休日の呼び出し


 早苗の携帯電話が着信を告げた。
 ディスプレイに表示された名前を確認すれば、

「……漆原君?」

 魔王城から出られず、ニート生活を送る漆原だった。彼はパソコンを買い与えられてはいるが、携帯電話は持っていない。パソコンにインストールしているスカイフォンを使用して、早苗の携帯電話へ発信しているのだ。

「はい、峯風です」

≪……早苗……僕だよ……≫

 電話越しに聞こえてくる漆原の声は、酷く弱々しいものだった。いつもの元気さが感じられず、早苗はわずかに眉をひそめる。

「どうしたの?」

≪お……お願いが、あるんだ……≫

 * * *

「いやー、生き返ったよ」

「もう。いきなりでびっくりしたじゃない」

 早苗はちょうど仕事が休みだったので自宅でのんびりしていると、漆原から電話がかかってきた。
弱々しい声で何を言い出すのかと思えば、唐揚げが食べたいとのことだった。
 漆原は唐揚げが好きだ。けれど、魔王城では節約志向の真奥と芦屋がいるので、そう簡単に肉料理が食卓に並ぶことがない。

 また、スーパーで売っている惣菜のものではなく、早苗の作ったものがいい、との注文もつけてきた。駄目だと断ることは簡単だが、手作りが食べたいとねだられては、断る方が無慈悲というもの。
 そういうわけで、早苗はわざわざ唐揚げを作り、魔王城へ届けに来たのである。

「今日は漆原君だけなのね」

「そうだねー。真奥はバイトで、芦屋は外出中」

 今は夕方で、ちょうど真奥も芦屋も不在だ。唐揚げを作り、届ける時間を見越して口うるさい保護者達がいない時間帯に呼び出されたのだろうか、と早苗は勘ぐる。

「って、こらこら、勝手に唐揚げ食べちゃったら、真奥君と四郎さんの分がなくなっちゃうでしょ」

「……なーんかその『四郎さん』って呼び方気に食わないなぁ」

 先日、芦屋が早苗と一緒に料理を作って帰ってきてからというもの、彼女のことを『峯風さん』ではなく『早苗さん』へと呼び方を変えていた。前々から二人がくっつくだろうなと思っていたのだが、実際にそういう関係になると漆原は不満な気持ちになった。

「え、だって……」

 早苗が言いよどむ理由はわかるが、漆原は構わず続ける。

「芦屋のことをそう呼ぶなら、僕のことも半蔵って呼んでよ」

 ──ああ、これは嫉妬だ。
 恵美や千穂が冷たく当たるのはもちろん、魔王城の仲間も漆原に対して厳しい時がある。特に芦屋はその最たるもので、漆原が何かしようとするたびに、ああしろ、こうしろ、と言ってくる。
 その芦屋の恋人の早苗は彼とは違い、いつも優しい。だから漆原は早苗に甘え、芦屋のいない時に彼女を独り占めにしたい。

「う、ん……君がそう呼ばれたいのなら……半蔵君」

 半蔵。日本で暮らすためにつけた名前だが、早苗に呼ばれると本当の名前でなくても嬉しい。だったら、本名ならもっと良い気分になれるかもしれない。

「ね、やっぱり本名を呼んでよ」

 漆原の本名はルシフェル。エンテ・イスラにて悪魔大元帥の一角として名を馳せた堕天使だ。
 彼の紫色の瞳を見つめていると、早苗は催眠術にかかったような気がした。実際には漆原は魔力を使って催眠術なんてかけてはいないのだが、不思議と彼の言葉に従ってしまう。

「……ルシフェル」

 ああ、本名だとなおさら良い。漆原は、次第に自分の顔が緩んでいくのがわかった。けれど、そんな表情を見られるのは少し恥ずかしいので、漆原はさっと早苗から視線をそらし、いつもの調子に戻る。

「んー、やっぱ本名の方がしっくりくるなぁ。ありがとね、早苗」

「え……う、うん」

 漆原の言動をよく理解しきれていない早苗が曖昧な返事をすると、漆原の手が再び唐揚げへ伸びた。これ以上食べられたら、本当に真奥と芦屋の分がなくなってしまう。
 早苗は唐揚げを守るため、タッパーを素早く取り上げ、蓋をする。

「あっ、ちょっと、あと一個! あと一個だけでいいからさ!」

「駄目よ。真奥君と四郎さんの分も残さなきゃ」

 早苗が唐揚げの入ったタッパーを頭上に持ち上げれば、手の届かない漆原が背を伸ばす。そんな攻防を続けていると漆原がバランスを崩し、前方へ倒れ込んだ。漆原と向かい合う状態の早苗は、当然後ろ向きに倒れるわけで。

 ドサリ、とやや低い音が六畳一間に響いた。

「おい漆原、少しは静かに出来んのか。外にまで聞こえ……」

 用事を済ませた芦屋が帰って来たが、ドアを開けて玄関に一歩足を踏み入れたところで彼は固まった。
 漆原が倒れているのはわかる。だが、何故早苗が漆原の下敷きになっているのだろう。おまけに、心なしか涙目になっている。

(あ……やばいよね……この体勢は絶対やばいよね……)

 漆原は心の中で何度も「やばい」と繰り返す。早苗は芦屋の恋人だ。そんな彼女を呼び出し、あまつさえ押し倒している体勢は、誰がどう見ても漆原が早苗を襲っているようにしか見えない。

「……漆原……」

 芦屋の声は悪魔に戻った時のように低く、なおかつ震えている。怒っているのは、火を見るよりも明らかだった。

「あ、芦屋、違うんだ。これは……事故……そう、事故なんだ」

「そ、そうです四郎さん! 事故なんですよ」

 流石に漆原を見捨てて一人蚊帳の外、というのは漆原がかわいそうなので、早苗も芦屋をなだめようとするが、

「漆原、貴様ぁぁぁ!! 魔王様の鉄槌だけでは足りんかったようだな!!」

 芦屋の怒声がヴィラ・ローザ笹塚に響いた。

「ご、誤解だって! 僕はただ唐揚げが欲しかっただけで──」

「言い訳とは見苦しいぞ! しかも早苗さんを泣かせて……ただでは済まさんぞ漆原!」

 早苗が涙目になったのは倒れた衝撃によるものだが、どうやら芦屋には漆原に襲われたことによる涙と捉えられたようだ。

「四郎さん、落ち着いて下さい。本当に事故で……」

「こんなけだものに近付いてはいけません。危ないですから、早苗さんは離れていて下さい」

 漆原に助け舟を出したい気持ちは山々だが、芦屋が丁寧に早苗を部屋の外に避難させ、ドアを閉めてしまった。
 室内の芦屋に呼びかけても返答はなく、漆原の悲鳴と、芦屋の怒声と、ドタバタ暴れる音しか聞こえない。

 早く止めないと、真奥が戻って来た時の惨状が容易に想像出来る。何より、近所迷惑だ。
 早苗は芦屋を止めることを諦めると、大家のことを思い出した。ヴィラ・ローザ笹塚の大家は志波美輝という女性で、何故か魔王城の住人が逆らうことの出来ない人物だ。彼女なら暴れる芦谷を止めることが可能だろう。
 志波を苦手とする芦屋には悪いが、致し方のないことである。そう割り切ると、早苗は大家の元へ向かった。


2014/12/07
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