君が異性に変わってゆく


 腐川冬子は女にしては珍しく、風呂に入りたがらない。そのため十神と顔を合わせるたびに「臭うから風呂に入れ」と言われ、今しがた食堂で夕食を取っている時にも指摘された。普通ならば好きな相手からそんなことを言われたら落ち込んでしまうだろうが、腐川はその逆で、十神が心配してくれたと喜んだ。
 ある意味ではプラス思考なのだと織音は思う。だが、年頃の女の子が風呂に入り続けないでいるのも問題なので、腐川に提案を持ちかけた。

「ねえ、冬子ちゃん。一緒にお風呂に入りましょう」

「え……織音様と……?」

「うん」

 突然の提案に戸惑う腐川と一緒に立ち上がる。その拍子に手がコップに当たって倒れてしまい、微量に残っていたお茶がテーブルに零れてしまった。

「まったく、お前は静かに立ち上がることも出来んのか」

 隣に座っていた十神が呆れたように織音をたしなめる。織音は「ごめんごめん」と苦笑し、ポケットからハンカチを取り出してお茶を拭き取ったのち、腐川を連れて食堂を出て寄宿舎へ向かった。

「……?」

 食堂に残った十神は、床に何かが落ちていることに気付いた。一体何だと思いながら拾い上げるとそれは何かのメモ用紙で、手書きの五線譜と音符が書かれていた。音楽の知識を有していないと書けないそれは、一目見ただけで織音の物だとわかる。

「落とし物にも気付かないとはな……」

 世話のかかる奴だと内心呟き、あとで彼女の部屋を訪れなければならない手間に小さく溜息をついた。

 * * *

 寄宿舎に入って少し歩けば各生徒の個室が並んでいる空間となり、ドアのネームプレートには部屋の主のドット風の絵柄と片仮名の苗字が表示されている。
 織音は自分の部屋から下着などを抱えて『フカワ』と書かれた部屋のインターホンを押した。すぐにドアが開き、中から腐川がそろりと顔を出す。

「ど、どうぞ……」

 招き入れられて室内に入れば、机と接している壁には大量の紙が貼り付けられている。超高校級の文学少女である腐川は、高校生ながらも恋愛小説の連載を持っており、その紙は小説の構想を記したりしたメモらしい。

「わあ、いつ来ても冬子ちゃんの部屋凄いなぁ」

「あんまり綺麗じゃないでしょ……」

「ううん、そんなことないよ。こんなに書き記してるのは凄いと思う」

 素直に褒めると腐川は照れくさそうにそんなことはないと否定したが、その顔は少し嬉しそうに笑っていた。
 その後、二人はシャワールームに入って衣服を脱いでシャワーを浴び始める。

「やっぱり髪ほどいたら長く見えるね」

 腐川は普段、長い髪を二つのおさげにしている。おさげにしてもほどいても髪の長さはもちろん変わらないのだが、やはり印象が違って見える。

「それに、眼鏡はずした方が可愛いよ」

「か……可愛いのは織音様の方で……」

 いつも卑屈で自分をブスだと思い込んでいる腐川は褒められることに慣れていない。そのため、織音が褒めるたびに否定するのだ。

「そんなことないって。ほら、髪洗うからこっち来て」

「は……はい」

 腐川を自分の前に立たせてシャワーのお湯を髪にかけて、いざシャンプーを手に取ろうとした時、

「──っくしゅん!」

 衣服を脱いで身体が冷えたためか、腐川がくしゃみをした。

「あ」

 まずい、と織音は思ったが遅かった。
 ゆっくりと振り向いた腐川の目つきは狂気が混じっており、いつも小さく控えめに開く口はまるで三日月のように大きく歪み、そして最も特徴的ともいえるのは長く伸びた赤い舌。それが『彼女』の外見の特徴だった。

「あらぁ、織音様お久しぶりね」

「ど、どうも……ジェノサイダー」

 ジェノサイダー翔。それは十代から二十代の男性ばかりを狙い、鋏を凶器として相手を殺害する大量殺人鬼の呼び名である。
 これまで警察が捜査の手を伸ばしても犯人に辿り着くことはなかったが、実はジェノサイダーの正体が腐川冬子であったのだ。ただし、多重人格であるため腐川とジェノサイダーは記憶は共有していない。それでも、織音や十神を慕う点は共通しているようだ。

「何、今シャワータイム? きゃっ! 裸ではっずかしー!」

 ジェノサイダーが、年頃の女の子らしく自分の身体を両腕で抱き締めるような格好で恥じらった。性格や口調など、何もかもが腐川と正反対だ。
 腐川とジェノサイダーが入れ替わるタイミングは、気絶するかくしゃみをするかのどちらかだ。山田曰く、ギリギリすぎる設定らしい。
 すると、ジェノサイダーは織音の身体をじっくり眺めると何故か頬を赤らめた。

「あぁん! 織音様ったら健康的な色気ね! あたし腐女子だけど、織音様にだけは百合展開出来ちゃいそう!」

 ジェノサイダーは腐女子──つまりボーイズラブが好きである。そんなところも腐川と真逆だ。

「わ、私で妄想しないでよ」

「駄目ぇ?」

「駄目!」

「じゃあ、織音様と白夜様がくっつくんなら、あたしもおとなしく身を引くわよ」

「……何で白夜君が出てくるのかな?」

「あら! 織音様は白夜様のことが好きなんでしょう?」

 指摘されて織音が思わず視線をそらすと、ジェノサイダーは頬に手を当ててまたもや恥じらう素振りを見せる。

「やだ、目そらしちゃう織音様超可愛い! すっげ萌えるんですけど!」

 幼馴染みで、十神とは気後れすることなく会話が出来る仲ではあるが、今まで好きという恋心を感じたことはなかった。彼の隣にいることが当たり前すぎたせいだろうか。
 改めて思い返してみれば、他の男子より十神と一緒にいる方が楽しいことに織音は気付いた。他者にとっては十神の傲慢な態度や喋り方を好ましく思わないだろうが、織音は昔からのことで別段おかしくも感じないし、既に慣れたものだ。

「うーん、白夜君といると楽しいし、ずっと一緒にいたいって思えるんだけど……」

「恋よ! それは間違いなく恋!」

 素敵と身悶えするジェノサイダーを見て、織音はようやく自覚した。
 ──私は、彼のことが好きなのだ。

「他の女どもと白夜様がくっつくのは許せないけど、織音様だけは別よ」

 腐川と同じく、ジェノサイダーも十神のことが好きである。そのため、他の女子が十神に対して恋愛めいた言動をしようものなら何としても阻止しようとするのだが、どうやら織音には何もせず、逆に応援してくれているらしい。
 そのことを不思議に思った織音はジェノサイダーに尋ねてみることにした。

「どうしてジェノサイダーは私に肩入れしてくれるの?」

「だぁってぇ、織音様はあたしを認めてくれたお友達だもん」

 以前、初めてジェノサイダーと対面した時、驚きはしたものの、彼女の個性的なトークが意外と面白いと感じた。腐女子故、専門用語を織り交ぜてくるので部分的にわからない言葉はあるが、腐川とは違う楽しさがある。
 腐川といる時間が他の生徒よりも多いので、必然的にジェノサイダーと接する機会も多い。そのため、織音は78期生の中でジェノサイダーと仲が良く、それこそ友人といえる間柄だ。

「お友達の恋路は応援したいって思うのが普通でしょ」

 そう言うと、ジェノサイダーは織音に迫って目を細めた。

「さ、お風呂の続きでもしちゃいましょう」


 その後、シャワーを終えた織音が自室に戻ると、ドアのすぐ隣の壁に背中を預けた人物がいることに気付いた。

「あれ、白夜君どうしたの?」

 夕食を終えたあと、普段なら自室か図書館あたりで時間を過ごしているはずの十神が、何故か織音の部屋の前にいる。どうしたのだろうと彼に話しかけると、一枚のメモ用紙を取り出した。

「食堂でこれを落としただろう」

「……あ」

 ようやく自分が落とした物だと気付いた織音は、メモ用紙が届けられたことに安堵しつつ十神に感謝した。

「ありがとう。もしかして、お風呂入ってる間ずっと待っていてくれたの?」

「そう考える頭があるなら、もっと早く済ませることを覚える記憶領域を作れ。……ところで、それはお前が考えたものなのか?」

「うん。ちょっと暇だったから、頭に浮かんだメロディーをメモしておいたの」

「まあ、悪くはない曲のようだ」

 普段楽譜に馴染みのない人が見てもわからないだろうに、十神は難なく譜面を理解したようだ。さすがは十神財閥の跡取りといったところか。

「ふふ、どうしたしまして。曲が出来たら、一番最初に白夜君に聞かせてあげる」

「ふん……そこまで言うのなら聞いてやろう」

 見事なまでに傲慢な態度である。しかし、風呂が終わるまでこうして待っていてくれたのだと思うと、彼もなかなか優しい部分があることに気付かされる。
 同時に、こんな傲慢な態度なんて気にならないくらい彼を好きなのだと実感した。それを教えてくれたジェノサイダーに感謝した織音は、彼女の意外とお人好しな性格に小さく苦笑する。

「……何がおかしい」

「ううん、何でもない。ちょっとジェノサイダーにお世話になったから」

「……あいつに?」

 十神の視線が鋭くなった。腐川よりお喋りでうるさいジェノサイダーを邪険に思っている節のある十神が怪訝な表情になるのも無理はない。

「入浴するだけだけなのに、どうしてジェノサイダーが?」

「冷えてくしゃみしちゃって。友達としてちょっと相談に乗ってもらっただけだから」

「あの殺人鬼にする相談なんて、ろくな物じゃないな」

「そんなことないよ。女の子同士じゃないと出来ない相談だもん」

「ふん、どうだか」

 十神にガールズトークを説明しても理解してもらえないので、織音は詳しく説明することはしなかった。

「無駄話をしたせいで、俺の入浴時間が短くなってしまっただろう」

「ごめんってば。早く曲完成させるから」

 シャワーが使えなくなる夜時間まであと30分ほど。侘びの対価としてメモ用紙の曲を早く完成させることを約束すると、十神は不服そうな表情を見せながらも了承したのはいいが、追加の対価をも要求してきた。

「それと、明日は俺の読書に付き合え」

 そう言うと、十神は織音の返事を聞かないまま自室へと戻っていった。

「うーん……白夜君はブレないなぁ」

 織音は十神に対する恋心を自覚したのだが、彼が織音を好きだとは限らない。片想いって切ないなぁ、と内心独りごちたあと、織音は部屋のドアを開けた。

 * * *

「……風呂上りも悪くはないな」

 織音が部屋に入った頃、十神も自分の部屋で小さく呟いていた。今まで見たことのない幼馴染みの姿が、とても新鮮に見えたのだ。
 今度は彼女が自分の部屋で入浴を終えた頃合を見計らって訪ねてみよう。御曹司は密かに計画を練ることにした。


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確かに恋だった


2013/09/10

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