不喜処で新婚誕生


 悪霊サダコ。
 それは現代日本では有名な亡者の名前で、今は等活地獄に収監されている。そんな彼女が逃亡したというアナウンスとサイレンが鳴り響いたのは三十分ほど前。部下の獄卒から話を聞いたところ、新入りの獄卒がうっかり持ち込んだワンセグからサダコが逃げ出したが、すぐに鬼灯が対処したおかげで騒ぎはおさまったという。

「うーん、さすがは鬼灯。手際がいいわね」

 今日も無事視察を終えて閻魔殿へ戻っていた桔梗の視界に入ってきたのは、自動販売機のところで見慣れた二人と一匹の姿だった。

「あら、閻魔様お疲れ様です」

「お、桔梗ちゃんだ。視察終わったの? いつも苦労かけて悪いねぇ」

「そう思っているなら、ちゃっちゃと仕事してください」

 閻魔大王が笑顔で桔梗をねぎらうが、そんななごやかな雰囲気を一瞬で凍りつかせたのは鬼灯だった。

「こら、鬼灯。──閻魔様、気にしないでください。閻魔様のお仕事をお手伝いするのが、私達補佐官の役目なんですから」

「うう……桔梗ちゃんは優しいなぁ……」

 精神攻撃を受けて落ち込む閻魔大王は、二人の補佐官を交互に見比べた。優しく気遣ってくれる部下と、金棒を常時持ち歩いている拷問中毒の部下。

(ああ、何だか飴と鞭だなぁ……。この鞭、飴にならないかなぁ……)

 叶いそうもない願いを心の中で呟いていると、鬼灯は飲み干したジュースの缶をポンポンと叩き始めた。

「ところで、ここで何していたの?」

「えっとね、鬼灯様に地獄について教わってたの」

 桔梗の質問に、くるんと巻いた尻尾を左右に振りながらシロが答えた。『あの世』には天国と地獄があるが、地獄の方が圧倒的に広大であることを、シロは今日初めて知ったという。

 仕事が一段落したので桔梗も何かドリンクを飲もうと自動販売機の前に立ち、小銭を投入する。どれにしようかと考えていると、横から手が伸びてきてポチッとボタンを押された。

「……何勝手に押してるのよ」

「桔梗も、果肉が出ないもどかしさを味わうと良いのです」

 鬼灯が選んだのは果肉入りのぶどうジュースだった。よく見れば、彼も同じ缶を持っていて、先程から何度も缶を揺さぶっている。どうやら、ジュースは飲み終えたが果肉が飲み口からなかなか出てこないらしい。

「さあ、休憩終了です。働きますよ」

 結局、ぶどうの果肉を出すことを諦めた鬼灯は、自動販売機の横に置かれたゴミ入れに空き缶を投げ捨てた。
 桔梗は、ジュースを勝手に選ばれたが捨てるわけにもいかないので、そのまま開栓し、飲むことにした。

「シロッ!」

 ぶどうの味と酸味が口の中に広がった時、甲高い声が響き渡った。

「アンタ、報告書はどうしたってさっきも訊いたでしょ!?」

「あっ、ごめんなさい……」

 名前を呼ばれたシロがびくりと驚いて振り向けば、不喜処地獄のお局様の雌犬・クッキーがやってきた。

「あとアンタね! 字が下手なのよ! 報告書は綺麗に書く! 基本でしょ!」

 動物は字が書けない代わりに、肉球をスタンプのように紙に押し付けるのだ。模範的な報告書はきちんとまっすぐ肉球が並んでいるのに対し、シロの報告書はそうではないらしい。

「おいおい、何も閻魔大王の御前で……」

 少し遅れて、シロの先輩にあたる雄犬・夜叉一もやってきた。額に斜めの傷が走り、棘のある首輪をつけている。
 閻魔大王の補佐官である鬼灯と桔梗もいるのに、と夜叉一はクッキーのそばに駆け寄ってなだめるが、クッキーはぴしゃりと言い放つ。

「言うべきことは何処でも言う主義なの!」

 クッキーに怯えつつもシロは鬼灯を見上げ、小声で話しかける。

「きついでしょ、お局様……結婚とか出来んのかよって思っちゃう……」

「シロさん、確かにきつい言い方ですが、彼女は決して間違ったことは言ってません」

 鬼灯は動物が好きである。やはりシロが相手だと普段より柔らかい話し方になるなぁ、と桔梗はぼんやりと鬼灯を眺めていた。

「そうだよお前、言い方がまずいって。シロは怯えちゃってんだよ」

「えっ……まあ、それは……ごめん……」

 夜叉一がやんわりと言えば、クッキーが少し気まずそうな反応を示し、シロに謝った。

(……ん? 彼女、もしかして……)

 クッキーの態度にいち早く気づいたのは桔梗だった。
『お局様』というあだ名の通り、はたから見れば、シロをいびっているように見えていたクッキーが、夜叉一の言葉に対してはすぐにしゅんとなり、素直に自分の非を認めた。ツンツンしていたのが別の要素に変化したのだ。
 これはいわゆる──

「あれ……? お二方って仲悪いんじゃ……ないんですか……?」

 何だかいつもと違う態度と感じ取ったシロが首を傾げると、夜叉一とクッキーは互いに顔を見合わせる。

「どうしよ……言っちゃう?」

「そうだなぁ……予定より早いけど報告しちゃうか……」

 そう話し合った二匹は、ぴったりと体を寄せ合った。

「シロ、お前さぁ、まだまだ青いよな。女心(ツンデレ)がわかるのも大人の雄ってやつだぜ」

 シロに向けて先輩風を吹かせた夜叉一はクッキーと共に、鬼灯、桔梗、閻魔大王をそれぞれ見上げて報告を一つ。

「俺達、結婚します」

「アタシは寿退社しまぁす」

「マジで!?」

「わぁ、子犬が楽しみ」

「おめでとう、新婚さんの誕生ね」

(不喜処がまた従業員不足に……)

 シロは心底驚き、閻魔大王はにこやかに笑い、桔梗は二匹を祝福し、鬼灯は拍手しつつもベテラン社員の減少という悩みが増えたのだった。


2012/05/15
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