残業と嫉妬


 現世はバレンタインというイベントで盛り上がっている。ここ地獄でも同じ状況で、女の獄卒はチョコレート作りに励み、男の獄卒はチョコレートを何個貰えるかそわそわしていた。
 桔梗も例に漏れず、チョコレートを作ってみた。箱に入れてラッピングしたはいいものの、いつ鬼灯に渡そうか悩んでいた。今日は平日なので、法廷や補佐官の仕事部屋には持っていけない。朝──今から渡すにしても、身支度で忙しいだろう。となれば、仕事が終わってからにしか渡す時間がない。

「って、バレンタインに気を取られちゃ駄目ね。今日は仕事なんだから」

 桔梗は気持ちを切り替えると、仕事のため法廷へと向かった。

 * * *

 バレンタインであっても、法廷での仕事はいつもと変わらない。亡者への判決を下す閻魔大王の補佐を務めたり、補佐官の仕事部屋でデスクワークを行う。
 視察はたいてい鬼灯が担うので、桔梗はあまり閻魔殿を離れない。
 午前中は鬼灯と閻魔殿で仕事をしていたが、昼休み後、彼は視察へ向かった。桔梗が閻魔殿に残って仕事を続けていると、廊下で女獄卒達が何やら盛り上がっているところに遭遇した。

「ねえねえ、やっぱり鬼灯様ってかっこいいよね」

「仕事もデキるし」

「鬼なのに天パじゃないのも素敵よねぇ」

 どうやら鬼灯に好意を抱いているようで、声量は控えているが盛り上がっているのがわかる。

「あたし、この前鬼灯様に会ったの。もー身長高くてドキドキしちゃった」

「あー、わかるわかる! 背が高いと見上げなきゃいけないけど、そこがまたいいんだよね」

「でもいいなぁ。私も鬼灯様を見上げたい」

 女獄卒達の話を盗み聞きするつもりはなかったが、話題が鬼灯であったため気になり、つい耳を傾けてしまう。

「チョコの持ち込みは駄目だけど、鬼灯様にチョコあげたいなぁ」

「よしなさいよ。桔梗様がいるんだからあげない方がいいんじゃない?」

「でも……好きでもない男に義理チョコあげるくらいなら、彼女持ちのイケメンにあげる方がマシってものよ」

「まあ、わからないでもないけどさぁ」

「確かに、チョコ欲しさにあからさまな視線寄越す男にはあげたくないもんね」

 いつも一緒にいるからわからないが、鬼灯は女性の人気が高い。きっと鬼灯と深い仲になっていなければ、彼は今頃溢れ返るほどの大量のチョコを贈られていたことだろう。

「あっ、鬼灯様が戻られたみたいよ」

「ねえ……一緒にいるのって……」

 女獄卒達が同じ方向へ桔梗も視線を向ければ、見慣れた金棒を携えた鬼がこちらへ歩いてきているのが確認出来た……まではいいのだが、鬼灯の横には一人の女性がいた。
 黒い服を身にまとい、鬼灯と腕を組み、ぴったりと寄り添う金髪の女性。レディ・リリスだ。
 そういえば、今日彼女がこちらの地獄へ訪問すると聞いていたことを桔梗は思い出す。

「ねえ鬼灯様、今日はこれから何か予定がありまして?」

「デスクワークが残っています」

「あら、そうなの? 閻魔殿を案内してもらいたかったんだけど……駄目?」

「……仕方ありませんね」

「ありがとぉ! 鬼灯様大好きよ」

 鬼灯は溜息を吐き、リリスはさらに鬼灯に寄り添い、女獄卒達は二人を羨ましそうに眺める。それを桔梗は離れたところでただ見つめていたが、逃げるようにその場から立ち去った。
 鬼灯は走り去る桔梗に気付いて彼女の背中を見つめたが、別方向へ行くリリスに引っ張られたため、ひとまず閻魔殿を案内することにした。

 * * *

 定時が過ぎたものの、桔梗は仕事を済ませるため残業を続けていた。

「はあ……」

 桔梗は小さく溜息を吐くと、隣の机をちらりと見やる。結局、あれから鬼灯がデスクワークをするために戻ってくることはなかった。
 リリスはプライベートで地獄を訪れているので、鬼灯自ら案内しなくても良い。しかし、相手はEU地獄のナンバー2ベルゼブブの妻なので、失礼のないようにしなくてはならない。
 客人をもてなすためだと頭ではわかっているのだが、心の中では何も鬼灯が案内役を買って出なくてもいいのに、と桔梗は呟いていた。

「……腕、組んでた……」

 数時間前の光景を思い出し、視線を落とした。
 何故、リリスは今日こちらへやって来たのだろうか。夫のベルゼブブとバレンタインを楽しんでいるのだろうと思っていたのだが。いや、リリスは鬼灯を気に入っていたはず。ならばバレンタインと称して今日こちらに来たのかもしれない。
 彼女は鬼灯に寄り添っていたが、やはり男性は女性と腕を組んで密着されると嬉しいものだろうか。そういえば鬼灯と腕を組んで密着したことなんてないなぁ、と過去を思い返す。リリスのように大胆な行動なんて出来ないし、それを実行する勇気もない。
 リリスのことを羨ましく思いつつも、鬼灯にあれだけくっついていた彼女に嫉妬してしまうのも確かで。
 いや、それだけではない。鬼灯も鬼灯だ。他の女性がくっついてくるのを許すことをしないで欲しい。

「……鬼灯の馬鹿」

 それに今日、彼が担当するはずだった書類は全て桔梗がチェックを終えた。数としては多くはないのだが、進行が滞ってしまえばあとの作業に支障が出てしまうので、桔梗が済ませたのだ。
 リリスの本分は承知しているので、鬼灯に密着してしまうのは理解出来る。普段ならそこまで気にすることはしないのだが、バレンタインのせいでどうしても気になってしまう。
 もう一度溜息を吐いたあと、使っていた筆記具や書類を片付けて仕事部屋を出て自室に戻った。ついでに、鬼灯の部屋のドアをノックしてみたが、はやり彼は戻っていなかった。
 もう夕食の時間帯だ。何処かでリリスと食事会を楽しんでいるのだろうか。
 バレンタインなのに鬼灯とほとんど接することが出来なかったが、今日のことは地獄同士の接待だと考えてしまえばいい。そう割り切ると、桔梗は閻魔殿を出た。

 * * *

 夜になると賑わう地獄の飲み屋街。いつもよりカップルの数が目立つのは、やはりバレンタインだからであろう。
 どの店で食べようかゆっくりと飲み屋街を歩いていると、

「あれ? 桔梗ちゃんじゃないか」

 名前を呼ばれた。声の聞こえてきた方へ振り向けば白澤がいた。にこやかな笑顔をしているが、その頬に赤い手形が残っている。おおかたナンパした相手の反感を買ってしまったものと思われる。

「こんばんは、白澤さん。桃太郎さんは一緒じゃないんですか?」

「桃タロー君は店に残ってるよ。ところで、バレンタインだっていうのに桔梗ちゃん一人だけ? あいつはいないのかい?」

「リリス様がいらっしゃって……鬼灯は閻魔殿の案内してたんだけど……」

「ふうん……つまり、今日は桔梗ちゃんはフリーなんだね。それじゃあ一緒にご飯食べない?」

 白澤は桔梗の手を握ると、近くの店へ入った。夕食時なので、店内は多くの客で賑わっている。ちょうどカウンター席に空席が出来ているのを見つけた白澤は、桔梗の手を引いたまま席に腰掛けた。

「バレンタインに桔梗ちゃんと会えるなんて思ってもみなかったよ。いやぁ、嬉しいなぁ。どんどん飲んでいいからね」

「でも……」

「ああ、お金のことなら心配いらないよ。僕が奢るから」

 白澤は酒や食事を注文すると、それらを桔梗に勧めてきた。桔梗は不思議に思いながらも、白澤との会話に気を良くし、何杯も酒を飲んだ。
 しばらくすると、会話を続けていた桔梗の様子に変化が現れた。頬は紅潮し、目はとろんとし始めたのだ。

「あれ? 桔梗ちゃん、もしかして酔っちゃった?」

「そんなこと……ない、ですよ」

 少し呂律が怪しい。どうやら酔いが回ってきたようだ。
 白澤は桔梗が酔うのを期待してアルコールが強めの酒を勧めていた。彼女が酔うまでには時間がかかるだろうなと思っていたのだが、それが意外と早く訪れたことに、白澤は少なからず驚いた。

「白澤さん……男の人って、女の人に腕を組まれると、やっぱり嬉しいものですか?」

「そうだね。好きな相手だと余計に」

 これまで当たり障りのない世間話をしていた桔梗が、突然話題を変えてきた。これは何かあったに違いないと踏んだ白澤は、探りを入れてみることにした。

「いきなりどうしたの? 何かあった?」

「……リリス様が鬼灯と腕を組んでいたんです。鬼灯、まんざらでもない様子で……」

 なるほどね、と白澤は納得した。バレンタインの日にやって来たリリスが鬼灯と腕を組み、仕事でもプライベートでも独占されていることに嫉妬しているのだ。鬼とは思えないほどの優しさや謙虚さを持つ桔梗の可愛らしい悩みに、白澤は目を細める。

「ね、桔梗ちゃん、僕と腕組んでくれる?」

 酔いのせいで頭が上手く働かない桔梗はきょとんとした様子で首を傾げるが、特に深く考えずに隣に座る白澤の腕に自分の腕を絡ませた。

「そうそう。あと、ぎゅーってくっついてくれるかな?」

 言われるがままに、桔梗は白澤に身体を寄せて密着する。

「ん、やっぱり柔らかい♪」

 腕に押し付けられた柔らかな感触を楽しんでいると、桔梗がそっと肩に頭を乗せてきた。どうしたのだろうと視線を下げれば、目を閉じて小さな寝息を立て始めている。
 これは彼女とより親密な関係を築くチャンスだ。白澤は内心喜びつつも、心配そうな素振りで桔梗に声をかける。

「桔梗ちゃん、ここで寝ちゃ駄目だよ。僕の店で休もう」

「……ん」

 こくりと頷くと、桔梗は頭を白澤の肩から離す。店から出ようと席を立とうとした時、

「──何をしているんですか」

 聞き慣れた、けれど不機嫌だということが分かるほど低い声がすぐ後ろで発せられた。振り向いてみれば、凶悪な人相をさらに不快に歪ませた鬼灯が立っていた。

「桔梗、そんなけだものにくっつかないで下さい」

 鬼灯が桔梗と白澤を離すため二人の間に割り込む。強引に引き離してくる鬼灯に、白澤はムッとして眉を寄せた。

「あのさ、元はといえばお前が原因なんだよ」

「どうして私が」

「リリスちゃんが誘惑してくるのわかってるくせにそれを許しちゃうとか、彼氏として失格だね」

「私は彼女に失礼のないようにしていただけで」

「言い訳するなんてみっともないね。桔梗ちゃん、恋人をほったらかしにする男なんて放っておいて、僕と楽しいことしようよ」

 白澤は席を立ち、桔梗の腰に手をまわすと、酔ってまっすぐ立てなくなった桔梗が白澤に身体を預ける。それに気を良くした白澤は満足げに笑むが、対する鬼灯はますます不愉快だといわんばかりに顔を歪め、白澤に拳の一発を喰らわせた。

「ちょ……てめ……!」

「……桔梗、帰りますよ」

 これ以上白澤の顔を見たくないとでも言うかのように、鬼灯は桔梗の手を引いて店を出た。白澤はそんな二人の背中をしばらくの間眺めていたが、やがて溜息を吐いて苦笑した。

「……ま、桔梗ちゃんが元気になるならいいか」

 * * *

 鬼灯と桔梗は朧車タクシーで閻魔殿へと戻った。朧車の中では二人とも無言で、ようやく口を開いたのは鬼灯の自室に着いてからだった。

「桔梗」

「接待だもん……わかってる」

 幾分か酔いが醒めた桔梗は、見つめてくる鬼灯の視線を避けるように顔を俯かせる。
 そう。何もリリスも悪気があって鬼灯を独占していたわけではないと思う。彼女の本分は誘惑。どんな男であろうと誘惑をするのがリリスという悪魔だ。だから気にしていないのだと言ったのだが、鬼灯から謝らないで下さいと言われた。

「バレンタインなのに、一人にしてすみませんでした」

 鬼灯は桔梗を、壊れ物を扱うかのように優しく、けれどしっかりと抱き締める。同時に、まるで今日一日会えなかった分を取り戻すかのように、鬼灯は桔梗の匂いを堪能する。

「……鬼灯」

「はい」

「……鬼灯がやる予定だった書類、全部チェックしたんだから」

「ありがとうございます」

「……今日戻ってこなかったら、白澤さんにチョコあげちゃおうかと思った」

「それだけは勘弁願いたいですね。……チョコ、くれますか?」

「……うん」

 白澤の名を出すと鬼灯は再び不快な顔をしたが、桔梗が頷くとすぐに目を細めて嬉しそうに微笑む。

「……お願いですから、もう他の男の前で、あんな無防備な姿を見せないで下さい」

 最後に鬼灯が桔梗の耳元でそう囁けば、桔梗は少しくすぐったそうに頷いた。


2014/02/23

▼あとがき
更新作品についてのアンケートの一つ、「鬼灯がバレンタインでモテモテなのでもやっとする」でした。

嫉妬ネタきた!
いいね、大好きです嫉妬ネタ。

EU地獄からの来客です。
昼間は向こうも仕事でベルゼブブは忙しいだろうから、手持ち無沙汰になっていそうなリリスさんに来てもらいました。

そういえば山羊のスケープがいない…
ということを、書き終わって気付きました。
そ、そこはリリスさんがスケープを連れずに来日したってことで…

白澤は何だか殴られ損です。
でも、女の子ためなら殴られてもいいやって言いそうなので(笑

リクエストありがとうございました!
今後ともよろしくお願いします。
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