午前中の視察先にて
「新卒の調教ってとても楽しいですよね」
嬉々とした声音で、鬼灯はさらりと言いのけた。
広大な地獄は閻魔大王が治めている。閻魔大王という重々しい名前のとおり、地獄の統治者の体躯は大きく、立派な髭をたくわえた巨漢である。
その閻魔大王の第一補佐官を務めている鬼灯が、普段の涼しい顔を崩すことなくこちらへ振り向いた。
「いや、そう思うのは鬼灯だけだから。同意を求めないでちょうだい」
桔梗は呆れて返答しつつも、ご機嫌な同僚を見るのは悪くないと思った。
鬼灯。
閻魔大王第一補佐官であり、額に一本の角を持つ鬼神である。部下だけでなく上司である閻魔大王にすら厳しく接している。口調は丁寧だが、その心は鬼を超えた鬼。そのため、地獄の黒幕などと囁かれることもある。
そんな鬼灯に臆することなく会話をしているのは桔梗。
閻魔大王第二補佐官であり、額に二本の角を持つ鬼である。順位的には鬼灯の下に当たるが、同僚として一緒に働いている。
午前中、鬼灯と桔梗は法廷を離れ、外に視察へ訪れていた。閻魔大王は、仕事に追われて自分の手が回らなくなると鬼灯に押し付けてくるのだ。
今日も朝一で仕事を押し付けられたため、鬼灯の機嫌は良いとはいえない状態で視察に出た。しかし、視察先で新しく入ってきた獄卒のスローペースな仕事ぶりに業を煮やした鬼灯が、
「新人研修で教えたでしょう! 仕事はしっかり迅速に!」
と言いながらいつも持ち歩いている金棒を振り回し、再教育という名の拷問を行った。
もはや拷問は鬼灯の日常だ。しかし、拷問を行う理由はいたって正論であるため、誰も口出しをしない。
「さて……これで視察も終わりですね。さ、桔梗、帰りましょうか」
拷問出来てすっきりしたのだろう。視察前より眉間の皺が減り、いつもの涼しげな顔に戻っている。
「そうね。早く戻らないと閻魔様のお仕事がまたたまっちゃうわ」
有能な二人の補佐官は視察を終了させ、本来の仕事場へ戻ることにした。
「はぁ……まったくあのオッサン、真面目に仕事する気はあるのでしょうか……」
「当然じゃない。貴方に仕事を回すのは、貴方を信頼しているからよ」
地獄ではさして珍しくない岩肌の道を歩きながら鬼灯がため息をつくと、桔梗がすかさずフォローを入れた。
閻魔大王をオッサン呼ばわりする者なんて、鬼灯以外いないだろう。一緒に働いている分、桔梗は鬼灯の閻魔大王に対する愚痴も自然と聞かされる。
上司が無能だと部下が有能になるという事例があることは知っていたが、まさか自分の目の前で立証されるとは。閻魔大王と鬼灯を見るたびに「ああ、本当なんだなぁ」と桔梗は内心苦笑するのだ。
「ところで桔梗、お昼はどうしますか?」
「うーん……向こうに戻って特に立て込んでなかったら、そのまま食堂に行くわ」
「その点は問題ありません。視察に出る前、『午前中までにたまった仕事を片付けないと髭をむしり取る』と念を押してきましたから」
ぬかりはないと言いたげに鬼灯が返してきた。相変わらず有能な奴である。その時の閻魔大王の怯える様子が容易に想像出来た桔梗は、再び苦笑するのだった。
「じゃあ、一緒にお昼食べましょうか。今日のおすすめって何かしら?」
「『地獄鶏の香草焼き定食』ですね。洋風の味に定食とは、まさに日本人らしい発想の献立です」
「でも美味しそう。私はそれにするわ」
「奇遇ですね。私もおすすめメニューを頂こうと思っていました」
あとデザートは何にしようかしら、とあれこれ考えながら、桔梗は鬼灯と一緒に閻魔大王の待つ法廷へ戻っていった。
2012/02/29