おかずの差し入れ


「うなぎの蒲焼、いかがですか?」

 ヴィラ・ローザ笹塚201号室を一人の女性が訪ねてきた。芦屋が玄関ドアを開ければ、何やら大きめな袋を持った峯風早苗が立っていた。

「おや、峯風さん、いらっしゃい」

 201号室の真奥家(彼らは魔王城と呼んでいる)に上がり込んだ早苗に、芦屋はお茶を淹れる。

「うおお! うなぎだうなぎ!」

 早苗が持ってきた袋から取り出したうなぎのパックに、漆原が目を輝かせてはしゃいだ。

「落ち着け漆原! まったく、みっともない……」

 芦屋が漆原からうなぎのパックを取り上げると、漆原が口を尖らせて拗ねる。

「何だよー。こんなご馳走滅多に食えないから少しくらいいいじゃねーか」

「誰もはしゃぐなとは言っていない。お客様の前ではしたないと言っているんだ」

「まあまあ、漆原君はずっと家の中にいるから、少しくらいはしゃいでもいいじゃないですか」

 早苗は、真奥や芦屋達が異世界の悪魔であることや、漆原が家の中から出られない理由も知っている。
 この家の生活資金を稼いでいるのは真奥のアルバイトの給料で、家計をやりくりしているのは芦屋。彼は常に倹約をしているため贅沢が出来ないのだ。

「峯風さんは漆原に甘いんです。もっと厳しくしてください」

 真奥達は悪魔であるため、外見年齢からは想像も出来ないほど年齢が高い。漆原も早苗よりも年齢が上なのだが、いかんせん人間としての姿が少年であるためどうしても彼に甘くなってしまう。
 芦屋が溜息混じりにそう言うと、早苗は苦笑しながら謝った。

「あはは、ごめんなさい。何だか弟みたいに見えちゃって」

 早苗は一人っ子であるためか、兄弟が欲しいと思ったことがある。だから彼を弟のようだと思ってしまうし、彼も早苗に懐いているのでますます可愛く感じるのだ。

「それにしても、うなぎなんて高かったでしょう。二パックもいただけません」

 袋に入っていたうなぎは、まさかの二パックだった。いくら天然ものよりも外国産や養殖ものの方が安いといっても、まるまる一尾を買えばなかなかの出費になる。

「うちの父が魚好きで、半ば押し付ける形で私に送ってくるんです。一人じゃ食べ切れないから真奥君達と召し上がってください。あと、これ作ってきたんですが、良かったらどうぞ」

 実家の両親は、時折早苗に荷物を送ってくる。大概が食料品で、母親が美味しいお菓子などを詰めてくるのが多いが、父親からのものも入っている。その父親というのが大の魚好きで、日持ちする魚の加工品をよく送ってくるのだ。

 うなぎの入っていた袋からさらに取り出したのは、少し大きめなタッパーが二つ。中身の見える透明なそれに入っていたのは、一つは唐揚げ、もう一つはポテトサラダだった。

「うなぎだけでなく、おかずまで……ありがたい……!」

 エンテ・イスラからこの世界へやって来た際、人間として暮らしていくこととなったのだが、それにはもちろんお金が必須である。生活し始めた当初に赤貧を経験したためか、すっかり倹約精神が板についた芦屋にとって、早苗のおかずのおすそわけは非常にありがたかった。

「唐揚げ! 唐揚げだ!」

 芦屋に差し出された唐揚げの入ったタッパーを、漆原が素早く掻っ攫っていった。さらには蓋を開けて唐揚げを一個つまんで食べてしまい、芦屋の怒りを買ってしまう。

「おい漆原! 勝手に食べるとは何事か! 今晩のおかずがなくなってしまうだろう!」

「一個ぐらいで煩いなー。細かい男は嫌われるぞ」

 そう抗議すると小言を言い続けていた芦屋が「ぐ……」と口を閉ざし、早苗をちらりと見る。
その反応に、漆原はやっぱりなと内心呟いた。

 ──芦屋はどうやら早苗に好意を抱いている。

 弟のように可愛がってくれる早苗にくっついて芦屋を挑発してみようかとも考えたが、それよりもパソコンでネットサーフィンの最中だったことを思い出した。とりあえず今夜は唐揚げを死守することにしよう、と漆原はパソコンの前に座った。

「わ、私、芦屋さんのこと凄いって思いますよ。あちらの世界とは勝手が違うのに、家計をやりくりして家事もちゃんとこなして」

 漆原の言葉に傷付いたのだと思ったのか、早苗がフォローをしてくれた。そんな彼女の気遣いが嬉しく、芦屋はにこりと笑んだ。

「ありがとうございます、峯風さん」

 エンテ・イスラでは魔王の腹心の部下として名を馳せた芦屋は、『魔王軍一の知将』と呼ばれた悪魔大元帥アルシエルだ。悪魔であるから人間に対して友好的な態度を取ることは本心ではないが、現代日本ではそうはいかない。真奥を支え、家計のためなら自身のプライドさえも捨ててしまう。それが芦屋四郎という男だ。

 だが、早苗に対しては人間という理由で嫌悪感を抱くことがなかった。逆に彼女のことを知りたいし、料理などについてもっと話してみたいとさえ思う。

「やっぱり芦屋さんは笑うと素敵です」

 早苗は芦屋の笑顔が好きだった。普段はキリリとした端正な顔付きで主夫業をこなす彼は素敵だと思うが、やはり笑うともっと素敵に見える、と思うのは早苗の本心だ。
 そう言ったはいいものの、冷静に考え直すと恥ずかしさが込み上げてきた。自分が発言した分、恥ずかしさに拍車がかかる。
 話題を変えなければ、と早苗は少し焦りながら口を開いた。

「あ、あの……今度私が休みの日に、良ければうちで何か作りませんか?」

「え……?」

 突然の誘いに、芦屋はキョトンとした。

「おかずでも、お菓子でも。何なら両方作っちゃいましょうか」

 これはもしかして、いわゆる『デート』というやつだろうか。いや、早苗の気持ちをはっきりと確認したわけではないのでデートであるかはわからないが、少なくとも彼女の中では自分は個人的に会いたい相手であるようだ。

 ──少し、期待をしてもいいですか。

「そうですね。楽しみにしていますよ」

 芦屋がにこりと笑えば、早苗も同じように微笑んだ。


 真奥と千穂の件は、千穂が真奥に想いを寄せていることは周知の事実である。
 一方、後ろの二人に関してはその逆であった。早苗に芦屋が想いを寄せており、早苗が芦屋のことを好きだと聞いたことはない。だが、彼女の言動を見ても芦屋に対しては他の異世界メンバーとは違うものがある。

 知将と称えられた悪魔がただの人間の女性相手に、自分のペースを乱されているその様に、漆原は滑稽だと思いつつも小さな溜息をついた。

(厄介な奴に好かれちまったなぁ、早苗……)

 今は突然誘われて困惑している芦屋だが、落ち着きを取り戻せばきっと知略でもって早苗を攻略してしまうだろう。
 早苗の身を案じながらも、はっきりとしない関係が続くのならいっそのことくっついてしまえばいいのに、と思いながら漆原はネットサーフィンを続けるのだった。


2013/06/15
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