まったくもって素直じゃない
「ああ、織音様……」
食堂で紅茶を飲み、クッキーを食べている織音の隣に、腐川がぴったりと寄り添って座っていた。
「す……素敵です、織音様」
ぴったり──というよりも、べったりと張り付いている。
隣のテーブルには苗木、朝日奈、大神が席についており、さらにやや離れたテーブルでセレスが優雅に紅茶を飲んでいる。食堂にいない他の生徒は食堂以外で各自の時間を過ごしている。
何故、腐川がこれほどまでにべったりとしてくるのか。それは、腐川と山田の口論の仲裁に入ったことに起因する。
腐川は純文学のベストセラー作家で恋愛小説を執筆しており、ライトノベルや漫画を強く嫌っている。一方、山田は同人作家で二次元作品をこよなく愛している。
互いに強く反発している二人が顔を合わせれば口論に発展するのは必至で、つい先日も喧嘩していた。
ただ傍観していても喧嘩が激しくなる一方なので織音は仲裁に入ったのだ。山田は比較的素直に引き下がってくれたのだが、腐川はそうはいかなかった。卑屈で根暗で被害妄想の激しい彼女は、最初織音が何を言っても聞き入れはせず、何故自分に構うのか、こんな醜い自分なんて相手にする価値はない、と言うばかり。
織音がそんなことはない、可愛いのだからもっと自信を持って、と諭すように説得すれば、腐川はようやく織音の言葉を聞き入れ、山田との喧嘩は終わりを迎えたのだ。
その一件以来、腐川は織音に対して心酔するようになった。
「ほ……ほら、早く紅茶飲まないと冷めちゃうよ」
「は、はい! すぐに飲みます!」
ほとんど口をつけていなかった紅茶をあおるように飲み干すと、腐川は再び織音にべっとりと寄り添う。
「……何だか懐かれちゃってるね」
隣のテーブルにいる苗木が苦笑いしながら織音と腐川を見つめる。
引いている。ちょっとってレベルじゃないくらいに引いている。
「あはは……。あ、腐川さん、紅茶のおかわりいる?」
「ふ……『腐川さん』だなんて……あたしのことは冬子って呼んで……!」
どうやら懐いてきた影響は、呼び方にも及んできたようだ。腐川の希望通り冬子と呼ぼうとしたが、一瞬言いとどまった。織音は仲の良い間柄以外の人間は姓に敬称を付けている。いきなり呼び捨てにするのも慣れないので、とりあえず『ちゃん』を付けることにした。
「じゃあ……冬子ちゃん」
「ああっ、最高……!」
これまで自分の名前を嫌っていた腐川が、織音に名前を呼ばれると嬉しそうに表情を崩して身悶えした。どうやら喜んでいるようだ。
「……何をしているんだ……」
食堂に十神の声が響いた。明らかに呆れていることが、表情を見ずとも声だけでわかる。
「いらっしゃい、白夜君。見ての通り懐かれちゃった」
懐かれたなんて、まるでペットか何かのような扱いだ。十神は心の中でそう呟きながらも、先日の腐川と山田の口論に織音が仲裁に入った一件を思い返していた。確か、腐川が自分に対する織音の肯定的な言葉に感動し、それ以来こうして織音にべったりしているのだったか。
見ている側が鬱陶しくなるほど、腐川は織音にくっついている。
「白夜君も紅茶飲みに来たの?」
「そんなところだ。読書の休憩にな」
織音の問いに答えつつ、十神は彼女の隣に腰掛けると腐川を睨む。
「おい、いつまで織音にひっついているつもりだ? いい加減離れろ」
「はっ、はい! 白夜様がそう言うのなら……」
びくりと肩を震わせると、腐川はすぐに織音から離れた。それでも腐川は織音と離れていることが辛いのか、ちらちらと織音を見つめてはくっつきたそうに近寄ろうとするが、十神がそれを視線で牽制する。
そんな二人に挟まれながらも、織音は十神の分の紅茶を淹れたティーカップを彼に差し出した。
「はい、どうぞ」
十神は何も言わずにティーカップを持ち上げると香りを嗅ぎ、口を付ける。
「悪くない」
「どういたしまして」
そんなやり取りをしている織音と十神を眺めながら、苗木はぽかんと口を開けた。どの生徒が話しかけても辛辣な言葉しか言わない十神が、織音にだけはゆるくなる。従兄妹で幼馴染みであるからこそなのだろうが、それ以上に理由があることを、苗木は知っている。
「ねえ、十神君ってさ……」
苗木はそばにいる朝日奈達に小声で話しかけた。
「綾月さんを好いているのでしょうね」
「あ、セレスちゃんもそう思う?」
「むう……やはりか……」
セレス、朝日奈、大神も十神達に聞こえないよう声量を抑えて会話する。
「腐川ちゃん、綾月ちゃんにくっつきたがってる」
「そのようですわね」
「でも、十神君がそうさせないようにしてるね」
「……腐川も苦労している」
顔を突き合わせてひそひそ話している姿を不審に思ったのか、十神が今度は四人を睨み付けた。
「そこ、何を話している?」
「そうだよ、こっちで一緒に飲もうよ」
「えっ、いや、あの……」
織音に誘われたはいいものの、十神の鋭い視線と近寄りがたいオーラに、苗木はうろたえてしまった。
──今はあのテーブルに近付きたくない。
どうしようか考えあぐねていると、
「わたくし、用事を思い出したので失礼しますわね」
「あ、セレスちゃん待ってよー!」
「我もこれにて失礼する……」
十神の発するオーラに触れたくないとでも言うかのように、セレス達が我先にと自分の使った食器を片付け、足早に食堂から去っていった。
「ちょっ、三人とも早いって! あ、じゃあ、またね!」
苗木は取り残されまいと急いで食堂を出る。
「あら……皆行っちゃった」
四人の素早さに呆気に取られた織音の隣で、十神がふんと鼻を鳴らした。
「うるさい連中がいなくなって良いではないか」
「もう少しお喋りしたかったんだけど……」
「……織音、これからは俺の隣に座れ。わかったな?」
「? 別にいいけど……」
「あ……あたしも織音様の隣に……」
「お前は離れて食べろ」
「ひっ……」
「もう、白夜君、怯えさせちゃ駄目じゃない。いいのよ冬子ちゃん、隣で一緒に食べようね」
相変わらず他者を排除したがる十神をたしなめた織音は、十神に怯える腐川に優しく笑いかけた。
正直なところ、十神は腐川と仲良くしている織音が気に食わなかった。
十神の血筋とはいえ、一族の争いとは無縁の環境で育った織音のことを、十神は初めて会った頃はあまり良く思っていなかった。自分は常に命をかけて兄弟と争っている毎日だというのに、この綾月織音という奴は母親が十神の家を出て一族の争いと縁を切ったおかげで、壮絶な環境を知らないでいる。
幼い頃は織音を他者同様に見下していたのが、いつの間にかそんな気持ちは消え、彼女の隣にいたいと思い始めていた。
「この俺が特別に隣に座らせてやるというのに、随分な物言いだな」
「白夜君こそ相変わらず偉そうな態度ね」
言葉に棘が含まれてはいるが、織音の表情は何処か楽しそうだ。他者から見れば、売り言葉に買い言葉である。しかし、織音と十神は日常茶飯事で、昔からよくある言葉の応酬だ。
十神がちょっとしたことを指摘し、織音が反応して言葉を返す。そんなやり取りでも、十神は満足だった。
そのはずだったのに、この学園で織音と再会してからは言葉の応酬だけでは物足りなさを感じていることに、十神は最近気付いた。休憩時間だけではなく、もっと長く織音と話していたいし、顔を見ていたい。それなのに、先程から腐川がくっついてばかりで織音と二人きりになれないことに、十神は苛立ちを覚えていた。
「腐川、お前も早く部屋に戻れ」
「び、白夜様……」
十神がキッと睨めば腐川はびくりと身を竦ませる。織音と離れたくはないが、十神を恋い慕う腐川にとって彼の言葉は絶対である。織音が気にするなと言っても、こうもはっきりと命令されたのだ。腐川は食堂から立ち去ってしまった。
「もう……白夜君の俺様っぷりのせいで冬子ちゃん帰っちゃったじゃない」
「何が悪い」
腕を組んでふんぞり返る十神に、織音は「このわがまま御曹司め」と内心毒づく。
「紅茶がなくなったぞ」
さらに、紅茶のおかわりを強要してくる始末。
「はいはい。でも、これ飲んだら私も部屋に戻るからね」
軽く溜息をつくと、織音は紅茶を淹れるためティーポットに手を伸ばした。
「そのクッキー美味しいよ」
十神が紅茶だけを飲んでクッキーにはまだ手をつけていなかったので勧めてみると、やはり十神は無言でクッキーを一つ掴んだ。何処にでも売られている普通のバタークッキーで、十神はそれを一口かじる。
「ふむ……下賎の者が食べる物にしてはマシな方だな」
「素直に美味しいって言えばいいのに」
どんなことにも余計な一言を付け加える十神に、織音は苦笑した。言い方に難はあるが、彼が美味いという意味の言葉を発することは滅多にないので織音はひとまず現状に安堵し、紅茶を十神に差し出す。
「こんな物より、織音の作った菓子はないのか?」
「残念ながら今はないわ。……私が作ったお菓子のこと、覚えていてくれたのね」
昔、何度か十神に手作りのお菓子をあげたことがあり、そのたびに彼は美味しいという内容の感想を言ってくれた。素直ではない性格故、ストレートに美味しいとは言ってくれなかったが。
「まあな。お前の菓子の味はまあまあだった」
まあまあ、という曖昧な表現であったが、織音は十神がお菓子のことを覚えていたことが嬉しかった。
「何か食べたいお菓子作りましょうか?」
「そうだな、考えておこう」
十神は小さく笑うと、まだ湯気の立つ紅茶を飲み干して席を立つ。
「なるべく難しそうな菓子を選んでやる」
「えー、あまり難易度高くしないでよ?」
織音は自分と十神の分の食器を下げると、まだ手をつけずに余っているクッキーを持った。部屋でのんびりしながら味わおうと決め、十神を追って食堂をあとにした。
2013/09/02