部下の報復
「あーあ、爪の先が黄色くなっちゃった」
昼休みが終わった午後。補佐官室でデスクワークをしている桔梗がぽつりと呟いた。
「どうしたんですか」
「お昼にミカン食べたら、ほら」
机の上に置かれた書類に目を通していた鬼灯が尋ねると、桔梗が指の先を彼に向けた。彼女の爪の先はしっかりと黄色く染まっている。
「これは見事な染まりっぷり」
「午後に視察がなくて良かった……黄色い爪じゃ流石に恥ずかしいわ」
幸いなことに、今日の視察は午前だけで、午後はずっとデスクワークだ。他の獄卒に黄色く染まった爪を見られることはない。
すると、おもむろに鬼灯が席を立ち、桔梗の隣に移動してその手を掴む。
「な、何?」
いきなりどうしたのだろうと桔梗が驚いていると、鬼灯が自分の口元まで桔梗の指先を持ち上げ、ぱくりと口に含んだ。
「ち……ちょっと、鬼灯!?」
「何でしょうか」
「『何でしょうか』じゃなくて……何してるのよ!」
「指を舐めています」
一旦指から口を離した鬼灯だが、そう答えると再び指先を口に含む。
「だから何で指を舐めてるのよ!」
「……やはり柑橘系の苦味がありますね」
「答えになってないっ」
鬼灯の舌に、柑橘系独特の苦味に混じってミカンの甘い風味が広がった。
「今日はお昼を一緒に出来なかったから、これくらい良いでしょう」
鬼灯はデスクワーク、桔梗は視察というのが午前中の割り当てだった。閻魔殿にいた鬼灯は昼食時間は定刻どおりだったが、視察に出ていた桔梗は閻魔殿に戻るのが遅くなってしまい、他の獄卒が午後の仕事を始める頃にようやく昼食にありつけたのだ。
だが、昼食を一緒に取れなかったため、鬼灯は少し拗ねているように見えた。
「あのジジイ、よりにもよって遠い場所に視察に向かわせて……」
鬼灯が小さく舌打ちしながら言葉を荒げ始めた。このままでは法廷にいる閻魔大王へ殴り込みに向かう恐れがあるので、桔梗は鬼灯をなだめることにした。
「今日は私も獄卒の話に聞き入ってたから、帰る時間が遅くなっちゃったの。だから閻魔様を悪く言っちゃ駄目」
「いいえ、そうはいきません。恋人同士にとって時間を共に出来る休憩時間がどれほど大事なものか、あの髭達磨はわかっていないのです」
そう言うと、鬼灯は桔梗から離れて自分の机の脇に立てかけた金棒を手に取り、法廷へ続く扉へ向かう。
「あ、ほおず──」
「桔梗はここで待っていて下さい。来てはいけませんよ」
言葉を遮られた桔梗は思わず口を噤んだ。鬼灯の口調は穏やかであったが、拒否の態度は許さないとでもいうかのような強さがあった。
一人残された桔梗は、法廷から響く鈍い音と閻魔大王の悲鳴を、冷や汗を流しながら聞くことしか出来なかった。
(あとで閻魔様にお詫びのおやつあげよう……)
Web拍手掲載期間
2013/11/10〜2013/11/26