贈り物


 西暦1191年、大シリア。
 イスラム教とキリスト教の二大勢力が聖地エルサレムを巡って対立する中、どちらにも属さないアサシン教団という中立組織があった。
 アサシン教団の拠点であるマシャフは、敵の侵入を防ぐため高山に砦が築かれている。城砦といっても、村民の出入りは自由だ。

 シェナイの父は教団のアサシンで、母は村民だった。幼い頃に母を病で亡くし、数年後に父が任務中に重症を負い、命からがら教団へ帰還するも、その傷が元で命を落とした。
 孤児となったシェナイを引き取ったのは、教団の長のアル・ムアリム大導師だった。ムアリムには何人もの弟子がいるが、シェナイをアサシンに育てることはしなかった。シェナイの優しい本性を知り、両親の死を看取ったこともあり、彼女にはアサシン達の看護を薦めた。
 また、シェナイ本人もそれを希望していたので、彼女に医学の知識を教え込んだ。

 * * *

 城砦内の看護室は広く、複数の患者を世話出来るようにいくつかの寝台が設置されている。現実世界のように医療技術は発達していないが、最低限の治療が出来る道具などが揃っている。
 つい先程まで軽症で帰還したアサシンの手当てをしていたシェナイは、使用した道具を片付けて一息ついた。
 シェナイは、アサシンだけでなく村人の治療も引き受けている。そのため毎日忙しいが、マシャフの住人と知り合いになり、交流することが出来るのでとても充実した日々を送っている。

 片付け終えてふと机に目をやれば、羽根ペンに視線が止まった。各個人の症状や診察結果などを紙に記録するため、羽根ペンは毎日使っている。
 最初のうちはムアリムから与えられた羽根ペンを使っていたのだが、いつからかアルタイルが羽根ペンを買ってきてくれるようになった。今使っている羽根ペンも、アルタイルから貰ったものだ。
 いくら大事に使っていても、月日が経てば支障が出てくるものだ。その証拠に、机の上に置かれている羽根ペンは使い古されている。そろそろ新しい羽根ペンが欲しいところだ。

「シェナイ」

 突然背後から名を呼ばれて後ろを振り向けば、見知った男が立っていた。

「もう……アルタイル、驚くからやめてください」

 アルタイルと呼ばれた男は白い衣服に身を包み、同じく白いフードを目深にかぶり、剣やショートブレードなどを帯刀している。アサシン教団に所属するアサシンの格好だ。
 シェナイがわずかに怒りを含んだ表情でアルタイルを見上げるが、当の本人はまったく意に介さず、ふんと鼻で笑った。

「そんな顔をしても全然怖くないな」

 何だか馬鹿にされていると思いながらも、アルタイルが負傷しているのではと心配したが、それは杞憂に終わった。

「負傷もしていないようですし……今回の任務も無事終了したんですね」

「無論だ。この俺があんな簡単な任務に失敗するわけがないだろう」

「そんな性格だから親しいご友人が増えないんですよ」

 驚かされた仕返しとばかりにアルタイルの交流関係を持ち出したが、アルタイル本人は気にすることもなく受け流されてしまった。

「他人がどう思おうと勝手だ」

 アルタイルは、若くして教団の師範になった優秀なアサシンである。しかし、優秀であるがゆえに高慢な性格の持ち主で、教団の仲間で反感を抱く者は少なくない。おまけに、他人や他人のつけた評価には無関心なため、自分から進んで交流することもない。
 シェナイは、そんなアルタイルの数少ない友人の一人だ。
 相変わらずの性格だと苦笑するシェナイの前に、一本の羽根ペンが差し出された。
白い風切り羽から作り出された羽根ペンは、素人が見ても高級だとわかるほどの品だった。

「そろそろあの羽根ペンが古くなる頃だと思ってな。……だが、お前がそんなことを言うのなら、これはいらないな」

 アルタイルの言う『そんなこと』とは、シェナイの持ち出した彼の性格や交流関係だというのは明白だった。シェナイの返答を待たずに踵を返して部屋を出ようとすると、シェナイが待ってくださいと引き止めた。

「アルタイルは本当に意地が悪いんですから……」

「俺をそうさせたのはシェナイだろう」

 アルタイルはわずかに笑みを浮かべ、羽根ペンをシェナイに手渡す。

「いつもありがとうございます。ですが、いつも高価なものをいただいていると……」

「だが、書きやすいだろう?」

「はい」

「どんな道具でも、使い勝手が悪ければ役に立たない。俺にとっては武器であり、お前にとってはその羽根ペンや医療道具だ」

 つまり、道具が良ければ仕事もはかどるということ。アルタイルは一流のアサシンであり、仕事道具である武器の手入れは怠らない。手入れを怠れば武器の殺傷力が低下する原因になるからだ。

「そろそろ新しい羽根ペンが欲しいと思っていたんですよ」

「そうか」

 たった一言の相槌だったが、シェナイにはそれで十分だった。

 シェナイが外を見上げれば、青い空を白い雲がゆったりと流れていた。
 アサシン教団とテンプル騎士団は宿敵同士である。騎士団は教団を目の敵にしており、マシャフを陥落させようと虎視眈々と狙っている。
 そんな抗争があっているとは思えないほど、空はゆったりとした時間を与えてくれる。
 空以外にも、平穏を守る存在を知っている。教団のアサシンはマシャフを守るため外敵と戦い、追い払ってくれることを、シェナイは忘れていない。

「こうしたのんびりとした時間があるのも、アルタイル達のおかげですね」

「そういう言葉はアル・ムアリム様に伝えるべきだ」

「ええ。でも、私は先にアルタイルに伝えたいんです。……このことは、大導師様には秘密ですよ」

 シェナイが悪戯っぽく笑えば、アルタイルも苦笑する。

「わかった」

 両親を亡くしたシェナイにとって、ムアリムは父親代わりの存在だった。ムアリムもシェナイのことを実の娘のように可愛がり、時として厳しくしつけた。
 アルタイルの言うとおり、シェナイの言葉はまず先に教団の長であるムアリムに伝えるべきなのだろう。しかし、シェナイはムアリムよりもアルタイルに伝えたかった。何故、自分を引き取ってくれたムアリムよりアルタイルなのかはわからないが。

「シェナイ、明日は暇か?」

「今のところ看護が必要な重症患者はいらっしゃいませんし……大丈夫だと思います」

「ならば、久々に馬で遠出するか。俺も最近は任務続きでな。息抜きがしたい」

 医者という立場上、なかなかマシャフを離れることの出来ないシェナイにとって、馬に乗っての遠出は良い息抜きだった。他の村民と同じようにマシャフで暮らすだけならば馬に乗る必要はないのだが、別の町へ買い物に行くこともあるので、乗馬は必要なことだった。
 都合が合えば、アルタイルとシェナイは馬で遠出したり時間を共有している。いつからそうしているのか本人達もはっきりと覚えていないが、今では一緒に過ごすことが当たり前になっていた。

「それでは、また明日。今度こそ驚かさないでくださいね」

「覚えておこう」

 シェナイが念を押すと、アルタイルは笑った。


2012/01/19
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