に考えりゃ、デュエル勝者が敗者をぶら下げて、その死に様を見せつけたってとこだが……」
「メッセージが出なかった……」

《圏内》でPKが可能なのは、完全決着デュエルの時のみだ。その常識が覆るようなことがあってはならない。――しかし、今、目の前で起こったことは。

「……放っておけねェ。《圏内》PKみたいな真似が可能なら、その方法を突き止めて対策を公表しねぇと、また犠牲者が出ちまう」

ロープを握りしめ、ギルベルトはぐっと眉を寄せた。《圏内》は犯罪防止コードに守られた場所であり、警戒することなく休める唯一の空間なのだ。その安寧を打ち砕く脅威があるならば、絶対に看過してはならない。

「お前も手伝え、椿」
「……はい。微力ながら、お手伝いします」

ギルベルトの言葉に頷き、椿は窓の外に目を向けた。広場には、続々とプレイヤー達が集まってきている。その動きだけでも、不安が急速に広がっていることが分かる。誰もがこの事件の異常さに気付いたのだろう。そして、早く解決しなければ、この不安はアインクラッド全体を包み込む。フィールドにいても危険、街に居ても危険となったら、プレイヤーの休むところがなくなってしまう。それだけは、何としても回避せねばならない。
背後でガシャンとガラスの割れる音がして、椿は反射的に振り返った。フランシスが、割れたウィスキーの瓶を、情けない表情で見つめていた。

「フランシスさん、顔色がよくありませんよ。部屋を出ましょう」

椿の提案に、フランシスは力なく頷いて立ち上がった。しかし、その足運びはまだ確りとしてはおらず、ふらふらと危なげだ。ふらつく彼を見兼ねて、椿は肩を貸しながら部屋を出た。最後に、険しい顔をしたギルベルトが、室内を睨みながらドアを閉じた。
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