心配性な同僚
等活地獄の中にある不喜処地獄。
犬や鳥に骨の髄までしゃぶられる場所であり、地獄の裁きの中では軽い方である。そのため、不喜処地獄で働くのは動物だ。部長やお局様といった、現世の人間顔負けの役職なんかもあったりする。
以前より従業員不足に悩まされている部署だと鬼灯がぼやいていたが、最近新入りが三匹入ったと聞いたので、桔梗は覗いてみることにした。
「あ……あの子達かしら?」
経費削減のため、龍といった高くつく移動手段ではなく列車で不喜処地獄に向かった桔梗は、見慣れない三匹がいることに気がついた。
犬、猿、雉。桃太郎のお供だった三匹だ。
鬼灯曰く、一度に三匹も新しく入ってきたため、不喜処地獄の従業員不足は解消し、同時に天国からの人材要請の件も無事解決したという。
「やだ、あの白い子可愛い……」
真っ白の毛に覆われ、紅白の注連縄を首に巻いた犬。罪人の頭に噛み付いていたが、ふと犬がこちらをちらりと見てきた。黒い瞳がぱちくりと数回まばたき、口をあんぐりと開いたので、罪人の頭がぼとりと地面に落ちる。
「お姉さん、だぁれ?」
噛み付いていた罪人に対する仕事は終わったのか、犬が桔梗のところへやってきた。少し遅れて、そばにいた猿と雉も集まってくる。
「私は桔梗。閻魔大王の第二補佐官をしている鬼よ」
「補佐官? じゃあ鬼灯様と同じだね。俺はシロだよ」
「俺が柿助で」
「ルリオだ」
テンポ良く自己紹介を済ませると、桔梗は三匹との距離を縮めようとしゃがみ込む。
「桔梗様はどうしてここに?」
「不喜処に新人が三匹入ってきたって鬼灯が喜んでたから見に来たの」
シロが少し首を傾げて尋ねてきた。その仕草が可愛らしく、桔梗は思わずシロのもふもふした白い毛を撫でる。
「あと、天国からも人材要請があったけど、それは確か……」
「ああ、桃太郎が担当してるよ」
鬼灯の話を思い出していると柿助が教えてくれた。
「うーん……それにしても同じ鬼なのに、何ていうか……鬼灯様とは随分違う感じが……」
じっと桔梗を見つめていたルリオが呟くと、シロと柿助もうんうんと頷いた。
「あー……まあ、彼は規格外というか特別というか……」
桔梗は苦笑しつつ、鬼灯の普段の行動を思い出す。仕事はきっちりこなし徹夜で働くこともしばしば。上司部下の境界なく、間違いあれば容赦なく力で訂正する。官吏としての能力は賞賛に値するが、いかんせん拷問中毒になっているので、地獄で彼に逆らう者はいない。
「鬼灯様とは逆に、桔梗様は優しそうだなぁ」
撫でられて気持ち良さそうに目を細めながらシロが言った。
「そうねぇ、鬼灯には『性格がぬるい』だの『やり方が甘い』だの、よく言われるわ。別に気にしてないからいいんだけど……って、ごめんなさい、あなた達お仕事の途中だったかしら?」
「あ、そういえば」
「やべ……あれお局様じゃねーか?」
「本当だ、早く持ち場に戻ろう」
のんびりモードから慌ててお仕事モードに切り替えた三匹は「またね桔梗様ー」と言い、足早に罪人のところへ戻っていった。
遠くに見えたのは、白くてもこもこした毛が愛らしい小さな犬がトコトコ歩く姿。
遠目からで判別しづらいが、三匹がお局様と呼んだことから考えて雌犬なのだろう。あまり長居すると仕事の邪魔になるので、桔梗は天国にいるという桃太郎のところへ向かうことにした。
* * *
天国・桃源郷。
地獄の重々しい風景とは正反対の、穏やかで清らかな場所。桔梗はそんな楽園の中に建てられた、うさぎ漢方『極楽満月』へとやってきた。
「白澤さん、いらっしゃいますか?」
扉の前で家主の名を呼べば、すぐに彼は出てきた。
「はーい、僕はいつでもここにいるよ♪」
バタンと勢い良く扉を開けて中から出てきたのは、黒い短髪につり上がった細い目、白い衣服に身を包んだ男。中国妖怪の長の神獣・白澤だった。
「こちらに桃太郎さんがいると伺って……」
「何だ、僕に用事じゃなかったの? まあいいや、桔梗ちゃんならいつでも大歓迎だよ」
今日はアイツがいなくて良かったー、と白澤は胸を撫で下ろしながら、桔梗を室内へ招き入れた。
白澤は漢方医として腕は立つのだが、見境のない女好きであるため、女性を見ればまずナンパをするのが常である。
桃源郷を訪れる際、いつも鬼灯が一緒にいるが今回は桔梗のみ。嫌っている鬼灯が不在なので白澤はいつも以上にご機嫌らしく、さりげなく桔梗の腰に手を添えてきた。
「白澤様、お客様ですか?」
「うん。キミに会いたいって」
室内で何冊もの書物を積み上げ、読みふけっていたのは、綺麗に切りそろえた黒髪で、ややぽってりとした顔の輪郭の……大変古風な容貌をした男だった。
「初めまして。地獄で閻魔大王の第二補佐官をしている桔梗です」
「あ、どうも。桃太郎です」
桃太郎は元々天国にいたが、先日地獄に乗り込んで鬼灯に喧嘩を売ったあとは改心し、今はこうして白澤のもとで薬について学んでいるという。
「さっき不喜処でシロ君達に会ってね。みんな元気そうにしていたわ」
「そうですか。あいつらも頑張ってるんだなぁ……」
ずっと一緒にいたので三匹と離れて暮らすのは寂しくもあるが、お互い新たな職場で新生活をスタートしたのだ。ここは落ち込まず、少しでも早く薬の知識を吸収して手に職をつけなければ。
「補佐官っていえば、鬼灯さんと同じ……」
「ああもう、ここにアイツいないんだし、名前出さないでよー」
にこにこしていた白澤の表情が一気に歪み、桃太郎を睨みつけたがすぐに笑顔に戻る。
「せっかく桔梗ちゃんが来てくれたんだし、僕、今日はサービスしちゃうよ」
腰に手を添えられた状態のまま、桔梗は店内入って左手奥へと案内された。ドアを開ければ、そこはリビングで小さい冷蔵庫があり、台所も兼ねた部屋だった。白澤は冷蔵庫から桃を取り出し、手際よく皮を剥き、一口大に切り分けて皿に盛り、小さなフォークを添える。
店から入ってきたドアとは別のドアを開ければ、一台のベッドが置かれていた。そこに桔梗を連れてベッドに腰掛けさせ、白澤はドアと桔梗の間に立つ。
「はい。よく冷えた仙桃だよ」
あまりに早い展開で白澤に流されつつも、桔梗はありがとうと丁寧に感謝の意を伝え、フォークに桃を刺してぱくりと口に含む。
「わあ、美味しい!」
桃特有の柔らかい果肉を噛めば、ほんのりとした甘さの果汁が溢れて喉を潤す。白澤によれば、昨日仙桃農園で収穫されたばかりらしい。
こんなに美味しい仙桃を食べられるなんて、天国住まいも悪くはない。むしろ地獄より生活環境が良すぎるので、白澤や桃太郎が少し羨ましく思えてきた。
「こんなに美味しい桃が食べられるなんて、天国もいいところね」
「でしょでしょ? もう地獄の官吏なんてやめて、一緒にここで暮らそうよ」
「うちの職員を勧誘しないでください」
ドォォン、と派手な音を立ててドアがぶち破られた。
姿を現したのは、地獄で仕事をしていたはずの鬼灯だった。鈍く光る棘がいくつも並んだ金棒でドアを破壊した鬼灯の顔は、嫌悪があらわになっている。
「寝室に連れ込むなんて、あなたそれでも神獣ですか。むしろ神獣なんてやめてしまえ。桔梗、あなたもあなたです。やすやすと流されて、情けないったらありゃしない」
私の仕事を増やさないでください、と眉間に皺を寄せたいつもの不機嫌な態度を隠そうともしない同僚に、桔梗は苦笑いをするほかなかった。
「ごめんなさい、鬼灯」
「お前、何うちのドア壊してんの!? せっかく桔梗ちゃんといい雰囲気になってたのに! てゆーか僕の部屋に入ってこないでよっ!!」
「そんな雰囲気にはなっていませんでした、ええ全くなっていませんでしたよ」
桔梗ではなく、何故か鬼灯がきっぱりと否定した。
ドアだった物の残骸を避けながら、鬼灯は寝室の中へ進み、ベッドに腰掛けた桔梗の手を掴んで来た道を戻る。
一方、突然ドアを壊されて侵入された白澤は怒り、鬼灯に食ってかかろうとするがぎろりと睨まれた。桔梗がいるので迂闊に飛びかかることが出来ず、ぐっと堪える。
「鬼灯、何もドア壊さなくてもいいじゃない。白澤さん、ごめんなさい。ドアの修理費は──」
「桔梗、あのバカが自分で直すからそんなもの必要ありません。ほら早く帰りますよ」
店内では唖然とした桃太郎が身動きできず、去っていく鬼灯と桔梗を無言で見送った。不機嫌な鬼灯のオーラにかなわなかったのだ。ほんの少しでも鬼灯に声をかけていたのならば、自分もドアと同じ末路を辿るかもしれない……そう直感的に感じ取ったのだと思われる。
鬼灯の襲撃のあと、桃太郎はそっと室内を見渡した。破壊されたのは寝室に繋がるドアだけで、他の損傷は見当たらないのが唯一の救いか。
ところで白澤の姿が見えない。店に出てきてないので、リビングを通り、寝室を繋ぐその場所にはちょっと前まではドアがあったが今は木枠だけが残り、床には木片が散らばっていた。桃太郎の刀をあっさりとへし折った金棒なのだ。住居のドアを破壊するくらい造作もない。
おそるおそる寝室を覗いた時、白澤は怒りのあまり叫ぶのであった。
「あの鬼めぇぇぇ……今度来たら金ぼったくってやるぅぅぅ!!」
* * *
鬼灯と桔梗は、牛頭と馬頭が番をする天国と地獄を繋ぐ門を通り、閻魔殿へ戻ってきた。
白澤の店を出てからずっと鬼灯は口を閉ざしている。何だか声をかけにくいため、桔梗も話しかけたりせずにただ手を引かれるまま。
やっと足を止めたのは閻魔殿の庭。そこは一面に金魚草が生えた、鬼灯お気に入りの場所だった。垂直に伸びた茎のてっぺんに、花ではなく丸々とした金魚が鎮座している。それが数えるのも面倒なくらい多く、金魚がもぞもぞ動いている様は、なかなかシュールな光景だろう。
「桃太郎さんが言っていましたよ。白澤さんがあなたの腰に手を添えていた、と」
開口一番がそれか、と内心突っ込みながらも桔梗は頷いた。事実だし、桃太郎が言ったのなら隠す必要はない。そう判断した返事だったのだが、鬼灯はため息をついた。
「あの人が女好きというのは知っているでしょう。それなのに何故一人で行ったのですか?」
「鬼灯が話していた新入りが気になって」
新入り──
鬼灯は、桔梗に話した会話の内容を思い出した。ああ確かに、と新入りが増えたと#name1#に話したことを思い出す。
「不喜処のシロ君達、可愛かったわね」
そう。従業員不足に悩んでいた不喜処地獄に三匹の新入りが増えた。
「桃源郷の桃太郎さんは今時個性的な顔立ちだけど、勉強頑張ってたわ」
天国の大事な観光地である桃源郷の整備のため、天国からの人材要請にも困っていた。それには、芝刈りが本来の家業であった桃太郎が就いた。
「そしたら……」
「そしたら、あの色魔に桃で釣られて寝室に連れ込まれる失態を犯したわけですか」
「…………」
反論出来ない。みずみずしい仙桃が目の前でカットされ、その芳醇な香りと味に逆らえなかったのは事実だ。
「全く……何度も言い聞かせたでしょう。あそこに一人で行ってはいけません、と。あなたの姿が見当たらないので疑問に思っていたら、自らトラブルに巻き込まれるようなことを……」
心配してくれているのだろうが、小さい子供に言い聞かせているような感じなので、桔梗はつい小さくふきだしてしまった。
「……何笑っているんですか」
「いや、何だかお母さんみたいだなぁって」
「…………」
まだ何か言いたげな様子だったが桔梗の笑顔で言う気が失せたのか、小さくため息をついた。
「とにかく、今後白澤さんのところに行く用事があれば私もついて行きますからね」
「はいはい。鬼灯ったら心配性なんだね」
「少しは危機感を持ってください」
「鬼灯がいるなら、そんなもの持たなくていいでしょ?」
何だかんだ言っても、彼は心配してくれる優しい鬼。
2012/03/17