ランの店『ネーデル』
ランの商店『ネーデル』は、アインクラッド第四十五層の主街区の目抜き通りに並び、ゲートから歩いて二十分のところにある。四十五層は他の層と比べてカントリーな雰囲気があり、余暇を過ごすための別荘が多い。風車の並ぶ丘やチューリップ畑などの観光名所もあり、休日やボス攻略後に訪れる人が多い。
しかし、椿は花を見る余裕もなく、敏捷値最大で通りを駆け抜けた。歩きで二十分の距離を二分未満で走り、店の前で立ち止まって息を整える。そうして『ネーデル』に入ると、店主のランは商談の最中だった。小枝を持った気の弱そうな青年を相手に、凄まじい威圧感を出して交渉している。

「『ヨーグルトリザードの皮』二十枚で五百。ほいでええな?」

青年は躊躇しつつも、ランの眼光に負けてトレード欄を出してアイテムを入れた。ランが入金してトレードが成立すると、ウィンドウが消える。迫力負けして落ち込む青年の肩を叩き、ランは上機嫌に笑った。

「まいど。また来ね」
「はい……」

ヨーグルトリザードの皮は良い防具の素材で、NPC商店でも一枚百八十コルは下らない代物だ。二十枚で五百コルは、とてもではないが安すぎる。悄然と肩を落としながら店を去る青年と入れ違いに、椿はカウンターに近寄った。

「こんばんは、蘭兄さん」
「おお、椿。珍しのぉ、お前が遅刻するなんざ」

HAOはネットゲーマーが多いため、体格のいいプレイヤーは少ない。ランはその数少ない一人で、百八十越えの高身長に筋肉質な体つきをしている。それだけでもかなり威圧的だが、人相もかなり怖い方だ。攻撃的に逆立った前髪と、抜け目なく光る鋭い眼光で威圧感は五割増しになる。当人に威圧する気はないが、立っているだけで軍人ばりに怖い。
その上、達者な口で阿漕な商売をし、守銭奴っぷりを遺憾なく発揮する。恐喝された、強引で脅迫的な商売だったと恨まれることも少なくない。しかし、彼は売買交渉を真剣に楽しんでいるだけで、恐喝も脅迫もしない。むしろ犯罪的な商売は嫌っており、誠実で信頼できる商人だ。困っている人を放っておけない優しさと、世話焼きなところもある。
椿が生きる気力すら失うほど困憊した時、彼は何も言わずに助けてくれた。おかげですっかり懐いてしまい、兄妹と呼ぶ仲にまでなっている。

「すみません、少し寝坊をしまして……」
「寝坊?お前が寝過ごすくらい寝るなんざ、もっと珍しのぉ。明日は血の雨け」

からかい口調で言われて、椿は思わず顔を赤らめた。普段の不健康な生活は重々承知であり、遠まわしにそれを指摘されると痛いものがある。

「すみません……以後気をつけます」
「ま、よう眠れたみたいやからええわ」

ランが特に怒っていないのに安堵し、椿はストレージ欄を開いてアイテムをオブジェクト化した。

「今日売りたいのは、『ピンキーポニーの卵』『マドリードトマティーナ』『マーマイト』それぞれ二十個です」
「これはまたおもっしぇモン手に入れよったの」
「はい、今日入った迷宮区で、新しい道に入ったところ、大量に獲れまして」

『ピンキーポニーの卵』は茹でて食べれば敏捷度が一上昇し、育てればポニーになる。
『マドリードトマティーナ』は完食できれば腕力が一上昇する巨大なトマトで、畑に埋めれば肥料にもなる。『マーマイト』はHAOで一番不味い食材で、一カップ完食できればスキルも含め全ての数値が一上昇する。

「ほなら、全部で八千コルでどうや」
「はい、それで構いません」

二つ返事で了承し、椿はトレードウィンドウを開いた。本来なら八千どころか何倍もの値がつく代物だが、金額に文句はつけない。有り余るアイテムを処分するために売るのであって、それで金を稼ぐ気はないからだ。稼ぐ気がないなら、一番有用に使ってくれる人に売り渡すのがいい。その相手が恩人であれば尚更、金に糸目をつける気にはなれない。一気に容量の空いたストレージ欄を閉じて、椿はふと先程会った青年を思い出した。

「蘭兄さん。お聞きしたいことがあるのですが」
「ん?なんね」
「ギルベルト・バイルシュミットという方をご存知ですか」

椿の問いを聞いて、ランは本当に明日は血の雨が降るのではないかと思った。レベル上げと攻略以外に殆ど興味を持たない椿の口から、よもや誰かしの名を聞くことがあろうとは。

「ほれやったら知っとる。《KoG》の副リーダーで、本部の紋章を連れとる奴や」
「ああ、《KoG》の方でしたか。ありがとうございます」

《KoG》――正式名称《ドイツ騎士団(Knights of German)》はアインクラッドで最強と呼ばれるギルドだ。プレイヤー最強と言われる団長に、戦術や指揮に優れた副官がいることで有名だ。迷宮区のボスを攻略する時、作戦は副官、実践では団長が中心となってギルドやソロプレイヤーを取りまとめ、《攻略組》を動かしている。
椿も《攻略組》として会議や戦場では共に居た筈なのだが、まるで覚えがない。ギルベルトが本部の紋章を連れている姿を見たら、思い出すかもしれない。

「そいつがどうかしたんけ」
「それはその、今日少しお世話になったのです」
「ほぉ、そうか。まあ、それはええ。前に言うてた腕利きの鍛冶屋っちゅうの、見つけといたんやざ」

ランはアドレス欄から名刺を取り出し、椿に渡した。

「バッシュ・ツヴィンクリ。聞いた名やろ」
「はい。《攻略組》にいらっしゃった方ですよね。最近はとんとお見かけしませんが」

バッシュ・ツヴィンクリ。両手型ロングソードの使い手で、椿と同じソロプレイヤーだ。彼は《攻略組》の中でも指折りの戦力で、前衛を務めるなどボス攻略線で活躍していた。ソロであるため、配置が近くなることが多かったため、よく覚えている。
最近はとんと姿を見ないが、前線を退く者は多い為、さほど気にはならなかった。鍛冶職人に転職していたのは意外だが、何か理由があるのだろう。言葉を交わしたことは殆どないが、会議で見る彼はまじめを絵にかいたような人だった。もしその時の彼のままなら、きっといい仕事をしてくれるだろう。

「気は難しが、腕は確かやざ」
「はい。ありがとうございます、蘭兄さん」
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