お兄さんはめげない
椿が変わった。少し前の彼女は、抜き身の剣のような鋭さと危うさを感じさせる目をしていた。それが今は、影もなく失せて、穏やかな光を瞳に湛えて笑う。一目でそれに気付いたフランシスは、彼女を変えたのは恋だと直感した。その相手が誰かなど、ギルベルトの名に食い付いた瞬間にわかる。
その恋は、本人がまだ気付かないくらいの、小さな芽のようなものだ。リアルからの悪友ギルベルトの顔を思い出し、フランシスは笑いを噛み殺した。椿に胡乱げな目線を向けられたことには少しブロークンハートしたが、にやける口元を押さえることはできなかった。よもやギルベルトが片思いされる日が来ようとは。


『ラビーダデ ウンオンブレ』は二十一層の主街区で、スペインの下町のような街並みで有名だ。街中に流れるフラメンコギターの音色に、自然と気分が高揚する。出店で売っているのはピッツァやピンチョ・モルノ――スペイン風ケバブに似た見た目の、少し味の違う異国風の食べ物だ。
はぐれないようにと手を繋がれたまま、椿はフランシスについて街を進んだ。陽気な街だからか、観光目当てのプレイヤーなどでメインルートがごった返している。スタスタと勝手知ったる故郷のように歩いていたフランシスは、喫茶店の前で足を止めた。

「ついたよ、椿ちゃん」
「はい。……『エスペランサ』ですか?」
「うん。入ったことある?」
「いえ……この層の主街区は迷宮突破後すぐ通過した記憶があります」

二十一層といえば、ゲームリスタートから六か月後に主街区の転移門が有効化された層だ。当時の椿は荒み切っており、街の景観をのんびり見渡す余裕がなかった。NPCの売っている安い黒パンと水を食べて、次の街へ続く道へ歩み出した覚えがある。当然ながら、喫茶店に入った覚えはない。

「ここはね、チュロスがすごくおいしいんだよ。あと、お兄さんのオススメはクロケットとピンチョスかな」
「……?」

料理名を言われても、聞き慣れない椿には形が想像できない。小首を傾げた椿に、フランシスはにっこりと笑って続けた。

「あと、デザートはクレマカタラーナっていうカスタードを使った洋菓子がいいね」
「入りましょう、フランシスさん。クレマカタラ―ナですね」

椿がきらりと目を輝かせたのを見て、フランシスは満足げに頷いた。フランシスはドアをホールドして椿を促し、椿の後に店に入った。店の中はやたら混んでおり、テーブルもカウンターもプレイヤーで一杯だ。待ち合わせしている悪友たちを探して、フランシスは視線を巡らせた。しかし、見つけるよりも早く、椿に袖を引っ張られる。

「フランシスさん、ギルベルトさんです」
「あ、うん、いたね!」

椿の予想外な仕草に悶えながら、フランシスはこくこくと頷いた。テーブルに近付くと、ギルベルトとアントーニョがチュロスを摘みながら手を振る。手を挙げて応えたフランシスは、二人の前に座る男を見てカッと目を見開いた。遅れて椿もその人に気付き、テーブルへ駆け寄る。

「蘭兄さん」
「椿?」

さきほど店で別れたばかりのランが、アントーニョの斜め向かいに座っていた。濃いアドヴォカートのグラスを手にしており、鋭い目を目一杯に見開く。しかし、すぐにフランシスを見て顔をしかめ、椿を手招きした。

「椿、あの男に近寄ったらあかん」
「フランシスさんですか?」
「ほや。アインクラッド中の女口説いて回るような男なんやざ、会話したら妊娠すんど」
「そうなんですか……」
「違うからね椿ちゃん!その冷たい眼差しお兄さん傷つくからやめてっ!」

ランの言葉を真に受けて冷たい目で見ると、フランシスは涙を飛び散らせた。悪友たちに慰める気はなく、指をさしてケタケタと笑っている。

「そういえば、蘭兄さんはどうしてこちらに?」
「ああ、それはギガフッ!」

答えようとしたアントーニョが突然、突っ伏して顔面を机に打ちつける。珍妙な悲鳴にかき消されたせいで、言葉が聞き取れなかった。

「ぎがふ?」
「何でもないやざ、たまたまや。お前こそどないしたんや」

大人しく黙ったアントーニョにかわり、ランが適当に答える。机の下でアントーニョの足に体術スキル『踵落とし』を見舞って黙らせたとは思えないほど堂々とした態度だ。

「蘭兄さんの店を出た後、上層でフランシスさんに出会ったんです。それで、フェリクスさんのお店へ行って服を買いました」
「ほー……?」

苦虫を噛み潰したような顔になり、ランは悪い虫をギロリと睨み付けた。殺意の籠ったその眼差しに、フランシスは笑顔のままほろりと涙した。ランは椿を妹のように思い、人目にも明らかなほど可愛がっている。そして、彼は椿とフランシスが仲良くするのを快く思っていない。
心境的には、可愛い娘が不埒な男にちょっかい出されてるのを見る父親的なものなのだろう。殺伐とした世界では微笑ましい関係だと、フランシスは思う。ただ、指をバキバキ鳴らして威嚇される身としては、怖い。すごく怖い。ほのぼのと笑う椿は微笑ましいのに、その背後に居る鬼神が怖い。

「蘭兄さんと御夕飯一緒にするの、久しぶりですね」
「ほうか?」
「はい。確か四十七層の時以来ですから、一ヶ月半ぶりです」

椿の言葉に、ランの眉間に寄った皺がすっと消えた。フランシスへの威嚇もさらっと止めて、椿のために席の端へ寄るくらい機嫌が良くなる。

「ちくしょうシスコンめ……」
「フランシス何突っ立っとんのー?早う座りー」
「お前来るの遅ぇよ。俺様腹減ったぜ」
「お前らもっとお兄さんを愛してよ!愛がないから飯が不味いんだよ!」
「チュロス美味いでー」
「……」

逆ギレの勢いを全く空気の読めないアントーニョに阻まれ、フランシスは力なく肩を落とした。
prev Index next
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -